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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
瞑想は水底に沈んで
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葬式と雨と私

 わたしは、すぐに寝てしまったようだった。疲れていたんだろう。昨日の夜は湖につき落されて、昼間ほんの1時間くらい車のなかで眠っただけなのだ。眠るなというほうが酷だ。それでも、町田がシャワーから出てきて、そばまでやってくるのは気がついていた。

「おい、寝たのか?」

わたしが返事をしないので、町田はソファに歩いて行って、テレビのスイッチをいれた。途端にあえぎ声が部屋中を満たし、町田は慌ててボリュームを下げた。

 気配で、こっちを見ている様子が分かった。

 違うわよ、そんなビデオをわたしが見ていたわけじゃ、と言いたかったけど、そういうことを言うと、起きているのがバレるので、黙っていた。なんとしても、今夜はベッドで眠りたかった。しかし、そんなことよりも早くチャンネル替えて。

 そんなことを考えながら、それでもわたしは眠ってしまった。心の何処かで、町田を信用している、のかもしれない。それとも、眠かっただけかもしれない。


 目が覚めたとき、町田はもう起きていて、枕元でわたしを見ていた。

「ようやく目が覚めたか?奈々。」

そういう町田はすっかり出かける準備が整っていて、見下ろしていた。ベッドに腰掛けてから、町田は、枕元のデジタル時計を指差した。それは6時を指していた。7時までにチェックアウトしなくてはいけない。だから、わたしはすぐに起き上がった。寝不足だとは感じなかった。実際には6時間弱の睡眠だったと思うけど。普段に比べれば少ない方だろう。でも、アルコール抜きで寝たから目覚めは良かった。

 いつも思うことだが、アルコールは体に悪い。眠りにつくためにウイスキーを飲んだって、睡眠自体は浅くなってしまう。いくら寝ても疲れている。


 ラブホテルを出たのは7時きっかりのことだった。車は裕樹の葬式に向かって走った。朝だというのに、車の少ない田舎の国道を昨日の村に向けて走っていると、昨日は無かった暗い雲が空を埋め尽くしていくのが見えた。

「雨になるかもしれないな。」

町田は独り言のように言った。

 雨なら大歓迎だ。好きなだけ降ればいい。とくにこんな日には。

「傘もって来て無いなあ。」

また独り言のように町田はつぶやいた。

 着替えは持っているのに、傘は持っていないなんておかしなやつだ。町田にとって、傘は寝袋やカセットコンロ以下の存在なんだろうか。夏だというのに、雨に濡れることよりもお湯を沸かすことのほうが重要なのだろうか。

「濡れるのやだなあ。」

じゃあ、傘持ってこいよ。

「奈々、持ってきた?」

町田がそう聞くので、わたしも持ってきて無いことを白状した。やっぱり、わたしにとっても傘は重要ではないらしい。


 雨は、すぐに降り出した。途中での天気予報によれば、それは一日中降り続くはずだった。

 奥村彩子が現われた場合を想定して、葬式には町田が一人で行くことにした。わたしは畑の中の道に他の車にならって路上駐車した車の中から話を聞けそうな人がいないかをチェックして、彩子とばったり出会うのを避けつつ、情報を集めることにしてあった。

 雨は一向に止む気配はなく、夏だというのに上着が欲しくなるような気温だった。真っ黒な服ばかりが歩いていたけれど、そのどの顔にも汗はにじんでいなかった。

 しかし、車の中は別だった。

 じっとりと湿度が上がった車内は暑いうえに気持ち悪い。後部座席にブラックのシールドが貼られたシルバーのレビンから、話しかけやすい20台前半の人間を探していたけれど、そのわたしの顔にはべっとりと汗がにじんでいた。揺れる車の中で苦労して描いた眉毛やファンデーションが崩れるのは時間の問題だろう。

 いいんだけど。どうせうまく出来なかったから。

 ぴっちりと閉まっている窓をじっとにらみつつ、どうして町田はキーを持って行ってしまったのか、とわたしは苛立っていた。パワーウインドーでは、暑くてもキー無しでは動かない。かといって、ドアを開けるわけにもいかない。

 トランクを開けようかと考えていたら、3台後ろに黒いオペルが止まるのが見えた。彩子の車に間違い無かった。見つけられる可能性は少なかったけれど、わたしは緊張した。町田の車のシールドは横の窓の色は黒いけれど、後ろと前の席のガラスはもとのままだった。曲面に貼るのは難しいんだよ、とかなんとか。わたしは首をひっこめて、外から見えないようにした。

 彩子は一人だった。

 そこで思い出したことがある。一昨日わたしを湖に沈めようとしたとき、彩子は男と一緒だった。そいつは何処にいるんだろう。なお悪いことに、わたしはそいつの顔を知らなかったけれど、そいつはわたしの顔を知っている。しばらくは、わたしは死んだことにしておいて欲しかった。そのほうが、安心して生活できる。

 彩子の方は、こっちには全く気がつかないで、雨を避けるように小走りで去って行った。わたしはどうしようか迷ったけれど、傘を出して後を追うことにした。傘は途中のコンビニでビニールのやつを買ってあった。

 彩子は後ろなんか振り向かないで早足で歩いていた。ここへ車で来たということは、実家には戻らなかったのだろうか。実家に戻っていたのなら、そちらから直接行くだろう。実家には行けないわけでもあるのだろうか。

 彩子の後ろ姿を見ていたら、だんだんと腹が立ってきた。わたしを殺そうとした人物なのだ。いらいらして、思わず声をかけて驚かせてやろうか、と思った。彩子はわたしのことを幽霊だと思うかもしれない。わたしは死んだと、思っているに違いないからだ。

 けれど、もう一歩の所で踏みとどまった。それに、彩子は傘を左手で持っていたけれど、右手には白い包帯が巻かれていたのを見たからでもあった。あれは、わたしが噛みついた傷だろう。それで、少し怒りがおさまった。

 葬式の参列者は思ったほど多くはなかった。少なくても外からはそう見えた。町田にしてもわたしにしても、まさかここで葬式に出るとは思わなかったから、そういう服は持ってきていなかった。わたしは、それでも黒のワンピースがあったから、それを一応着てはいる。でも、葬式用ではない。よく見れば、それがペラペラの綿で出来ていることはすぐわかるだろう。カジュアルな服だった。町田はどうやって葬式の中を歩き回っているんだろう。

 人は多くなかったけれど、出入りは激しかった。総数はたくさんいるけれど、出棺を待たずに帰る人も多いのだろう。雨だから、仕方無い。わたしは、家には入らずに外で待つことにした。彩子は、そのまま門をくぐって入って行った。

 雨はスニーカーを濡らしていった。もう、靴下まで濡れて気持ちが悪い。彩子はなかなか出てこなかった。


 彩子を付け回すのは第一目標ではないことを思い出したので、わたしは適当な人に声をかけて、裕樹のことを聞くことにした。同年配の人の方が正しい知識がありそうだったし、話しかけやすかったから、裕樹の家の立派な門から出てきた24、5の男の人に声をかけた。

「あの、急いでます?」

わたしは、他に思いつかなくて間抜けだとは知りつつ、そう声をかけた。

「いや。」

その人は笑顔一つ見せず、そう答えた。まあ、葬式だから仕方無いけど。

「裕樹のこと知りたいんです。」

わたしは、単刀直入に切り出した。その人はにらむような目でわたしを見た。

「わたし、裕樹のマンションのある街で、裕樹と付き合い始めたばかりだったんです。何も知らないまま、彼は死んでしまった。だから、なんでもいいんです、彼のことを教えてくれませんか?」

 わたしは、思い詰めたような顔でそう言った。途端に、その人の顔がほぐれた。警戒するような目が、同情するような目に変わった。

「そうですか。僕は裕樹とは中学からの知り合いだったんですよ。突然に、やつが死ぬなんて、今でも信じられない。」

心から悲しんでいる様子が顔に現われて、すぐに消えた。取り繕っている笑顔になって、わたしに言った。

「いいです、彼のこと話しましょう。今日は雨だ。近くに喫茶店があります、そこでどうですか?」

この辺りに喫茶店があるなんて驚きだった。コンビニすら近くにはないというのに。

 わたしは軽く頷いた。

 そのうちに出棺が始まった。まえぶれもなく門から人があふれ出てきて霊柩車に棺が乗せられて行った。あっという間だった。感がいに耽っている時間もその布をかけられた箱に死体解剖から帰ってきた、縫い目だらけの体を厚化粧で隠されているはずの裕樹のことを悲しく思う暇も無かった。彩子の姿は見なかった。今までとはうって変わって、あふれるように門から出てきた黒ずくめの人達がその車を見送り、悲しみを涙に変えていた。こんな日は、雨のほうがふさわしい。


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