追跡
西口が去った後、町田も彩子もなかなか帰ってこなかった。
雨は上がって、午後の日差しが雲の隙間から顔を覗かせていた。季節がなんだったかを思い出したかのように、強い日差しは地面の水分をじりじりという音が聞こえそうな勢いで蒸発させていた。
当然それは車の中にも影響を及ぼした。
汗で崩れていくメイクを直そうと鏡を覗く、わたしの額を汗がつたっていった。無駄な努力だと思った。いっそ、洗い流してしまいたい。寝不足がたたってか、ほおに小さな吹き出物が出来ていた。余計に落ち込んだ。
ともかく、車から出よう、と思った時、町田の姿が見えた。のろのろと歩いてくるのを見て、無性に腹が立ってきた。
「悪い、悪い。暇だったか?」
町田はそう言いながら運転席に座った。エンジンをかけて窓を開けながら、
「暑いな。窓くらい開ければいいのに。」
と、言った。文句を言う気力も無かった。エアコンから冷気が吹き出し、わたしはようやく話すことが出来る気分になった。
「アスト、ちょっと後ろに止まっている黒い車、見える?」
後部座席から身を乗り出すようにして町田に話しかけた。
「ん?オペル・ベクトラかな、あれは。」
「そう、その黒トラ。」
「ベクトラだって。」
「なんでもいいけど、彩子の車なの。」
「だから、ベクトラだって・・・、何?彩子?」
「うん。だからさあ、車を動かしたら、少し離れたところで見張っていようよ。」
「そう、だな。」
乗り気ではなさそうに、町田は言った。
「なに?嫌なの?」
「そうじゃないけど、腹が減って。何か食いたいなあ・・・。」
のんきだな、アスト。わたしはお腹なんて減ってないのに、と思いかけて、さっきの喫茶店でサンドイッチを食べたのを思い出した。それでか。
「我慢して。」
「我慢しろって・・・。」
オートマをドライブにいれて、町田は車を動かした。仕方なさそうに最初の角を曲がる。田んぼの真ん中の道は距離が少々離れても、充分彩子の車が監視できた。一区画はさんだ向こう側の道に車を停めてエンジンを停めた。窓は全開のままだった。
「早く来てくれるといいんだけど。」
町田はぼやきながら、その黒いオペルを見つめていた。
「けど、いい車だな、あれ。」
「そう?普通のセダンじゃない?」
「まあ、そうなんだけど。300万はしないだろうし。」
「そんなに、高いの?うちのカローラバン、10台以上買えるわね。」
「そんなもんと比べるなよ。あれは確か10万の車だぜ。」
「じゃあ、30台くらい買えるわけか。」
「そうじゃなくて・・・。」
言いかけて、町田はふと考え込んだ。
「なあ、奈々。彩子は何処で金を作っていると思う?」
「え?」
「あいつさあ、どうみても25にはなってないだろう?そんな女がだぜ、300万の車持っていて、そのうえ奈々を湖に沈めるために別の車を1台用意して。」
「そういえば、そうね。」
「何処から、その金が出てくるんだろうな。」
その時、町田のお腹がきゅうっと鳴った。
「緊張感、ないね。」
「仕方ないだろ。」
町田は、ふてくされたように言った。
「親の金なんじゃないの?」
わたしは、町田にそう言った。
「いや、そうではないと思う。彩子の実家、見て来たんだけど、金持ちそうじゃなかったよ。自家用車は10年くらい前のクレスタだったよ。」
「クレスタって、高いんじゃないの?」
「新車ならな。10年落ちの中古じゃ30万くらいだろ。」
「新車で買ったやつ、大事に乗っているんじゃない?」
「いや、そうでもない。バンパーが曲がってたから。」
「だからって新車で買わなかったってことないでしょ。」
「あのね、金があればね、バンパーを直すか買い換えるかするでしょ。どっちもしないってことは、金が無いってことでしょ。それに、ナンバーは500だったよ。」
「500?」
「千葉とか書いてある隣の小さい数字のところ。あの年式のクレスタを新車で買ったなら56とか、そういう二桁の数字じゃないとおかしい。」
「ふーん。じゃあ、わかった。彩子に金をせびられるんで、金が無いんじゃない?」
「ま、そうかもしれないけど。それにしてもオペルは高すぎる気がするんだけどな。」
そこで、町田はタバコを取り出した。
「それに、彩子は実家に帰ってないみたいだし。」
「なんでかな?」
「さあ。謎の多い人物なんだよねえ。」
頼りない言い方をして、町田はタバコの煙を窓の外へとはき出した。
「ねえ、アスト。他には何か聞き込めなかった?」
町田はタバコの灰を窓の外へ落しながら、
「うーん。」
とうなった。
「立ち聞きしていただけなんだけど、いろいろうわさ話は聞いたよ。」
「うわさ?」
「そう。裕樹さん、殺されたからさ、そういう話はあちこちでしてたよ。」
「例えば、どんな?」
「根拠の無いものばかりで。結局、結論は一つだよ。地元では、成績優秀で真面目な男で通っていた。」
「なによそれ。」
「だからさあ、向こうで悪い女に騙されたんじゃないか、とかさ。変なところから借金してたんじゃないか、とかさ。根拠の無いうわさばかりでさ。具体的な名前は出てこなかったんだよ。つまりね、地元で知っている人には裕樹はうらみを買って無いってことだろ。」
「彩子を除いて、ね。」
「そういえば、彩子の話も出なかったなあ。」
「ねえ、わたし、裕樹の友達っていう人と話をしたんだけど。」
「ん?」
町田は興味深げにこちらを向いた。
「あんまり、いい人っぽくなかったなあ。」
「その友達が?それとも裕樹さんが?」
「ううん、両方かな。」
「どんなこと言ってた?」
「興味の無くなった女にはすごく冷たい、とか。」
「ふーん。」
町田は、目をそらすように窓の外に視線をずらした。
「何か、聞いた?」
わたしは、その町田の表情に違和感を覚えて、そう言った。
「実は、おれも、そういう話を聞いたんだよ。」
言いにくそうにしながら、町田は手の中でハンドルを握ったり離したりした。
「裕樹さんって、表向きはいい人なんだけど、深く付き合うとそうでもない、みたいな言い方をする人がいてさ。まあ、その人なりの見方があるんだろうけど。」
「彩子が裕樹を追いかけているのも、そういう感じなのかな。」
「そういう感じって?」
「以前、捨てられたとか。」
「さあ・・・・。」
町田は、またしても言葉をにごすように宙を向いた。
「アスト?」
わたしは町田の顔を覗き込みながら名前を呼んだ。
「ん?」
「聞いてる?」
「ああ、聞いてるよ。ただ、腹が減ってね。」
そう言うと、町田はシートを倒した。町田のお腹が、また、きゅうっと鳴った。
彩子は、1時間ほどした後に、やっと現われた。一人だった。持っていた傘を無造作に後部席に投げ込んで乗り込むと、すぐに走り出した。わたしは、運転席の町田を叩き起こして車を出させた。
田舎道の尾行は目に付きやすい。他に車がいないのだから、ぴったりと付いてくる車があれば、すぐに分かってしまう。ましてや、こちらの顔を向こうは知っているのだから。
黒いオペルはあぜ道をぐんぐんとスピードを上げていった。見失わないようにするにはこちらも速度を上げるしかなかった。それでも、ある程度、距離を置く。
「これ、難しいよ。」
町田は、じっと前方のオペルをにらみながら言った。彩子が後ろに注意しているのだとしたら、誰かが追いかけているのはすぐに分かっただろう。あまりに見通しが良すぎて、目立たないように尾行するのは不可能だった。畑ばかりで、しかも、平らな土地だった。これが、もう少し山のほうなら、まだマシだったかもしれない。
けれども、彩子は飛ばすものの尾行に気付いているようにはみえなかった。目的地に向かって知り尽くした地元の道を走っている、ように見えた。
「高速に乗るなら、こっちじゃないんじゃないか?」
町田は、不審そうに言った。
「帰るなら、こっちじゃないわね。」
わたしも、同意した。すると、彩子は何処に向かっているのだろう。
「どうでもいいけど、何処かコンビニでも寄ってくれないかなあ・・・。腹減って気持ち悪いよ。」
町田はぶつぶつと文句を言った。
しばらくは、何処にも寄らないで田舎道を飛ばし続けていた。人のない3桁国道だった。それでも道は、平坦でまっすぐだった。道幅も充分にあるところでは、時速100キロ以上になることもあった。運転がうまいというよりも、ただ無闇に飛ばしているようにも思えた。
ただそうなると、追いかけるのも露骨になってくる。距離を置いていると、視界から消えておしまい、となってしまう。ペースが一定じゃないから、予測も立たなかった。
「事故りそうな運転だな。」
町田がぼそっとつぶやいた。
「そうね。」
町田には言わなかったけれど、わたしには、彩子が事故を起こしたい、と思っているように感じた。彩子の愛し方に問題があったとは思うけれど、好きな人を失ったつらさだけは理解できる。たとえ自分で殺したのだとしても。それは後悔というのとは少し違う。言ってみれば『むなしさ』かもしれない。愛するものを失ったむなしさ。過程や自分のしたこととは関係なく、最後に訪れた心境。
きっと彩子には、踏みつけたアクセルから足を離せなくなる瞬間があるのだろう。このまま踏み続けていれば、苦しい気持ちから抜け出せるんじゃないか、と思える瞬間が。でも、同時に心の何処かで「そんな馬鹿な」と言う声も聞こえるのだ。意味のない行動はよせ、とかそういう声だ。諦めるしかない事を諦めようとする心だ。でも、そうじゃない、とまた何処かで悲鳴をあげる。
このまま事故でも起こして死んでしまえば・・・。
そう思える瞬間がある。その時、アクセルから足を離せるのは、自制心でも諦めでもなくて、確実な死を、そのスピードがもたらしてくれるのかに、自信がないからかもしれない。
タイアが悲鳴をあげて、わたしは考え事から目の前の景色に引き戻された。
「峠道に入っちゃったよ。」
町田は気にくわなさそうな顔で言った。彩子の車はカーブがあるたびに揺れながら走っていく。あぶなっかしい運転だった。
「どこまで行く気なんだ、いったい。」
ぶつぶつと文句を言いながら、オートマのセレクターを2速に固定すると、町田はアクセルを床まで踏みつけた。甲高い音を立ててエンジンが悲鳴をあげた。
「アスト大丈夫?無理しなくてもいいよ?」
町田はちらっとこちらを見て、
「オートマとはいえ、こっちはスポーツカーだぜ。5バルブ4AGなんだぜ。」
と、意味不明の記号を並べた。説明を求めても、たぶん理解できないから、わたしは聞き流すことにした。たぶん、速い車だと言いたかったんだろう。町田はペースを上げはじめた。タイアは悲鳴を上げ、エンジンも悲鳴をあげた。
「間違っても抜かないでよ。」」
わたしは、そういうとシートベルトを握りしめた。ま、ガードレールもあるし、何処かにぶつかっても怪我はしないだろう。そう思った瞬間、車がすべった。右カーブで左側は崖、右は岩肌だった。しかも、そこのガードレールは先客によって壊されていた。誰かが落ちたってことだ。
「あ、やばい。アンダーだ。」
また、意味の分からない専門用語を口走って、町田はそのガードレールの切れ目をみつめたまま固まっていた。タイアはすさまじい音をたてて車を止めようとしていた。どちらかというと聞きなれた「キー」という音ではなくて、「ごりごり」という消しゴムでこするような音がしていた。ハンドルを切った方向に進まずまっすぐ進んでいた。ちょっと止まりそうになかった。
ふっと車が揺れて、町田はブレーキを緩め、ハンドルを切り直した。ガードレールぎりぎりを大回りでカーブを回り切った。
「峠道でそんなに飛ばすこともないか。どうせ1本道だし。」
町田はそう言うと、セレクターをドライブに戻した。
おいおい。他に言うことがあるだろう。
そんなことをしているうちに、彩子の車はカーブの先に消えていた。それにしても、あんな運転で、よくもこんなに速く走れるもんだ。すごくいいタイアでも付けているのかもしれない。どんなに馬力があっても、それを伝えられないんじゃ話にならない。ひょっとしたら、町田、タイアは古いままなんじゃないんだろうか。雨上がりで道は濡れているし。
「奈々、地図見てくれ。」
そう言うので、シートの脇に差してあった道路地図を引き抜いて広げた。出発した場所から順を追って現在地を割り出す。
「この先、分かれ道はあるか?」
ずうっと指で道路をたどる。
「5キロくらいは無い。」
「そうか。直線はあるか?」
「少し先にあるみたい。」
「よし、そこで追い付こう。」
あっさりと、そう言うと、安全運転で走り出した。
その直線は、山あいの道だった。林の中に道路をくりぬいたような薄暗い道で、見通しは悪かった。飛ばす、といっても限度があった。それから、彩子の車は、見えなかった。
「これはやばいかもなあ、見失ったかも。」
町田は、そう言いながらアクセルに力をこめた。エンジンが高鳴りスピードがぐんぐんと上がっていった。
それでも、彩子の車は見えてこなかった。
「駄目かもしれない。」
町田はそういいながら、さらにスピードをあげた。メーターは120キロを差していた。
「もう、いいよ。アスト。」
わたしは、そうっと言った。
「あきらめよう。住所は西口刑事に聞けばいいし。今日はこのくらいにしよう。」
町田は、それでもスピードを緩めなかった。直線が終わり、また峠道にさしかかった。減速して、ギアを2速に固定してなるべく速いペースを保っていた。それで、タイアは鳴りっぱなしになった。
けれども、彩子の車は見えてこなかった。




