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第26話 「セリム」

これは、力を持たない男の話です。

魔法が使えるわけでも、剣が強いわけでも、

貴族の血を引くわけでもない。

ただ——口を開くと、相手が気づかないうちに

不利な方向へ誘われていく。

そういう男が、全てを奪われるところから始まります。

怒鳴らない。

泣かない。

ただ、静かに、相手が自滅する場所へ誘う。

魔法なし・武力なし・策略だけの成り上がりです。

よろしければ、お付き合いください。


 第三商会の住所は、中区の路地にあった。

 表通りから一本入った、目立たない場所だ。

 レイスは表通りの角で待った。

 何も言わなかった。

 レシルも何も言わなかった。

 扉を叩いた。


 出てきたのはセリムではなかった。

 若い男だった。

 使用人の顔をしていた。

「レシルという者です。セリムさんに呼ばれています」

 男は奥に引っ込んだ。

 しばらく待った。

 セリムが出てきた。

「来てくれましたか」

「話を聞きに来ました。決めてはいません」

 セリムが頷いた。

「どうぞ」


 通された部屋は小さかった。

 机と椅子が二つ。

 窓は一つ、通りに面していない。

 セリムが向かいに座った。

「単刀直入に話します」

「どうぞ」

「グロウとの関係を切りたい。ただ、切るには理由が必要です。感情ではなく、証拠が」

「なぜ私に」

「グロウに嵌められた人間が動いていると聞きました。証拠を持っているかもしれないと思った」


 レシルはセリムを見た。

 四十代、目が静かだった。

 焦っていない。

 だが、何かを決めた人間の顔をしていた。

「一つ聞いていいですか」

「どうぞ」

「グロウとの関係を切りたいのは、第三商会としてですか。あなた個人としてですか」

 セリムが少し止まった。

「両方です。ただ——商会の他の人間はまだ決めていない」

「あなた一人が動いている」

「今のところは」


 レシルは少し考えた。

 一人で動いている。

 商会全体の意思ではない。

 それは弱さでもあるが、逆に言えばセリムが本気だということでもある。

 組織の判断を待たずに来た。

「グロウとの関係、具体的には何ですか」

「融資を受けています。三年前から。総額で金貨十二枚」

「返済の状況は」

「滞っています。グロウが条件を変えた。最初の話と違う」

「それが不満の原因ですか」

「それだけではありません」


 セリムが机の上で手を組んだ。

「孤児院の視察に一緒に連れていかれました。先月の話です。グロウが何を見せたかったのか、今もわかっていません。ただ——帰り道に言われた言葉が気になっています」

「何と言われましたか」

「『あなたも、もう引き返せない』と」


 レシルは黙った。

 引き返せない。

 グロウがセリムに何かを見せた。

 あるいは、何かをさせた。

 孤児院で。

「視察のとき、何を見ましたか」

「子供たちと、帳簿と——」

 セリムが少し止まった。

「地下に降りました。グロウに連れていかれた。何があるかは言われなかった」

「地下に何がありましたか」

「書類の束でした。大量の。名前と、数字と、記号が書いてあった」


 記号。

 丸、三角、バツ。

 バルクが持ち出した一枚と、同じものだ。

 レシルは表情を動かさなかった。

「その書類を、グロウはセリムさんに見せた」

「見せた、というより——確認させた。あなたもこれを知っている、という意味だったと思います」

「共犯にした」

「そういうことだと、後から気づきました」


 セリムが手を解いた。

「だから切りたい。ただ、切るには向こうが怖い。証拠を出せば、グロウも道連れになる。そういう状況を作らないと、動けない」

 レシルは少し間を置いた。

「証拠は、あります」

 セリムが顔を上げた。

「ただ、今すぐ使える形ではない。もう少し時間が必要です」

「どのくらいですか」

「わかりません」


 セリムが息を吐いた。

「正直な人ですね」

「嘘をついても仕方ない場面なので」

「一つだけ聞かせてください」

「どうぞ」

「あなたは、グロウをどうするつもりですか」

 レシルは答えた。

「グロウ自身の手で、グロウを終わらせます」

 セリムがしばらくレシルを見た。

「……わかりました。待ちます」

「連絡はドルグを通じてします。直接は難しい」

「構いません」


 部屋を出た。

 表通りの角にレイスがいた。

 レシルが近づくと、レイスが言った。

「どうだった」

「本物だと思います」

「根拠は」

「怖がっていたので」

 レイスが少し眉を上げた。

「怖がっている人間は、嘘をつくより先に逃げます。あの人は逃げなかった」

 レイスは何も言わなかった。

 二人で東区に向かって歩いた。


 夜、ドルグに報告した。

「セリムは地下の書類を見ている。グロウに共犯にされた」

 ドルグが動かなかった。

「知っていましたか」

「知らなかった」

 珍しかった。

 ドルグが知らないことがあった。

「地下に書類がある。バルクが持ち出した一枚の、残りがそこにある可能性があります」

 ドルグが果実の袋を閉じた。

「孤児院の地下か」

「おそらく」

 二人とも、しばらく何も言わなかった。

 地下の書類。

 それが全部揃えば、傍証ではなくなる。

 ただ、取りに行く方法が、まだなかった。

読んでいただき、ありがとうございます。

主人公のレシルは感情を表に出しません。

怒りも、悲しみも、全部内側に押し込めて、

燃料にして動きます。

書いていて一番気をつけているのは、

「説明しないこと」です。

賢いキャラクターを「賢い」と書くのではなく、

その行動と判断で見せたい。

次の話では、また少しだけ、

レシルの景色が変わります。

続きを読んでいただけたら嬉しいです。

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