続編記念番外編: Sentiment de distance
続編記念のショートストーリー
本編後、続編前の時間軸でお届けします。
愚鈍姫視点です。
北の大地の夏は短い。しかし夏の間は、他の地よりも随分と長く太陽の光に照らされている大地でもある。朝早く上り、夜はかなり遅くまで太陽が昇り続けるのがブレイハ領の夏だった。
そしてそのブレイハ領から三つほど領地をまたいだこの土地も、この国の中では北の大地としてひとくくりにされる領地である。
「寒くなってきたわねぇ……」
厚手のジャケットを羽織った金髪の目鼻立ちの整った美女は、どこか間延びした様子で息を吐いた。彼女がいるのは町の宿屋だ。湯気の立ったホットミルクの入ったカップを、まるでそれで手を温めるかのように囲った。
「そうですね……もう少し焔をコントロールできればいいんですけど」
彼女に向かい合うようにして座り、そうやって答えたのは銀髪の青年だった。
「レオの焔に、そういう期待はしてないわぁ」
「……お嬢様は未だにその口調なんですね」
「レオだってぇ、未だに私の名前を、呼ばないじゃない? 私はもうお嬢様じゃないっていうのに」
金髪の美女、リリアナ・アイラ・ブレイハは、伯爵家の令嬢だった。しかし数か月前、長い間、じっくりと国全体を侵食する闇をつかさどっていたブレイハ伯爵家は、謎の火事と同時に数々の不正の証拠が見つかり取り潰しとなった。
その時、アイラもまた、粛清の対象となるかと思ったが、公には彼女が愚鈍姫であったこと、そして陰では、彼女が告発者だったことが功を奏し、彼女はおとがめなしとなった。ブレイハ家に強い恨みを抱いていた従者レオが、アイラの関与を否定する証言をしたことも大きいだろう。
そうして、お嬢様と従者の関係性ではなくなった二人だったが、今まで築いてきた関係性をいきなり変えるのは難しく、二人はずるずるとお嬢様と従者だった時のようにふるまっていた。
「……ら……ま」
「え?」
「……アイラ様」
だから突然呼ばれたその名前に、アイラは咄嗟に反応できなかった。その名は、長らく自分が呼ばれたいと願いながら、呼ばれることのなかった名前だからだ。あるいは、目の前にいるレオの表情が真剣そのものだったから、呼吸を奪われてしまったのかもしれない。
「アイラ様」
「……そう呼ばれるのは、なんだか不思議ね。でも……悪くないわ」
いつもと違うレオの様子に、思わず口調を元に戻したアイラは、ホットミルクをゆっくりと口に運んだ。ほのかな甘みが口に広がり、冷えていた体がじんわりと温まっていくのが分かる。
「ねえ、レオ。あなたも私が話し方を変えたら、不思議な気分にならない?」
意識的に愚鈍姫としての口調を捨て、アイラはそうレオに問いかけた。
「違和感はあります。でも……」
「でも?」
「新たな一面を知ったような、ある意味で以前より親しくなったよう……そんな気持ちで、悪くないです。あなたという人が変わるわけでもない」
先ほど自分が言ったような言葉を返されて、アイラは思わず笑みをこぼした。
「そうよね……。でも……」
「でも?」
「悪くないんだけど……楽なのよねぇ……今までどおりって」
「……それは、わかります。しばらくは、お嬢様で」
「じゃあ、私もぉ、このままで……」
こうして、アイラは口調を変えられないし、レオは呼び方を変えられないのだろう。これが変わる時は、きっと二人の関係性が変わっていく時に違いない。
その時が来るのを、アイラは怖いような、楽しみなような、そんな不思議な気持ちで想像したのだった。
「愚鈍姫と烈風の風巫女」という続編を書いていますので、愚鈍姫の続きが読みたい、と思ってくださる方は是非、読んでいただけると嬉しいです。
https://ncode.syosetu.com/n8537fy/
また、話忘れちゃったよ、と言う方は、
「愚鈍姫と激焔の従者」というタイトルで
この作品をレオ視点に統一して、リライトしていますので、そちらも併せてご覧ください。