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アシュド・グレイと灰の亡霊たち  作者: remono
第一部 世界を墜とすと騙るものが奇蹟を起こすまで
14/18

聖地(前編)

 血と鉄と煙の臭いが風に乗ってやってくるような気がした。聖都が近いな、とリディアは思った。

 人と会うことを避けて夜も歩きつめて十日。ようやくリディアは信仰国家イシュマエルの最南部イシュマエル地方の北の端にたどり着いた。


 その間、腹が減ることもなく水を飲む必要も無かった。灰殺しのわずかな恩恵か。リディアは自嘲する。いや、リディアは飲食を忘れたのだ。飲もうとした水は汚れ、食べようとした食物は腐り、リディアは灰殺しの意味を嫌と言うほど思い知っていた。


 それでも生きていられるのは自分が灰殺しだからか、それともこの世界が仮象のものだからか。リディアはもうそんなことどうでも良く。ただひたすら呻くように聖都に向けて歩く。


 道はだんだん太くなって行く。細い方の道を選んでもどんどん太くなる。それが聖都イシュマエル。聖地である信仰の証。人々はこぞって道を太くし、聖都の壮大さをたたえるのだ。


 しかしその道に人通りはほとんどない。聖都の栄光は過去のものとなった。いまはザルード帝国と戦う最前戦。それが聖地イシュマエルの現在のありようだった。


 はじめに見えたのは尖塔のように立ち上る煙だった。


 やがて巨大城塞都市でもある聖都イシュマエルの偉容がリディアの目にも映ってきた。野営の陣は聖都からあふれていて、ザルード自慢の騎馬が入らないように木の楔が線のようにイシュマエルの背後を幾重にも取り囲んでいた。そしてそこは戦死者の捨て場所にもなっていて、薄く土がかけられた死体から腐った臭いがあふれ、腕や足が天に突き立つように伸び、それそのものや、それにたかった虫をたくさんの鳥がついばんでいた。煙はイシュマエルの城塞の中と外の隔てなく昇り、戦闘がすでにイシュマエル城内に及んでいることがわかる。


「これが、今の聖都か」


 リディアは呟く。そしてまた歩き出した。巡礼者の装いをしているがこの惨状では受け入れてくれるだろうか。または灰殺しだと気づかれないだろうか。心配事は多いが、リディアは聖都に向かって進むしかなかった。


「止まれ!」


 聖都に向かう唯一の道――聖都大通りの中ほどで、リディアは守衛隊の検問に呼び止められた。

 リディアは持っていた剣を渡す。武装解除の意味だ。しかしマルクート(こしら)えの優美な装飾は守備兵の目を惹いた。


「お前には似つかわしくない武器だ」


 守備兵が言う。リディアは小声で答えた。


「……申し訳ありません、拾いものでございます」


「本来の持ち主は?」


「死んでおりました」


 守備兵はリディアの風体ふうていを見る。両手と両足、四つの末端と額にきつく包帯が巻かれている。包帯はところどころ変色し、そこから死の臭いが守備兵にも感じられた。


「巡礼者か、行け!」


 リディアは謝意を言って歩き出す。その後ろ姿を見て守備兵は思った。


『死病かなにかだろう。若いのにかわいそうに』


 と、がらがらと音を立てて次の客がやって来た。守備兵はリディアのことを頭から消し自分の任務を遂行する。

 

 続いてやって来たのはアシュドとギュスターヴを乗せた幌馬車である。ここまで馬を変え変え急ぎでここまでたどり着いたのである。

 どうせ最前線に立たされて散る命だ。検査もおなざりで仮の枷をはめていたアシュドもギュスターヴも見とがめられることはなかった。馬車は検問を抜けがらがらと進みだし、先行するリディアの側を通る。それと気づかずアシュドと灰殺しが交錯する。


 馬車は城門で二度目の適当な検査を受け城内へ入る。


「そろそろ降りるぞ」


「はい!」


 入り組んだ城内で馬車が速度を落とす。ギュスターヴはアシュドに言い、二人は人目がない時を見計らって鍵のかかってない枷を外し馬車から飛び降りた。


「ここが聖地ですか。特に何も感じませんが。道中あなたといろいろ話ができて楽しかったです」


「そうか、俺は君の無知さに驚いたが」


 アシュドが言うとギュスターヴが返す。


「無知なのは申し訳ありません。しかしなんだか煙いですね。あと鉄と血の臭いがします。ここが戦場だからでしょうか」


「そうだ。ここはザルードとの最前線。血と鉄こそが戦場の習わし」


 アシュドが感想を言い、ギュスターヴが歌うように返す。そしてアシュドに手をさしのべていった。


「ここでお別れだな。俺は息子のトーニオを探す」


「では僕は聖都の信者さんに会いに行きます」


「ではな、二度と会うことはないだろうが」


「いや、そうとは限りませんよ?」


「はは、そうかもな、では!」


 そう言って二人は今度は本当に手を握り合い、離すとギュスターブは馬車が進む方向へ駆けていった。アシュドはそんなギュスターヴの背中を見送っていたが、自分の用を果たすために聖都の中心へと向かった。聖都の狂信者。彼らは本当に惑星の賢者のことを知っているだろうか。そしてアシュド自身も知らなかった聖都に降り立ったとされるアシュド・グレイの足跡。それは一体どのようなものなのか。アシュドは一路、聖都の中心である大聖堂へ向かう。

 

 大聖堂は、戦場の声も遠く、その偉容をいまだ保っていた。建物に釣り合った巨大な広場に巡礼の者が幾人かいて、祈りを捧げたり、休息したりしていた。しかしその数は少ない。やはり戦乱が影響しているのか。アシュドはそう思い、大聖堂を守る兵士に話しかける。


「すみません! この中に入りたいのですが!」


「この中は侵入禁止だ。外で祈れ」


 アシュドの願いはむべも無く断られる。アシュドは切り札を出すことにした。


「どうしても中に入りたいのです。僕の名はアシュド・グレイ。この第八十七次仮象幻想世界を墜とす化物です」


「アシュド・グレイだと?」


「はい。大地のへそを隠した惑星の賢者についてここにいる信者さん達に聞きたいことがありまして、ここへやってきました」


 アシュドの言葉に兵士は驚いたようだ。アシュドに言う。


「待て、あなたが本当にアシュド・グレイなら中の聖職者に伺いを立てねばならぬ。少し待っていろ」


 そう言って兵士は逃げるように中へ入っていった。別の兵士がアシュドを遠巻きに見張る。『少し』と兵士は言ったがかなりの時間が経ってもまったく兵士は戻ってくる気配はなかった。アシュドは待ちぼうけで大聖堂の入り口にぼんやりと立つ。

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