拾玖葉 ‡ 佐野茶房
佐野さんはセレブリティ
「竜紋様、お食事の御用意が整いました。」
僕が色葉の作る味噌汁の香りで起きていたように、ミッチーは佐野の作る朝食の支度の音で目を覚ましていたらしい。ミッチーの話しによると、全て佐野さんの手料理でお品書きは、いたって普通の和食だが素材が違うのだそうだ。ミッチーの舌がどれほど肥えているかは知らないが、ありうる話しではある。
「何から何まで、お世話になって申し訳ない。」
「事情が事情です。お気になさらないでください。」
そうは言われても佐野さんはセレブである。ミッチーにはマスコミ対策をよく噛み砕いて説明しておいた。簡単に言えば大棚の大旦那が、瓦版に色事の記事にされて、暖簾が傾くような事にならないように。そんな話しをしたつもりだ。そうでなくとも有名人のプライベートはネットに晒されがちだ。美人経営者のスキャンダルなど、噂だけでも売り上げに響きかねない。幸い、ミッチーも時空は無理だが場所だけなら捕物でも使っていたそうで転移が出来る。家の出入りは全て、それで行うよう言っておいた。問題は外で消えた瞬間や現れた瞬間を目撃されないようにする事だ。奉行から見回りを命じられている以上、茶釜の中でのんびりともしていられない。僕の方も引き受けた以上はミッチー同様、見回らなくてはならない。と言っても魔法使いを探知する能力は無いので色葉と一緒だ。こんな事でも、一緒に出掛けられるだけで色葉は楽しそうにしている。何事も起きなければ、ただのデートだ。時折は大友と北条さんも一緒にダブルデートという事もある。大友は北条さんとデートが出来る。北条さんは色葉に会える。色葉は僕とデートが出来る。僕は北条さんからミッチーの様子が聞ける。誰にも不利益は生じていない。
「それでね、鍋島さん。今度、佐野さんと竜紋さんを連れて水族館に行こうと思うの。御一緒して貰えるよね? 」
ノーと言う理由も無いし、言うつもりもない。それ以上に北条さんの言葉にはノーと言わせない圧が感じられる。色葉も初めて水族館に行けるのが楽しそうだ。友人同士のグループなら1対1ではないので佐野さんも安心だろう。ミッチーは僕が誘えばノーは言わない。半強制で悪い気もするが、毎日見回りだけでは清精神衛生上、良くないと思う。佐野さんも北条さんの誘いは断らないだろう。仕切るのは北条さんにお任せしておけば問題ない。当日は大友がミニバンで皆を回収して回った。
「で、何処の水族館? 江ノ島? 品川? 八景島? 葛西? スカイツリー? 」
「栃木。」
北条さんの答えに大友は慌ててカーナビを弄りだした。僕も栃木の水族館は記憶に無かった。小さな所も含めれば、幾つかあるようだが大友は東北自動車道へと入った。どうやら淡水がメインの水族館らしい。水族館といえば海辺という概念が間違いだったようだ。それにしても、何故栃木なのだろう。
「半日、遊んだら日光行くからね。」
ようやく僕は北条さんの意図を察した。北条さんの本当の目的は聖位大将軍だ。僕も懐鏡を貰った時に会っただけで、その後は音沙汰もない。色葉を守る事が出来るのは、将軍のお陰と言っていいのだから、一度お礼を言いに行くのも悪くはない。この人数ならば大友の気を引くくらい誰かが出来るだろう。途中、トイレ休憩も兼ねてお茶屋に寄った。
「しゃ、社長!? お忍びですか? 」
店長らしき人物が慌てて飛んで来た。
「しっ。声が大きい。今日は友人と観光に行く途中、たまたま寄っただけです。騒がないでください。」
何か副将軍の漫遊のような光景だ。いや、社長兼、会長兼、CEOなのだから将軍が自ら来たようなものか。それは確かに慌てるかもしれない。
「煩くして申し訳ありません。店舗が多いものですから。」
佐野さんの言葉に嘘も嫌味も無い。佐野茶房といえばトップクラスの店舗展開を誇っている。卸し先も含めれば避けろという方が無理なくらいだ。水族館に着くと地元の川魚や南米の川魚など、色葉やミッチーには目新しい魚ばかりだろう。それに大友と佐野さんがついて回り、僕と北条さんは少し離れて見ていた。
「北条さん、将軍に何の用ですか? 」
「フフ、やっぱり気づくわよね。」
やはり僕の睨んだ通りらしい。
「ちょっと言ってやりたい事とか、お願いしたい事とかが貯まってきたのよ。だから、一度会っておこうと思ってね。」
「会えるとは限りませんよ? 」
「その時は啼き竜の所で鈴でも買って帰るしかないわね。」
どうやら、具体的にどんな話しをするつもりかは教えてくれそうにない。
「会長!? ようこそ、お越しで。」
那須から日光に向かう途中でも、行きと同じような光景が繰り返された。そういう意味では、マスコミに追われなくても佐野さんのプライベートは少ないのかもしれない。東照宮に向かう途中、違和感を感じた。前に将軍と会った日には感じられなかったものだ。
「鍋島氏っ! 」
何かに気づいたミッチーに呼ばれた。僕が佐野さんの方を見ると、佐野さんは黙って頷き、大友に声を掛けた。あくまで確率の問題だが、一番狙われないであろうは大友。次に佐野さんだ。北条さんも佐野さんと同程度の確率だと思っていたが、北条さんは何かを確信したかのように怪しい空間に自ら入って行った。
北条さんは何者ぞ?




