(第三話)クリスマスは幻影の中に
三話目投稿です。
通算7話目。短編サイズです。
肌が荒れていた。
当り前だ。このところ、起きている間、ずうっと飲んでいる。これで美しい肌を保てたなら、それは人間じゃない。
自分のアパートの部屋だった。6畳のワンルームで、バスとトイレはセパレート。玄関を入ってすぐのキッチンには、洗わなくちゃいけないコップが、置きっぱなしになっている。茶碗や箸はきちんと仕舞ってあるから、それほど汚れているようには見えないかもしれないが、それはただ使っていないからにすぎない。目の前のテーブルには空のブランデーが並んでいた。飲み続けているわりには、まっすぐ並べてあった。
今日は夕方の4時に目が覚めた。夢を見ていた。いつも違う夢だが、基本的には同じで、悪夢だ。彼氏だった、洋一の夢だ。 洋一は、夢の中で、
「奈々、海でも見に行こうぜ。」
と、バイクにまたがってわたしを誘っていた。
目が覚めて、自分が泣いていることに気がついた。
それから、飲み始めた。
しばらく飲んで、それからご飯がまだだったことに気がついた。
コンビニまで歩いた。
そこで、お弁当とブランデーを買って帰った。
そして、あれからずうっと飲んでいた。
正気は保っていた。窓の外には落ち葉がたまっていた。つゆに濡れて、ベランダにくっついている。その下には、コートを着た学生達が歩いていくのが見えた。
一晩中何もしないで飲んでいた。もう、夜も明けてしまった。いつの間にか、朝がやってきては、わたしを部屋に閉じ込める。冬になって、日差しは弱くなったけれども、どうしても日の光の下へ積極的に出たいとは思わない。
そのブランデーは甘ったるくて、吐き気がこみ上げていた。
大学の後期の講義が始まって2ヶ月以上が過ぎていた。
わたしは、まだ一度も講義に出ていなかった。
そんなものどうでも良かった。
洋一はもういないのだし、こんな二流国立大学を卒業したところで就ける仕事は、たいしたものではないだろう。
それより、朝から生理痛がひどくて、気分が悪い。3ヶ月ぶりにきた生理だったが、別にうれしいものではなかった。
けれど、もっとも、わたしの心をグサグサと傷つけているのは、もうすぐクリスマスだということだった。
去年、洋一とクリスマスを過ごしたのは、このアパートの部屋だった。キリスト教を信じているわけではないけれど、クリスマスは恋人達にとって大切な日であることには変わりがない。
ただ、今は洋一がいないという事だけが、重要なことなのだ。
もうすぐ5時になろうかというときに、電話が鳴った。もちろん、夕方の5時だ。起きてから、25時間が経過した、夕方の5時だ。
わたしは出なかった。そんなものに、出たい気分じゃないのだ。
電話は、18回もコールして、それからようやく止まった。そんなに長くコールし続けるのは、アストだろう。杉並大学構内の探偵事務所の次期所長の町田アスト。
大学の中に探偵事務所を作ろうと考えたのは10年以上前の名も知らぬ先輩たちだ。
しかし、うちの大学もよく許可を出したものだ。
すっかりなくなったブランデーを投げ捨て、かわりにウイスキーの封を切った。本当は高いウイスキーらしいのだが、ほかにアルコールがないのだからしかたない。
一口すするとアルコールで舌が焼けた。けれど、ほんの一瞬だった。もう何も感じない。高い酒なのか安物なのか、まったくわからない。
コップにウイスキーを注ぎ、水道まで持っていくと、水で割った。氷は、まだ出来ていなかったから、そのままで飲んだ。まあ、水で割ったほうが、長持ちするし、胃にも負担が少ないだろう。
しばらく、音楽を聞くことにして、コンポの電源を入れた。いれっぱなしのモーツァルトが猫の悲鳴のような音を奏でていた。
わたしは、疲れた体を引きずってベットに潜り込んだ。もう、28時間も寝ていなかったことに、ようやく体が気づいたのだろう。眠気がやってきていた。さっき、食べた夕食は、全部トイレで戻してしまったけれど、全然お腹は空いていなかった。
目が覚めたのは、夜中だった。
時計を見ると、昨日と今日が替わって、1時間もしていなかった。アパートのチャイムが鳴る音がしていた。
「奈々、奈々。いるんだろ、開けなよ。」
町田アストの声だ。こんな時間にやってくるなんて、どうせろくなことじゃない。
わたしは、ベッドの中で目を閉じた。アスト、ごめん。今日は眠っていたの。まだ、起きてないの。
けれど、アストは諦めずにノックを続け、やっぱりわたしもいつものとおり、玄関まで這って行って、それからそのドアのロックを開けた。
「おはよう、町田君。」
「おはようじゃないだろうが。奈々。」
わたしは、ぐしゃぐしゃになったTシャツを引っ張りながら少しは見てくれをよくしようとした。
「無駄だよ、そんなことしても。寝ていたのは分かってるし、大学に出ていないことも知っている。」
アストは、そういうと、部屋に上がり込み、テーブルの上の空き缶や空き瓶を片づけはじけた。
「窓、開けてくれる、奈々。」
「なんで?寒いじゃない。」
「酒臭いんだよ、奈々の部屋は。」
「あ、そうか。」
わたしは、しぶしぶ窓を開けた。
「で、アスト。何の用?探偵事務所の仕事なら、しばらくしたくないわよ。」
「そんなわけにはいかないだろ?奈々が所長なんだから。」
そうだった。わたしが、大学構内で探偵事務所をやっている張本人なのだ。けど、もうめんどくさい。
「アストに譲るわ。引退する。」
「そんなに簡単に行くかよ。」
わたしは、エアコンのスイッチを入れた。室外機がブーンと唸り出す音が聞こえた。
「そろそろ、閉めてもいいかな、窓。」
「ああ、どうぞ。」
わたしは、窓を閉めてカーテンも閉めると、Tシャツを引っ張った。
「シャワー、浴びてくる。」
「ここで、脱ぐなよ。おまえ、おれが男だっていうこと、無視してないか?」
アストは、ムスッとして座椅子にふんぞり返った。
シャワーの後、わたしとアストは部屋を出た。
わたしは、お腹が減っていた。
アストは、事務所所有のポンコツのカローラバンで来ていた。
「牛丼屋でいいよな。」
車に乗り込みながら、アストが尋ねた。
「なんかさあ、もう少しおいしいものがいいな。」
ここ最近、食事の回数が少ない気がする。
だから、食べるときはおいしいもののほうがいいな、と思っている。
「おいしいものってなんだよ。」
「パスタとかさ、お寿司とか・・・。」
「深夜2時にか?」
「わかったわ。言ってみただけ。」
助手席に収まると、アストはエンジンをかけた。
「で。話ってなに?」
「ああ。ケーブルテレビがうちを取材したいって言ってきてるんだよ。」
「ケーブルテレビ?大学を取材するの?」
「違う、違う。うちの探偵事務所を、だ。」
「うちの事務所なんか取材してどうするのよ。」
「そんなことは、やつらに聞いてくれよ。」
そういうと、アストは乱暴にアクセルを踏み込んだ。おんぼろカローラバンは、せき込みながら走り出した。




