酔いどれ
マネージャーに礼を言い、店外に出た。しばらくは、このデパートには来れないな、と思った。あのマネージャーにばったり会ってしまいたくはないもの。
それはそうと、わたしは携帯を取り出して竹内に電話した。一体どういうつもりなのか文句を言ってやるつもりだった。
「ああ、蓮田さんか」
「ああ、じゃないでしょう。なんでマネージャーにわたしが行くなんて言ったの?」
「お、早かったなあ」
「早かったじゃなくて」
わたしは呆れて言った。
「だけど、行ったわけだろ。で、何か収穫はあったかい?」
「別に。ロッカーの中も見せてもらったけど、特に何も無かったわよ。だいたい何を調べていいのか分からないわよ」
「そうか。ま、あてにはしてないけれどな」
何よ、それ。
「それより、警官が嘘をついてもいいの?」
わたしは、いらいらしてそう言った。
「嘘なんかついちゃいない。おれは、後で蓮田と言う若いやつが行くから、よろしく、と言っただけだよ。そいつが刑事だなんて一言も言っていない。勘違いしたのはそいつの勝手だろ?」
「それで困るのはわたしじゃないの」
「それはおまえさん次第だ。うまくやったんだろうな?」
「まあ、そうだけど」
本当に刑事なのだろうか。話だけしていると、時代劇の悪徳代官のように思える。
「出張費を出さない県警が悪いんだ。ご協力を感謝しているよ。何か分かった事があったら連絡してくれ」
それから、わたしに何かを言わせる隙を与えずに電話を切った。ほんとにもう。
大学に戻り、サークル室でわたしはレシートを見ていた。ボンカレーやインスタントラーメンが役に立つ情報とは思えなかった。ポケットにねじ込んできたとはいえ、何か気になることがあったわけでもなかった。ただ、せっかくのチャンスを収穫無しに帰るのが気に障っただけだ。
服屋のレシートには、ジャケットとシャツが2枚。秋だもの、冬物を買ってもおかしくは無いわ、と思ったけれど、日付は6月だった。気にはなったけれど、夏物ジャケットかもしれない。わたしが、夏に上着を買わないからって、人もそうとは言え無いだろう。わたしは、薄着が好きだ、というだけだ。
薬屋のレシートには商品名が書かれていて、それが何なのか分からなかった。アタラックス、と言われてもね。風邪薬かしら。
わたしは、それをきれいに延ばし、ノートにはさみこんだ。
結局、何も分からないままだった。
立ち上がり、冷蔵庫を覗く。この部屋には、卒業していった部員の残していった電化製品によって、快適な設備が一通り揃っていた。ただ、この冷蔵庫には冷凍室が無いのが残念だった。ウイスキーが冷やせない。もちろん、普通には冷やせるのだけど、冷凍庫で冷やすと凍る寸前になっておいしいのに。
わたしは、自分のボトルを取り出した。スコッチだ。安物の。安物には違いないけれどスコッチはスコッチ。わたしはバーボンよりもスコッチが好き。コップが見当たらないから、そのままボトルに口をつけた。いや、コップはあるのだけど、きれいなやつが無かったのだ。残念ながら、水道は備わっていないから、洗い物をするには1階まで降りて、そこでしなくてはいけない。それが面倒だったのだ。
ストレートのアルコール度40パーセントは、喉を焼いた。
「奈々、ウイスキーをラッパ飲みしてんなよ」
ドアが開いて、アストが開口一番そう言った。わたしは、いたずらを見つかった子供になったような気分になった。
ま、子供はウイスキーのラッパ飲みはしないけれど。
「昼間からそんなもの飲んでいると、本当にアル中になるぞ」
アストは、そう言うと、自分のバッグをデスクの上に放り投げた。
「いいじゃない。わたしがどうなろうと」
「そういうわけにはいかないだろう」
そう言うと、近寄ってきて、わたしの右手から瓶を奪い去った。
「あげないわよ」
「いらないよ。冷蔵庫に戻すだけだ。キャップは?」
わたしは、左手を差し出した。それを受け取ると、二つを一緒にして電化製品の中に収めてしまった。
わたしは、一気に飲んだアルコールですでにいい気持ちになりかけていた。
「今日ねえ、またバイク、借りちゃった」
「RF、使ってたのか。飲酒運転じゃないだろうな」
「違うわよ。帰ってきてから飲んだのよ」
わたしは、勝手に回り始めたアストの顔を見ていた。
「それならいいけどな。キーは?」
「ここ」
わたしは、ジーンズのポケットを指した。アストは手を出した。
「自分で取ればあ?」
動くのも面倒になって、そう言った。アストは、困った顔をした。それが、意味も無くおかしくなった。自分でも、酔いが早いな、と思った。起きてすぐ、風邪薬を飲んだからかしら。
「ああ、いいよ。しばらく貸しておく。傷つけるなよ、オレのじゃないんだから」
わたしは、下から覗き込むようにして言った。
「じゃあ、アストのなら倒してもいいの?」
「馬鹿。そうは言って無いだろう」
「馬鹿って言ったあ」
本当に馬鹿なこと言っている、と自分でも分かっていた。
「奈々、おまえ、どのくらい飲んだんだ?」
「ぐうっと、2、3口」
アストは冷蔵庫を開けて、わたしの瓶を見た。残りわずかになっていた。ってことは瓶の半分くらい飲んだのかしら。でも、小さい瓶だから。全部で500ミリも入ってないから。
「洋一のことをアルコールで忘れようとするのはやめろよ」
アストは、ぼそっと、そう言った。
「違うわよ。飲みたかっただけよ。洋一とは関係無いわ」
「じゃあ、余計によせ。きっかけは洋一が死んだことだったかもしれないが、今のおまえは、ただの飲んだくれだ」
「飲んだくれ?」
わたしは、憤慨するつもりでそう言ったはずだったけれど、ろれつがまわらなくなっていた。酔いが、回る。
「アスト、タバコちょうだい」
「なんだよ、それ」
「お酒が駄目なら、タバコ吸うの」
「酒飲んで、タバコ吸うと吐くだろ、おまえは」
「そんなに飲んでないってば」
「じゃあ、なんでそんなにふらふらになっているんだ?」
アストはいらいらした声で言った。わたしは目を閉じた。
「アスト、キスして」
「何?」
「おやすみのキスして」
アストは何も言わなかった。わたしは目を開けた。じっと見つめていた。
「馬鹿も休み休み言えよ」
そう言うと、アストはバッグをつかむと、ドアを開けた。
「待ってよ」
アストは振り返ると、
「オレは洋一じゃない」
と、言って出て行った。わたしは、それを黙って見送った。
また、ウイスキーが恋しくなった。




