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非公許遊郭かくし閭(ざと) 巻の壱《制外者編》  作者: 阿羅田しい
第7章 照降雨(てりふりあめ)
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第29話 熊次郎の怒り

【前回のお話】

 自分に10両の借金があることを知らなかったりん。

 しかもそれを勇次が肩代わりしてくれたと知ってさらに驚き、熊次郎のもとへと走った。

 りんは熊次郎に詰め寄った。


「おらの借金ってあんだ? 10両ってあんだ? あんして勇次さんが肩代わりするんだ?」


 馬鹿息子が口を滑らせたことは察しがついたが、りんには内緒にしておくよう勇次に約束させられている。しかし、この様子では彼女が大人しく引き下がるとも思えない。


「あんして黙ってるのけ、親分さん? あんして教えてくれねぇんだ? 親分さんまでおらのこと子供扱いするのけ? いくら子供でも自分のことを知る権利はあるはずだがね」


 正論をぶつけられ、熊次郎は観念したようにふーっと大きく息を吐き出した。「ちゃんと話すから」とりんを玄関脇の縁側に座らせ、隣に腰掛ける。


「飯盛り女を黒駒組で取りまとめてるのは知ってるよな?」


 りんは頷いた。石原宿の飯盛り女は皆黒駒組に所属し管理されている。飯盛旅籠で客の相手をする方法は「呼び出し」といって、まず水茶屋を通してから飯盛り女を派遣する仕組みだ。娼家に待機している「伏せ玉」とはまた違う。


 では飯盛り女はどこから調達するのかというと、さちのように小遣い稼ぎで自ら志願してくる場合もあれば、親に売られる場合もある。りんは後者だった。要は継母お志摩に売られたということだ。


「黒駒組はお志摩からおめぇを10両で買ったんだ」


 さちのような者は客を取るたびに玉代の約2割を貰えるが、りんは一括で先払いされたとのこと。


 その事実にりんは呆然とした。


「そんなこと聞いてねぇべ。お客取ればそのたびにお金もらえると思ってたべ。そのお金でおとうちゃんの薬買うつもりだったに」


 客を取ったところで自分には一切金銭が入ってこないことを知ったりんはがっくりと肩を落とした。


「しかしよ、お志摩には10両払ってあるはずだぜ? その金はどうした?」


「知らねぇ。ままおっかぁから10両の話なんて聞いたこともねぇべ」


 ここで初めて真相を知った熊次郎は歯ぎしりした。


 ——あの女狐、全額自分の懐に入れやがったな。許せねぇ。


 そうとも知らず、勇次はりんのために10両をすべて一人で被った。そのお陰でりんは客の相手を一度もすることなく飯盛り女から解放されたのだ。


「どうしよう。勇次さん、そこまでしてくれたに、おら、ひでぇことしちまった……」


 りんはがくがくと口を押さえ、見る見るうちに円らな瞳一杯の涙を溢れさせた。熊次郎は慰めの言葉が見つからず、目を閉じ頭を振るばかり。


 と、突然りんが立ち上がり、「おら謝ってくる!」と叫んで玄関を飛び出した。それと入れ違いに小太郎たちが帰ってきた。


「おうおう、小太郎! りん捕まえろ!」


 小太郎は慌ててりんの腕を掴み、引きずり戻した。熊次郎がりんをもう一度座らせ諭す。


「まぁ落ち着け、りん。今朱座に行ったところで勇次にゃ会えねぇよ。邑咲屋は10日まで振袖新造のお披露目で挨拶回りの真っ最中だ。妓楼主が使いもんにならねぇから女将の姉さんと跡取りの勇次にゃ全責任がのしかかってる。一人の遊女を一人前にしてやる第一歩の晴れ舞台なんだ。それをぶち壊すわけにゃいかねぇんだよ」


 朱座の傾城屋にとっては、花魁に昇進するときの次に数えられるほど大事な舞台だ。傾城屋が振舞い方を間違えれば一人の遊女の一生を台無しにしてしまいかねない。だが、ここで上手く馴染み客をつけることさえできればそれが太客につながり、身請け話も早まる。そうなれば10年の年季を待たずとも遊女を引退することができるのだ。それは取りも直さず、制外者から脱して人別帳に戻れることをも意味するのである。


「勇次だって本当はとっとと朱座とおさらばして人別帳に戻りてぇんだよ。けど、いつも自分を後回しにして女郎や若ぇ衆の面倒見てるもんだから、結局身動き取れなくなっちまって苦しんでるのさ」


「じゃ……おら、ど……したらいい……の……ゖ……」


 最後は言葉にならず、りんは幼子のようにただ泣きじゃくった。


心配(しんぺぇ)するな、りん。おめぇらの間に何があったか知らねぇが、勇次はおめぇが思ってるほど器の小せぇ男じゃねぇ。奴を信じて待っててやれ」


 熊次郎が言い終えると、なつがりんの横に座り、小さな身体をきゅっと抱きしめた。


「りん、信じるって難儀(なんぎ)だいねぇ。おらもわかるよ。けんど、好きな人のこと考えながら待つのってけっこう楽しいもんだべ」


 待たされ過ぎても嫌だけどね、と笑うと、小太郎は照れ笑いと苦笑いとを交互に浮かべた。


 りんは涙でぐしゃぐしゃになった顔を両手で覆ったまま、何度も何度も頷いた。






 その晩のこと。熊次郎から全貌を聞いた兼造は怒りに打ち震えていた。


「お志摩、おめぇ、りんを売っただけでなく、その金をくすねてたのけ?」


 病身に(むち)打って起き上がろうとする兼造を熊次郎が支えてやる。りんも黙ってお志摩を睨みつけていた。


「ふん、だからどうだって言うんだい。寝たきりで役立たずのあんたの女房やってんだ。それくらいの見返りがあったって罰当たらないだろ」


 謝るどころか悪びれもせず吐き捨てるお志摩に、兼造の堪忍袋の緒がついに切れた。


「もう我慢ならねぇ。おめぇなんかもう女房でもなんでもねぇ! とっとと出ていきやがれ!」


「ああ、言われなくても出てってやるさ。いい加減こんな貧乏暮らしうんざりしてたんだよ」


 言うやいなやお志摩は風呂敷を広げ、10両で買い漁った着物や帯、笄、化粧道具などをまとめはじめた。


「ああ、そうそう。離縁の償い金として和泉(いずみ)屋はもらっとくよ。三行半(みくだりはん)はそっちから出したんだ。わっちにはもらう権利があるよね」


「上等だべ! 手切れ金にくれてやらぁ! その代わりもう二度とりんに近づくんじゃねぇぞ!」


 兼造の怒号が飛ぶ。お志摩はふんっと憎々し気に顔を背け、大風呂敷を担いで戸口に向かった。それを熊次郎が呼び止める。


「お志摩、水茶屋続けるなら所場代は今の倍払ってもらうぜ」


「はあ?」


 お志摩は目を丸くして振り返った。納得いかないと言った顔でぶつける怒りの目を熊次郎がね返す。


「元々あそこは兼造の畑だ。それを役人への届け出なくおめぇが勝手に水茶屋作ったのを、俺が袖の下でお目こぼししてもらってたんだ。なんでかわかるか?」


「それ以上に水茶屋が儲かるって踏んだからだろ?」


 お志摩の答えに熊次郎は首を横に振った。


「そうじゃねぇ。兼造への義理立てだ。兼造と俺は幼馴染だからな。そのよしみで根回ししてやってたんだ。だが兼造と縁切るってんならもうおめぇを(かば)ってやる義理なんざねぇよな」


 熊次郎の言葉にお志摩はわなわなと唇を震わせた。


「石原宿は俺の庭場だ。その一角で商売したけりゃきっちり所場代払え。それができねぇなら和泉屋はおめぇにゃ任せらんねぇぞ。さぁ、どうする?」


 凄みを利かせた熊次郎の目がぎらりと光る。伊達に何十年も香具師の親玉をやっているわけではない。だが、お志摩も黙ってはいなかった。


「ふん、わっちの腕利きで和泉屋は繁盛してるんだよ。その恩恵受けてるくせに偉そうなことほざいてんじゃないよ。商売は儲けたもん勝ちなんだ」


「なにぃ? てめぇ、誰に向かってもの言ってやがる」


「たかが香具師じゃないか。やくざだか何だか知らないけどね、ちんけな脅しで何でもかんでも通ると思ったら大間違いなんだよ!」


 捨て台詞を残してお志摩が引き戸を開ける。


「待て、お志摩」


「なんだい、まだ何かあるのかい?」


「ひとつだけ忠告しといてやる」


 熊次郎が立ち上がり、戸口へと歩き出した。


「朱座の連中は俺らやくざの何十倍もおっかねぇぞ。何しろ制外者だからな。何したって役人は見て見ぬふり、知らぬ存ぜぬだ」


「だから何だってんだい」


「まだわかんねぇか? おめぇは俺を虚仮(こけ)にしただけでなく、勇次の面子(めんつ)も潰したんだ。あいつが今回のことを知ってただで済むと思ったらそれこそ大間違いだぜ」


 お志摩の顔が蒼褪めた。


「覚悟しとくんだな」


 最後に一言だけ付け加え、熊次郎は寒空の下へとお志摩を追い出した。






「熊次、すまねぇ。おめぇにまで迷惑かけちまってえら情けねぇべ」


 りんに支えられた兼造が頭を床にこすりつける。


「おいおい、水くせぇこと言うなよ。俺とおめぇの仲じゃねぇか」


 熊次郎が照れ隠しに頭を掻くと、りんも「ありがとうございます」と頭を下げた。


「りん、おめぇが礼を言う相手は俺じゃねぇだろ」


 はい、とりんは憔悴しきった顔で頷いた。それを見て兼造はゆっくりと布団に入った。手伝う娘にそっと告げる。


「俺からもそいつに礼を言うだに、今度連れて()ぉ」


 りんと熊次郎が顔を見合わせる。互いの顔には歓喜の色が満ち溢れていた。だが——。


「勘違いするな」


 兼造の一言で期待は一瞬で消え去った。


「そいつとの仲を許したわけじゃなかんべ。制外者は制外者だ。どんなにいい奴でも平人とは一緒にはなれねぇんだ」


 りんは再び憔悴し、熊次郎も嘆息を漏らした。それきり兼造が仰向けで目を閉じてしまったので、二人は何も言えなかった。


 兼造は相当疲れたのか、すぐに寝息を立て始めた。それを見届け安心した熊次郎が帰り支度をはじめる。りんが見送ろうと後をついていくと、戸口を出たところで熊次郎が振り返った。


「なぁ、りん。勇次がおめぇと初めて会った日、あいつ、なんて言ったと思う?」


「え? うーん、なんだろ? チビスケ……とかかな?」


 首を傾げるりんに熊次郎がはははと笑って答えた。


「川越に来て良かった、って言ったんだ」


 それまで川越が大嫌いで、散々っぱらこき下ろしていた勇次がりんを一目見た途端、掌を返したように川越称賛に(ひるがえ)った。いつもの冗談かとさして本気にしていなかったが、その一瞬の想いがまさか半月足らずでここまで膨れ上がるとは誰が予想しただろうか。


「そうなんだ。川越を好きになってくれたのって、そのときからだったんだべな」


 りんは恥ずかしそうに歪んだ口元を手で覆い隠した。だが、その顔に笑みが戻ったのも束の間、やはり気になるのは父の言葉のようだ。


「おとうちゃん、やっぱり許してくれねぇかな」


 りんがぽつりと漏らす。熊次郎はいつの間にか晴れ上がっていた夜空を見上げ、問いかけた。


「知ってるか? 制外者は平人に戻れるってことを」


「え、そうなん?」


「穢多は世襲制だから、穢多に生まれたら一生穢多のまんまだ。だがな、朱座の連中は穢多じゃねぇ。元々人別帳に載ってた人間は、平人に戻れる可能性があるんだよ。だから、なにもあきらめるこたぁねぇんだ」


 りんも夜空に浮かぶ半月を見上げた。傍で寄り添うように小さな星が輝きを放っている。


「勇次もあきらめたわけじゃねぇ、と思うぜ」


「と、思う?」


「ああ、今は色んなしがらみに巻きつかれて身動き取れねぇ状態だからな。飄々(ひょうひょう)としてるようでいてあいつもけっこう苦労してんだぜ」


 りんは、年越しの晩に聞きそびれた話を熊次郎なら知っているかもしれない、と思った。案の定彼は、勇次が邑咲屋に売られてからのことを語ってくれた。

次回は第30話「勇次の生い立ち③」です。

勇次が邑咲屋の跡取りになった経緯が語られます。


★活動報告とみてみんに勇次のイメージ画を掲載しました。

イメージを壊すといけないので挿絵としては載せておりません(今後掲載する可能性あり)。ご覧になる際はご注意ください。


【確認】

穢多が平人に引き上げられたのは、この時点ではまだ穢多頭弾左衛門とその周辺の人間だけでした。

被差別民全員が解放されるには、もう少し待たなければなりません。

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