俺の名前は、魔王
第一章 俺の名前は、魔王
俺の名前は、魔王。
読み方は、そのまま「まおう」。
漢字二文字。
たった二文字なのに、俺の人生は、この名前に何度も振り回されることになる。
もちろん、俺は生まれたときから魔王だったわけじゃない。
むしろ――。
俺の人生の始まりは、魔王とはまったく関係のない場所だった。
父さんと母さんが出会ったのは、あるパチンコ店だった。
そして、その二人が出会わなければ。
俺は、この世に生まれていなかった。
だから俺にとって。
パチンコ店という場所は、少し変わった意味を持っている。
俺の人生の始まりの場所。
そして。
俺の名前が決まるきっかけになった場所でもある。
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第二章 牙城という男
父さんの名前は、牙城。
牙城は、いつも髪型も身だしなみも崩れていた。
しかし、本人は自分の名前をかなり気に入っていた。
「牙城って、強そうだろ?」
俺が子供の頃、父さんは何度もそう言っていた。
「どういう意味?」
「敵が絶対に突破できない城って感じだ」
「……でも父さん、普通のおじさんじゃん」
「おい」
「牙もないし」
「あるぞ」
「どこに?」
「心に」
「意味分からない」
母さんが横で笑っていた。
そんな父さんは、休日になるとパチンコ店へ行くことがあった。
別に大金を稼ごうとしていたわけではない。
本人曰く、
「暇つぶしだ」
ということだった。
その日もそうだった。
土曜日。
朝から予定のなかった父さんは、昼過ぎになって突然立ち上がった。
「よし」
母さんとまだ出会っていなかった頃の話だ。
一人暮らしの部屋で、父さんは財布を確認した。
「今日は勝つ」
誰に言うでもなく呟く。
そして。
近所の大きなパチンコ店へ向かった。
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第三章 運命の台
店の自動ドアが開く。
父さんの耳に、独特の音が飛び込んできた。
パチンコ玉の音。
機械の電子音。
店内放送。
人々の歓声。
ため息。
そして、何台もの台から流れる音楽。
「うるさいな」
父さんは笑った。
だが、こういう雰囲気が嫌いではなかった。
店内を歩きながら、空いている台を探す。
「あれでもない」
「ここも駄目」
「今日は何にするかな」
そして。
店の奥に、一台のパチンコ台を見つけた。
空いている。
しかも。
父さんが好きなタイプの台だった。
「お」
父さんの目が輝いた。
「これだ」
財布からお金を取り出す。
そして。
椅子に座ろうとした。
その瞬間――。
「すみません!」
別の方向から、一人の女性が走ってきた。
父さんは止まった。
女性も止まった。
二人の視線がぶつかる。
「……」
「……」
そして。
二人とも同時に、その椅子へ腰を下ろした。
「え?」
「え?」
椅子は一つ。
人間は二人。
結果。
二人は――。
一つの椅子に半分ずつ座った。
父さんの右半分。
女性の左半分。
ものすごく不自然な姿勢だった。
さらに悪いことに。
二人が同時にパチンコ台のハンドルへ手を伸ばした。
そして。
手が重なった。
「……」
「……」
数秒間。
二人とも固まった。
女性が先に口を開いた。
「……これ、どうしましょう?」
父さんは真顔で答えた。
「どうしましょうね」
女性が吹き出した。
「あははは!」
父さんも笑った。
「いや、こんなことあります?」
「ないですよ!」
「ですよね」
二人は笑いながら、ようやく立ち上がった。
父さんが言った。
「どうぞ。先に座ろうとしてたのは、あなたですよね?」
女性は首を横に振った。
「いえ、あなたが先だったと思います」
「いや、俺は台を見つけたのが先で」
「私は空いているのを見つけたのが先で」
「じゃあ同時ってことで」
「そうしましょう」
二人はまた笑った。
父さんは少し考えてから言った。
「じゃあ、俺は隣の台にします」
「ありがとうございます」
女性は椅子に座った。
父さんも隣の台へ移動した。
そして。
二人は、それぞれパチンコを始めた。
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第四章 隣の台
しばらくして。
父さんの台から音が鳴った。
「お?」
リーチ。
父さんは画面を見つめる。
「来い……」
隣から声が聞こえた。
「頑張ってください」
父さんが横を見る。
さっきの女性だった。
「ありがとうございます」
「当たりそうですね」
「そう思います?」
「なんとなく」
「じゃあ、当たったらあなたのおかげですね」
「じゃあ、当たらなかったら?」
「そのときは責任取ってください」
「何の責任ですか?」
二人で笑った。
結局。
父さんは当たらなかった。
「駄目だった」
女性が笑う。
「私のせいですね」
「そうですね」
「ひどい」
「冗談ですよ」
今度は女性の台が当たった。
派手な音が店内に響く。
「やった!」
女性が嬉しそうに笑う。
父さんも笑った。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
その後。
二人は何度か言葉を交わした。
好きな台の話。
仕事の話。
休日の過ごし方。
好きな食べ物。
気づけば。
パチンコをしながら、二人はずっと話していた。
そして閉店が近づいた頃。
女性が言った。
「今日は楽しかったです」
父さんは少し驚いた。
「パチンコが?」
女性は笑った。
「それもですけど」
少し間を置いて。
「あなたと話せたことが」
父さんは返事ができなかった。
その日。
二人は連絡先を交換した。
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第五章 魔女
その女性の名前は――。
魔女。
もちろん本名だった。
父さんは初めて聞いたとき、目を丸くした。
「魔女?」
「そうです」
「本当に?」
「本当です」
「珍しい名前ですね」
「子供の頃は、かなり嫌でした」
魔女は苦笑した。
「学校でからかわれましたから」
「魔法使えるんだろ、とか?」
「よく分かりましたね」
「でしょうね」
「空飛んでみろ、とか」
「それは酷い」
「でも、今では気に入っています」
「どうして?」
魔女は少し考えてから答えた。
「この名前のおかげで、あなたにも覚えてもらえたでしょう?」
父さんは笑った。
「確かに」
それが二人の始まりだった。
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第六章 二人の時間
二人は、その後も何度も会った。
最初はパチンコ店。
次は喫茶店。
その次は映画館。
その次は公園。
いつの間にか。
パチンコとは関係なく会うようになっていた。
父さんは、魔女と話すのが好きになった。
魔女も、牙城と一緒にいる時間が好きになった。
ある夜。
二人で食事をした帰り道。
魔女が突然言った。
「ねえ」
「ん?」
「私たちって、最初に一つの椅子に座ったんだよね」
父さんが笑った。
「そうだったな」
「普通、そんな出会い方しないよね」
「俺も初めてだ」
「もし、あの日あの台が空いてなかったら?」
父さんは少し考えた。
「会ってなかったかもしれないな」
魔女は黙った。
そして、小さく笑った。
「じゃあ、あのパチンコ台に感謝しないとね」
「そうだな」
二人は手をつないだ。
それから数年。
二人は結婚した。
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第七章 そして、俺が生まれた
結婚してからしばらくして。
母さんが妊娠した。
父さんは大喜びだった。
「男かな?」
「女の子かもしれないわよ」
「どっちでもいい」
「じゃあ名前は?」
父さんは腕を組んだ。
「強そうな名前がいい」
母さんは苦笑した。
「あなた、自分の名前もそうだけど、強そうなの好きね」
そして。
数か月後。
俺が生まれた。
元気な男の子だった。
父さんは俺を抱き上げた。
小さな手。
小さな足。
閉じた目。
父さんは嬉しそうに笑った。
「男の子だ」
母さんも笑った。
「名前、どうする?」
父さんは俺をじっと見つめた。
そして。
何を思ったのか。
突然言った。
「魔王でいいんじゃね?」
母さんが固まった。
「……は?」
「魔王」
「ちょっと待って」
「強そうだろ?」
「あなた」
母さんは真剣な顔になった。
「この子の人生、ちゃんと考えてる?」
「もちろん」
「魔王って名前よ?」
「いいじゃん」
「学校でどうするの?」
「そのうち慣れる」
「慣れないわよ!」
俺は二人の会話を聞きながら、眠っていた。
そして。
出生届には。
こう記された。
名前――魔王。
俺はまだ知らなかった。
このふざけたような名前が。
いつか。
本当に俺自身を表す言葉になることを。




