廿肆葉 ‡ 南町奉行
上野界隈は、割りと来ている気がするけど、何か久し振りのような気もする。特に東照宮は奉行に用が無いと寄らない。しかも今回は南町奉行だ。北町奉行のような砕けた人間ではないと思うが、どんな人物なのだろう。
「恐れ入ります。鍋島殿ではございませぬか? 」
この口調は、余程の時代劇被れでもなければO.E.D.O.の人間だ。
「南町の? 」
「はっ。南町同心、虎紋力太郎と申します。」
竜紋の次は虎紋かよ。まったく、O.E.D.O.の役人は、こんな名前ばっかりかよ。
「それで、南町の奉行は? 」
「はい。御奉行は、この先でお待ちです。」
光之介がミッチーだから、さしずめリッキーか。彼に案内されてついていくと周囲の景色が変わった。といっても、将軍や天草と顔を合わせる時の雰囲気に似ている。そこには裃を纏った男が平伏していた。
「上様御声掛、鍋島殿におきましては、御機嫌麗しゅ… 」
「待った待った。」
さすがに僕は長くなりそうな挨拶を止めた。
「あなたが南町奉行か。北町奉行みたいに気軽に頼む。」
「そう申されましても… 」
南町の奉行を困らせる気は無いのだが、どうしたものか。
「それで、南町としては、どういう方針なんだ? 」
「はい。此度の一件につきましては北町との合同捜査故、一時的に虎紋を竜紋の配下として両名に天草一派の出方を探らせる所存にございます。」
やはり、O.E.D.O.の幕府としては、こちらの世界に町方の人数を割けない理由があるのだろう。虎紋は同心と言っていたから、目明かしクラスの色葉と筆頭与力クラスのミッチーの間の魔力という事か。
「畏れながら南町の御奉行に具申いたしまする。筆頭与力たる拙者でさえ一度は敗れましたる事実。軽んじぬ方がよいかと。」
それを僕も言おうとしていた。ミッチーも僕と同じ不安を感じていたようだ。
「いや、軽んじている訳ではない。竜紋の実力ならば虎紋の力を合わせれば此度の敵にも立ち向かえるであろうとの南北町奉行所の一致した判断である。奴らとて人材が豊富な訳でもなく、こちらの世界にこれ以上の人手を割く余裕は無かろう。」
多分、奉行の言っている事は大方、合っているのだろう。だが、根拠、論拠に乏しく推論の域を出ない。何か確証が欲しいところだ。
「現状の奴らに対して対抗は出来るだろうけど、向こうの人材、人手については把握しているのか? 」
「天草十七人衆と呼ばれる者たちが中心となっておりますが、他は農民、漁民の集まり。幕府軍魔力の物量に敵うはずもございませぬ。故に、鍋島殿の御能力を欲していると思われます。」
言われてみれば、ただ跳ね返すだけの能力だが戦局を左右しかねない。天草が僕を狙うのは無理もないだろう。
「つまり、幕府迎え撃つには人手は割けない… 裏を返せば、その戦力で幕府とやりあっている訳だから、かなり手強いな? 」
「こちらの魔力も全てが優秀なる者といえず、手を妬いております。」
取り敢えず、こちらの世界の歴史的知識は役に立たない。何しろ懐鏡をくれたのは初代将軍だとして、こちらの歴史では島原の乱は三代将軍、目の前の南町奉行はおそらく八代将軍、遠山は十一代将軍の時代だ。ざっと二百年の開きがある。そもそも刀ではなく魔法社会なのだから。
「忠相、僕がそちらの世界に行けば奴らも此方の世界から手を引くのか? 」
「それは… 鍋島殿、何故私の名を… あぁ、小川先生ですね。鍋島殿がこちらの世界に来られても所払い中の色葉を帯同して頂く訳には参りませぬ。その間に人質として狙われる恐れがあるかと存じます。」
小川先生から南町奉行の名前など聞いていない。鎌を掛けただけだ。やはり、こちらの世界で八代将軍時代の南町奉行と同じ名前のようだ。忠相の言うとおり、色葉が狙われる可能性は充分ある。ミッチーも蘆塚に一度敗れている以上、リッキーがいても天草に勝てる保証は無い。やはり、こちらの世界で反乱軍の大将である天草を捕らえてから、向こうの反乱軍を制圧するのが最善の策なのかもしれない。それにこちらの世界でなら少数精鋭で互いに被害者も出さずに済むのではないか。
「奴らが僕を直接狙って来ないのは厄介だな。何かいい案は無いのか? 」
「奴らも先日、色葉を拐かした際に魔力が以前より強くなっている事に気づいていると思われます。」
「駄目だっ! 」
僕は忠相が全てを言う前に止めた。雑魚より魔力の強い色葉を再び拐かす為に蘆塚か天草が直接出てくると踏んでいるのだろう。それは奴らの直接ターゲットである色葉を囮にしようとしている。そんな事を認める訳にはいかない。
「鍋島殿、御奉行の案を受け入れては貰えませぬか? 我々には他に手が無いのでござる。」
僕はリッキーの懇願にも駄目を出そうとした。その時だった。
「私、やります。」
「駄目だ。危険過ぎるっ! 」
必死に止めようとする僕の顔を見て、色葉は不安を圧し殺すように首を横に振った。
「大丈夫です。私、直を信じていますから。」
思わず僕は色葉を抱き締めた。
「わかった。命に代えても色葉は僕が守るっ! 」
「駄目です。命に代えてたら、私も生きていませんよ? それに… 御奉行様が見てます。」
誰が見ていても構わないが、色葉は生きてくれないと困る。僕は色葉を守って生き残る約束をした。




