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第29話 「十二日」

これは、力を持たない男の話です。

魔法が使えるわけでも、剣が強いわけでも、

貴族の血を引くわけでもない。

ただ——口を開くと、相手が気づかないうちに

不利な方向へ誘われていく。

そういう男が、全てを奪われるところから始まります。

怒鳴らない。

泣かない。

ただ、静かに、相手が自滅する場所へ誘う。

魔法なし・武力なし・策略だけの成り上がりです。

よろしければ、お付き合いください。

 翌日、セリムのところへ行った。

 レイスは表通りで待った。

 扉を叩くと、昨日と同じ若い男が出た。

 今日は少し早く、セリムを呼んできた。


「また来ましたか」

「一つだけ聞かせてください」

 セリムが部屋に通した。

 レシルは座らなかった。

「孤児院の地下、構造を覚えていますか」

 セリムの顔が少し動いた。

「……覚えています」

「入口はどこですか」

「院の中、厨房の奥に扉があります。鍵がかかっていました。グロウが開けた」

「グロウが鍵を持っている」

「そのときは持っていました。院長が持っているかどうかは、わかりません」


「地下の広さは」

「部屋が二つありました。一つは書類の棚。もう一つは——入りませんでした。グロウが入るなと言った」

「もう一つの部屋の扉はどんな扉でしたか」

「金属の扉です。鍵穴が二つあった」

 レシルは頷いた。

「厨房の奥の扉まで、表の入口から何歩くらいですか」

「数えていません。ただ、院の中を半分ほど歩きます」

「院の職員は何人いますか」

「視察のときは五人見ました。普段は知りません」


「十分です」

 レシルは立ち上がった。

「何をするつもりですか」

「まだ言えません」

「私にできることがあれば」

「あれば連絡します」


 表通りに出た。

 レイスが壁に寄りかかっていた。

「どうだった」

「厨房の奥に入口があります。鍵がかかっている」

「鍵は」

「グロウか、院長が持っている」

 レイスが少し考えた。

「開けられるか」

「わかりません。ただ——」

 レシルは通りを見た。

「鍵屋に話を聞きに行きます」

 レイスが一言も言わずについてきた。


 東区に鍵屋が一軒あった。

 老人が一人でやっている店だ。

 レシルが入ると、老人は作業の手を止めなかった。

「古い鍵の構造について聞きたいのですが」

「何の鍵だ」

「厨房の扉に使われるような、大きめの鍵です。十年以上前に作られたものだと思います」

 老人がようやく顔を上げた。

「見ないとわからない」

「鍵穴の形だけでも」

「鍵穴の形を教えてもらえれば、作れるものかどうかはわかる。ただし、鍵穴を見ないことには」


 レシルは少し考えた。

 鍵穴を見るには、中に入る必要がある。

 中に入るには、鍵が必要だ。

「蝋で型を取れれば、複製できますか」

「できる。ただし精度がいる。下手な型だと動かない」

「型を取る道具はありますか」

「売っている。ただし、用途は聞かない」

 老人が棚から小さな箱を出した。

 蝋の板が入っていた。

「銅貨五枚だ」


 店を出た。

 蝋の板を懐に入れた。

 鍵穴に型を取る。

 それには一度、厨房の扉まで辿り着く必要がある。

 グロウの視察日、院の人間がグロウの対応に回る。

 その隙間に入る。

 入って、型を取って、出る。

 書類は次の機会だ。

 一度で全部取ろうとすれば、消される。


 宿に戻る道、レイスが言った。

「鍵の型を取りに行くのか」

「ええ」

「視察の日に」

「そうです」

 レイスが黙った。

 少し歩いてから言った。

「俺が囮になれる」


 レシルは歩きながら聞いた。

「どうやって」

「院の表に出て、騒ぎを起こす。職員が出てくる。その間にお前が入る」

「騒ぎを起こして、どうやって逃げますか」

「走る」

 レシルは何も言わなかった。

「捕まらない自信はある」

「グロウの人間が来たら」

「それでも走る」


 しばらく二人で黙って歩いた。

 レシルが言った。

「もう少し考えさせてください」

「構わない」

 レイスはそれ以上言わなかった。


 宿の前まで来て、レイスが先に中に入った。

 レシルは外に少し立っていた。

 十二日後。

 鍵の型を取る。

 囮が必要かもしれない。

 必要だとして、レイスを使っていいのかどうか。

 まだわからなかった。

読んでいただき、ありがとうございます。

主人公のレシルは感情を表に出しません。

怒りも、悲しみも、全部内側に押し込めて、

燃料にして動きます。

書いていて一番気をつけているのは、

「説明しないこと」です。

賢いキャラクターを「賢い」と書くのではなく、

その行動と判断で見せたい。

次の話では、また少しだけ、

レシルの景色が変わります。

続きを読んでいただけたら嬉しいです。

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