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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
クリスマスは幻影の中に
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家庭の事情

 本来なら、誘拐事件など、うちの事務所に仕事として回ってくることはない。

 たいてい、それは警察の仕事だし、そうでない場合があったとしても、うちのようないい加減なところには回ってこない。だから、誘拐事件なんて扱ったこともない。知識として、誘拐事件については知っているが、それも、小説や新聞で得た知識以上ではない。

 要するに、素人だ。

 それでも、この事件を引き受けることになったのは、谷口が慌てていたのと、アストが軽く返事をしてしまったからだ。

 谷口家についたのは、朝の9時過ぎだった。

 郊外の一戸建てで、新築に見えた。取り立てて特徴のないつくりで、ガレージは2台ぶんのスペースがあった。ただ、車は一台も停まっていなかった。

 谷口の案内で、そのコンクリートが張られただけの天井も囲いも無いスペースに車を入れた。ドアを開け、ふと見ると、コンクリートの地面にはオイルのシミがあった。

 谷口の父親は、オイルが滲むような車に乗っている。


 谷口は、彼の実家の居間でうつむいていた。彼の母親という人が同じように彼の隣でうつむいていた。居間の家具は安物ばかりだった。

 わたしとアストは、畳の部屋のすみに座って誰かが口を開くのを待っていた。

 誰も口を開かなかった。

仕方ないので、わたしはアストの足をつま先で突いた。

「いて。」

アストは、馬鹿みたいに呟いた。

「町田。」

沈黙を破られたことで、ようやく谷口が口を開いた。

谷口は、下を向いたままつぶやきはじめた。

「町田。おれは今、すごく愕然としてるんだ。」

わたしも、アストも相槌を打つような雰囲気でないことは分かっていた。だが、一応探偵として、雇われたのだから、聞かなければならなかった。だから、わたしは、

「なぜ?」

とだけ、いった。

谷口は、あいかわらず下を向いていた。

「姉貴のことを、よく知らないと気がついたんだ。交友関係を尋ねられても何も答えられない。勤め先の名前は知っていても、何処にあるのかわからない。姉貴が、勤め先から何処に寄って帰ってくるとか、親しい友達が誰なのか、いや、それ以前に、親しい友達や恋人がいるのかすら、よく知らないんだ。」

谷口は、一気にそう口走った。

 わたしは、彼の母親の方にむいた。

「お母さんは、どうですか?」

「え?」

放心状態だったようだった。

「ですから、えっと、そういえば、まだ誘拐されたお姉さんの名前も聞いてなかったですね。」

「あ、ええ。香住。谷口香住です。」

「その、香住さんについて話していただけませんか?」

谷口の母親は、中空を見つめながら話した。

「えっと、あれは昨日の夜でした。11時を回っていました。」

事件の経過については、谷口からアストに伝わっていた。わたしも聞いていた。だが、あえてそれは言わずに、彼女の話を聞くことにした。

「いつもは、遅くても10時くらいには香住は帰ってきているんですけど、昨日は帰ってきていなかったんです。心配していました。夕飯のサンマが冷たくなっていて」

アストは、少しイライラしているように見えた。わたしは、じっと、彼女を見つめていた。

「携帯電話に電話してみようと思ったんです。そしたら、電話がかかってきて、わたしは香住からだ、と思いました。でも、それは、男の声で。」

そこで、彼女は声をつまらせた。涙を堪えているように見えた。

「香住を預かっている、と男は言いました。」

「他には、何か言いませんでしたか?」

わたしは、確認のためにも、彼女に聞いた。

「はい。言いました。また連絡するから、電話にすぐ出られるようにしておけ、警察には連絡するな、と。」

「身代金の要求とか、そういうのは?」

「いえ、ありませんでした。ただ、警察には言うな、とだけ。」

谷口が口を開いた。

「蓮田さん。」

「なんでしょう?」

優しく聞いたつもりだった。

「なんの目的で誘拐されたんでしょう。」

知るわけないじゃない。家族にすら分からなくて、わたしが知っているわけがない。

「さあ。まだ分かりません。でも、身代金を要求するにしても、一度目の電話から要求を明らかにすることは滅多にありません。最初の電話は誘拐の事実だけを伝えます。そうすることで、プレッシャーを掛けているんです。」

と、なんかの小説で読んだ。わたしは専門家じゃないので。

今度は、母親の方が口を開いた。

「娘は、香住は無事なんでしょうか?」

そんなの、わかるわけがない、のだけど。

「大丈夫です。きっと、なにかの要求をしてくるはずです。その要求が満たされるまでは生かしておくはずです。交渉次第です。あなたがしっかりしなくちゃ、香住さんは助けられないですよ。」

と、これも小説のセリフだ。

わたしは本気で誘拐事件に首を突っ込もうなどとは思っていなかった。

そんなのとても責任とれないし。何故かこの親子はあたふたするばかりで警察に届ける気が全くなさそうなのだけれど、わたしはきっかけをみつけて警察に任せたいと思っていた。

「アスト、ちょっと。」

わたしは、アストを部屋の外へ連れ出した。

「なんだよ、奈々。」

わたしは、口の前に人さし指を突き出した。

「静かに話して。」

アストは、軽く肩をすくめた。

「アスト。警察に連絡した方がいいわ。これは、わたし達にどうにかできることじゃないわ。」

「まあな。」

「じゃあ、あとはよろしくね。」

わたしは、笑顔でそう言った。

「奈々・・・。」

アストが何か言いかけた時、電話が鳴る音が聞こえた。

わたし達は、そうっと部屋に戻った。

「香住!」

母親が大声を出した。

「うん、うん。無事なのね。良かった。」

わたしと、アストはお互いの顔を見合わせた。

母親の声は、全くの緊張感が無い、心底安堵した声だった。

母親が受話器を戻した。

「蓮田さん、町田さん。ありがとうございました。香住は解放されたそうです。」

あっさりと解決したもんだ。

わたし達は、再び顔を見合わせた。

「あの、それでお願いがあるんですけど。」

「なんですか?」

わたしは、聞き返した。が、もうその時には聞き返してしまったことを後悔していた。

「香住を、迎えに行ってくれませんか?」

もう探偵とか関係なくて、都合のいい知り合いみたいな感じになっているな。


 わたしとアストと、それから谷口は、アストが運転するカローラバンに乗って高速道路を走っていた。

 谷口香住が解放された、という場所は高速道路のサービスエリアで、しかも谷口の家から50キロも離れていた。

 わたし達が迎えに行くことになった理由は、もちろん、車で来ていたからというのもあったが、谷口の母親が免許を持っていなかったからだ。

「いったい、どういうことなんでしょう。」

谷口は、ほっとしたのか、気持ちが落ち着いてきたようだった。

「不思議になってきたのね?」

わたしは、後部席に座る谷口を振り返った。

「夕べの電話では、誘拐事件だった。なのに、今日の10時には解放されて、50キロも離れた高速道路のサービスエリアにいると言う。不思議な話よね。」

わたしのなかでは、なにも不思議なことなんかない、ありふれた話だと思っていたけれど。

「とにかく、香住さんを見つけましょ。話はそれから聞けばいいわ。」

もうこれ以上面倒に巻き込めれたくなかった。こんなの家族の問題じゃない。たぶん、家出か、ナンパされて着いていったけど話がこじれてインターに置き去りにされたとか、そういうやつ。

「奈々。」

アストは、車の暖房をいじりながら言った。

「どう思う?誘拐事件だったと思うか?」

わたしは、フロントグラスに目を戻した。

「そうね。ただの家出かも、とは思うわよ。」

「待って下さい。」

谷口は、リアシートから身を乗り出した。

「それじゃあ、昨日の電話はなんです?」

「香住さんが、友達か誰かに頼んで言ってもらったのかも知れない。」

「なんのためにですか?」

わたしは、自分の手に目を落とした。

「何かを隠そうとしたのかも?」

「誰に?」

谷口は、本当に分からない、という声を出した。

「あなたや、あなたのお母さん。お父さん。」

「なんで?」

わたしは、再びリアシートへ振り返った。谷口は助手席に手を掛けて身を乗り出していたが、わたしが振り向いたので、どさっとシートに倒れた。

「あなたは、香住さんのことを全く知らない、と言った。あなたのお母さんもそうでしょ。お父さんだって、今日も仕事に行ってしまったじゃない。さみしいのかも、彼女は。」

わたしは、谷口を見つめた。

「そんな・・・。僕だって、おやじだって、心では心配してるんですよ。」

「あのね、心で思うだけじゃ、伝わらないのよ。」

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