失敗した尾行と成功した尾行
大学に戻ってきたころには日は暮れかかっていた。大学裏にあるわたしのアパートの駐車場に車を止め、歩きで大学に入った。夏休みで裏門は閉まっていたけれど、入ることが出来ないわけではなかった。いや、正門は半分だけ開いているのだけど、そこまで回るのは遠かったし、第一馬鹿らしい。そう考えた学生は何人もいたらしくて、サークル棟の裏あたりにはフェンスに隙間があった。誰かが切ってあけた「通用門」だった。
その「通用門」を通り、サークル棟の薄暗い階段をのぼって「杉並大学探偵事務所」のプレートがかかった扉を開いた。そこには、田辺がソファで寝転んでいた。どうやら寝ているらしかった。レポートらしき紙の束と何冊かの本が積まれておいてあった。見ると、レポートにはたった一行、タイトルだけが書かれていて、あとは真っ白だった。
「何これ、書きはじめた瞬間、寝たの?」
わたしがつぶやくと、田辺は「うーん。」とか言いながら目を覚ました。
「あ、奈々先輩、犯人がわかりました。」
突然、そう言ったのでわたしは唖然とした。この唐突さ、ホームズのようではないか。けれど、その眼は淀んでいて、寝ぼけているのは間違い無かった。
「あ、そう。なんの犯人が分かったんだ?」
町田がそう聞くと、
「2丁目のタマの朝ご飯を盗んでいたのは、同じ町内にすむ石川さんです。」
誰だ、それは。
「あ、そう。じゃあ、逮捕しに行ってくれ。」
田辺は一瞬我が耳を疑うように町田を見つめたけど、
「分かりました。」
といって、夢の世界へと戻ろうと横になった。なるほど、正しい判断だ。
「馬鹿。起きろよ。」
町田は、八つ当たり気味にそう言った。タイアが古かったのは確かだったけれど、車の運転で負けたのが悔しかったらしい。大学まで帰る途中もずうっと言い訳をしていた。ヨーロッパ車は足回りがいいから、とかなんとか。
現代の男性にとって、女の扱いと車の運転が下手といわれることが最も傷つくことであるらしい、と何かの雑誌で読んだことがある。
車の運転と一緒にされたくは無いけれど。
田辺は、それでもすやすやと眠ってしまった。この、何処でも寝られるという才能は素晴しい。しかも、レポートをがんばっていたから疲れた、とも思えない。
「それよりもアスト、今晩どうする?」
寝る、という単語で、わたしは、ずうっと気になっていたことを口にした。こういうことは先に決めておいたほうが、後々めんどくさいことにならないですむ。その日の夜は、町田の部屋でふたりっきりになるわけだし。
「奈々、自分の部屋で寝る気には、まだなれないのか?」
怒っているのか、とも思ったけれど、町田の顔は心配で言っているように見えた。普段なら突っ込みの一つでも入れるところだけれど、今回は遠慮しておいた。
「うん、そうしてもいいけれど、出来れば一人にはなりたくないわ。」
「そうか。」
気乗りしなそうな顔で町田は言った。
「何か、予定があった?」
「うん、ちょっとな。」
そう言って再び黙った。
「じゃあ、いいわ。自分の部屋で眠るわ。でも、電話するかも。もし、12時までに電話が無かったら・・・・。」
「安心して寝ていいって?」
「ううん、見に来て。」
「なんで?」
「殺されているかもしれないし。」
「なんで?」
「なんでって言われても。」
その時、むくっと田辺が起き上がった。
「奈々先輩、殺されたんですか?」
寝ぼけたまま驚いた顔をするという、笑いを堪え切れないような表情で田辺は言った。
わたしは、おかしくなって笑ってしまった。
わけがわからなくて、田辺はぼうっとわたしを見ていた。
その夜は、サークル棟で田辺と二人、酔いつぶれることに決まったはずだった。わたしは一人でいたくなかったから、田辺のレポートを手伝ってあげることにしたのだ。レポートが終わったら朝まで飲み会にするつもりだった。町田の用事は聞かなかったけれど、どうせ女だろう。別れた彼女が来るとか、そういう事なんじゃ無かろうか。夕食に出かけるときに、町田はそわそわしながら帰って行った。
「尾行しましょうか、奈々先輩。」
田辺は冗談とも本気とも分からない口調で言った。
「そんなことより、レポート大丈夫なの?それ、明日までなんでしょ?」
「そうですけど、町田先輩を尾行するの、面白そうだし。」
「そりゃあ、田辺君がいいなら、わたしはどっちでもいいけれど。」
普段なら、ばっかじゃないの、と一蹴していたかもしれない。でも、一人になるのが怖かった。一人で静かにしていると、あの恐怖がよみがえってきそうな、そんな気持ちがしていた。真っ暗なトランクに押し込めれて何処に行くともわからないまま連れ去れていく恐怖。例え悲鳴を上げたとしても、誰も助けには現われないベッド。誰にも守ってもらえない寂しさ。
「じゃあ、カローラバンのキー取ってきます。」
そういうと、ダッシュで降りかけた階段を駆け上がり、またすぐに降りてきた。
「取ってきました。」
ものすごい早さだった。
そんな感じで、その夜酔いつぶれるという計画は無しになった。
町田は自分の車の中で携帯で誰かと話しているようだった。
「女の人ですかね?奈々先輩。」
知らないわよ、とは思ったけど、思わず見てしまった。町田は深刻な顔をしていた。約束の時間に遅れているのかも。
「あ、動きます。」
町田のシルバーのレビンが動きだし、田辺はカローラバンをゆっくりと走らせはじめた。
「町田先輩、この車知っているから、細心の注意で尾行します。」
田辺は緊張気味に言った。ようするに、尾行の練習をしようってわけか、田辺。それならわたしの役は教官かな。でも、疲れていたからこう言ってみた。
「がんばって。わたし、少し寝ていいかな。」
「え、あ、いいスけど。寝るんですか・・・・。」
田辺は意気消沈のおももちで言った。
「分かったわよ。見ててあげるわ。」
「あ、うれしいです。」
田辺は途端に元気になった。そんなに、元気よくアクセル踏んじゃ追いついちゃうわよ。
町田は学校の裏の道をゆっくりと走り抜けていった。
「自分のアパートなら、次の角、右ね。」
「左に曲がってくれないかな、町田先輩。アパートまで尾行しても面白くないっすもん。」
わたしは町田にさっさとアパートに帰って欲しかった。
「あ、やった。左です。何処に行くんでしょう?」
楽しそうに田辺は言った。
町田は急いでいた。黄色の信号は迷わずに通り抜けた。尾行するのは難しい。もう暗くなっていたし、郊外の道だった。街の中とは違って、信号の一つで随分と距離が離されることも有り得るからだ。窓から見える景色の半分は昼間なら青く繁った稲だと分かっただろう。あとはコンビニと中古車屋。空には星が出ていた。
「窓開けていても、暑いわね。」
わたしは、誰に言うともなく言った。
「エアコン、かけましょうか?」
田辺は言ったけれど、
「壊れているの知っているでしょ。」
「ええ。突然直っていたりしないかなって思って。」
「直らないわよ。」
正直に言えば、その時は尾行を巻かれてもよかった。町田を尾行しても仕方無いと思っていたからだ。町田の女性関係なんかどうでもよかった。田辺がこれほど熱心に尾行しているのも、町田の女性関係を知りたいということよりも、ただ尾行したいだけなんだろう。わたしと町田がしてきた話を聞いて、自分もやってみたくなっただけなんだろう。
だからといって、田辺が真剣でないわけもなかった。
本番の練習にもなるし、田辺の場合、実は町田の女性関係を調べることが楽しいのだ。それで、何かするわけでもないけれど。
「あ、また信号を。」
そう田辺が叫んだので、わたしは顔を上げた。シルバーのレビンは黄色から赤に替わる直前に行ってしまった。2台はさんだ後ろにいた私達はどうすることも出来なかった。これで5台くらいは車をはさむことになる。無理やり追い抜きでもしないかぎり、片側1車線の道では徐々に見失うことになるだろう。
「あんまり曲がってこないで欲しいなあ。」
田辺は心配そうに言った。教官としては何かアドバイスしておくか。
「何台か追い抜きましょう。見失うわ。」
見失ってもいいけど。
「このポンコツで、ですか?」
「そうよ。大事な尾行のとき、少々の無理はつきものよ、田辺くん。」
ま、これは大事な尾行じゃないけれど。
「わかりました。」
そういうと、突然車のギアを入れ、脇のコンビニに車を乗り入れた。そのまま、交差する道路のほうへ出ると、黄色に替わりかえた信号へ突っ込んで行って左折した。
「こんな感じでいいですか、奈々先輩。」
「まあ、そうね。」
わたしは、あきらめて田辺の尾行練習だと思うことにした。かなり、やる気だし。
そのままの勢いで加速していくと、すぐに前の車に追い付いた。それを追い抜こうと田辺はセンターラインぎりぎりでタイミングを計る。
「前の車にプレッシャーをかけちゃ駄目よ。逆切れするドライバーもいるわ。抜くときは一気に。それまでは車間距離をとって。」
「はい。」
田辺はすっと前の車から離れた。
「4台前に町田の車が見えたわ。左折のウインカーを出してる。」
「わかりました。」
田辺も左折のウインカーを出す。ギアを2速に落し、加速体制に入った。
「駄目よ、ゆっくり加速して。今、あの車との間には1台もいないわ。一気に距離をつめれば分かるわよ。」
「ライト、消しましょうか。」
「余計目立つわよ。」
わたしは、あきれて言った。
「あ、町田先輩、コンビニに入ります。」
「じゃあ、そこで車を駐めて。ハザードは出さないで。すぐにヘッドライトを消して。いつもならコンビニに入れてもいいけど、町田にはすぐ分かるでしょうから、この車。」
「わかりました。」
田辺は素直に車を駐めた。
「これから、どうするんですか?」
「待つのよ。あの電話のかけ方なら、急いでいるはずよ。すぐに出てくるわ。」
「何を買っているんでしょうね。」
田辺は、ひとりで妄想をふくらませているような顔で言った。
町田は、すぐにコンビニから出てきた。
「あれ?」
町田のすぐ後ろにでてきた女性が町田の車に近寄ると、そのまま助手席に乗り込んだ。
「あ、ここで待ち合わせたんだ。」
田辺はそういうと、カローラバンのクラッチを踏んだ。
「待って。」
そう、わたしが言ったのは意味があったわけでは無かった。ただ、自分の目が信じられなくて思わず口から出ただけだった。
暗かったし、遠くだからはっきりと見えたわけではなかったけれど、車に乗り込んだ時に店の明りに照らされた、その女の横顔は、奥村彩子、本人に見えたからだ。




