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三章⑦




「ーーいいかい、プリマヴェラ。魔法とはイメージだ」


 魔法実技授業の最中。抜けるような秋空に、純白の導衣も眩しいサルファードは、緊張した面持ちの私に教師らしい真面目な口調で言った。


「魔法士の身体には、世界を循環する魔力が自然と蓄えられる。魔力はいかなる属性であれ、魔法士のもつ強い精神エネルギーーー『感情』によって増幅し、増幅した魔力は、より大きく複雑なイメージの実現を可能にする。このことは、理解しているかな?」


「は、はい! 今の私は、事故の影響で僅かしか魔力を蓄えられない。だから、感情によって増幅させないと、いつまで経っても魔法は使えないんですよね?」


 銀糸の髪をなびかせ、蒼い瞳を穏やかに細めるその姿には、あの日に目にした彼ーー闇と血の色に濡れた暗殺者の面影は微塵もない。


 彼は私の答えに(にこや)かに頷き、持っていた水晶玉を手渡した。


「その通りだよ。では、いつものように、この魔力球が光るまで魔力を増幅する訓練をしなさい。僕は他の生徒達と、火炎魔法の遠隔射撃訓練を行ってくるからね」


「は、はい……わかりました。ーーで、でも、その前に、お話したいことが」


「悪いが、今は授業中だ。可愛いお前とずっと話していたいところだが、そういうわけにもいかないのでね」


 にっこり、と一段と麗しく微笑んで、サルファードは白い導衣を優美に翻し、実技演習場に整列した生徒達の元へと去っていく。魔法の使えない私は、演習場の隅っこにポツンと取り残されてしまった。


(いつものように……か。いつもなら、恥ずかしがって離れようとするたびに、ご主人様に無断で離れるなって命令してきたくせに)


 私が恥ずかしがるのをわかっていて、わざとあの長い指で私の手ごと魔力球を包み込んで。そして、低く艶やかな声音で、そっと耳元に囁くのだ。


『さあ……プリマヴェラ。お前の心を最も昂らせる感情を、僕に教えておくれ?』


「ーーわああああっ!? ち、違う違う……っ!! そんなことまで思い出さなくってもいいんだってばっ! そうじゃなくて……や、やっぱり、あれって怒ってる……よね?」


 サルファードと街にケーキを食べに行き、うっかり彼の仕事現場を目撃してしまった日から、今日で一週間が経つ。


 正直、あの瞬間は本当に死んだと思った。しかし、私はシーカリウス家の人間であり契約主でもあるため、現場を見ても口封じに殺されることはなかった。


 ーーだが、あの日以来、サルファードの態度がおかしい。


 これまでの偽りの溺愛とはなにかが違う。授業が終わって執務室にいるときも、真顔で意地悪な態度に戻ることなく、優しげな笑顔を絶やさなくなったのだ。


 サルファードの策略と、暗殺部隊『鎮魂歌(レクイエム)』の参入により、私を狙っていた暗殺者達はあっけなく一掃された。彼との契約は無事に終了。意地悪と恥辱の限りを尽くされた偽装溺愛生活も終わりを迎え、命を脅かされることも、サルファードのお姫様抱っこに頭を悩ませることもない、平穏な日々が訪れたはずなのに。


 ーーどうして、こんなに気持ちが重いのだろう。

 

(笑顔か……そういえば、仕事現場を見たときも笑ってたな。ゲームでサルファードが笑うときは、本当の自分を隠しているときだった。なら、今もそうなのかな……?)


 あの日のことを、サルファードはなに一つ口にしない。それどころか、さっきのように私がそのことに触れそうになると、笑顔ではぐらかしてしまうのだ。


 だから、まだ、きちんと謝らせてもらえていない。


 あのとき、私は『店で待っていろ』という彼の命令に反して後を追ってしまった。理由があったとはいえ、悪いのはこちらだ。表面上は優しく微笑んでいるが、心の中ではきっと激怒しているに違いない。


(危ないな……この世界の魔力は、強い感情で増幅する。光の魔力は愛情で。サルファードの持つ闇の魔力は、怒りや憎しみ、悲しみなどの負の感情で増幅する性質を持っているはず。もし、私に対する怒りのせいで闇の魔力が増幅してしまったら、取り返しのつかないことになる……!)


 ギュッと瞑った瞼の裏に、先日見た光景と、トラウマのスキルがはっきりと蘇った。ダメだ、絶対にダメだ。

 

 なにがあっても、あの運命(シナリオ)だけは回避しないとーー


「随分と、浮かない顔ですね」


「えっ!?」


 思いもよらない声にハッと目を開けると、モーヴハルト王子が怪訝に眉を顰めつつ、目の前に立っていた。


 まだ授業中なのに、どうしてわざわざ声をかけに来てくれたのだろう。不思議に思いながらも、久しぶりに近くで目にする王子の姿に酷く安堵してしまう。


 生きている。


 まだ、彼はちゃんと生きてくれている。


「プリマヴェラ? 今度はぼうっとして、体調でも悪いのですか?」


「ーーあっ!? す、すみません! 今日は、ルーナとご一緒じゃないのかなあと思って……」


「初日にあんなことがあったばかりですから、まだ会わせない方がいいでしょう。貴女こそ、今日は先生に抱かれていなくてもいいのですか?」


「ダ……ッ!? だっ、抱かれてなくていいんですっっ!! あれはそのっ、けっしてお互いに望んでいたことではなく……っ!!」


「そうなのですか? 生徒達への牽制の目的があったのは理解していますが、貴女はともかく、先生は望んで抱いておられるように見えましたよ」


「へ……っ? い、いやいやいや! あのサルファード……義兄様に限って、そんなの絶対にあり得ませんよ!」


 暗殺者に狙われていたことは内密にしなければならないが、推しである王子にまで、好きであんなことをやっていたと思われるのは困る。全力で首を振ると、王子はムッとした顔になった。


「私がそう見えたのですから、見えたのです。対して、最近の先生は明らかに苛立っておられる。ーー要するに、喧嘩でもしたのでしょう? らしくもなく落ち込んでいるのは、そのせいかと思ったのですが、違うのですか?」

 

「け、喧嘩……? いえ……、喧嘩というより、私が義兄様の言いつけを守らなかったせいで、ご迷惑をおかけしてしまったんです。謝りたいと思っても、避けられてしまって……」


「そうですか。あれほどのことがあった私やルーナに謝罪ができたのですから、造作もないでしょうに。先生は私などよりずっと寛大な方です。あのときのように、きちんと誠意を伝えれば、わかっていただけると思いますよ?」


「は、はい……! ありがとうございますっ!」


 深く頭を下げながら、信じられない思いに胸が熱くなる。だから、王子はわざわざ授業を抜けてまで、声をかけてくれたのだ。


 私が、落ち込んでいると思ったから。


(やっぱり……やっぱり、王子は優しいな……)


「ーーーーっ!? ありがとう……ですか。本当に、今の貴女は以前の貴女らしくなさすぎて、戸惑いますね。ーーとにかく、早急に和解をするように。なにかあれば、相談くらいは乗りますから」


 「では、私はこれで」と、演習場の的場へと去っていく王子の後ろ姿を見つめながら、私は今にも込み上げそうになる涙を必死で堪えた。


 やっぱり、王子は王子だ。


 たとえ、今の私が因縁深いプリマヴェラでも、苦しいときには必ず声をかけてくれる。


 そんな彼が、実の兄の手で無惨に殺されてしまうところなんて、絶対に見たくない。


(それに……サルファードが王子を殺してしまうところも、見たくないな。この間の彼を見てわかった。サルファードはプロの暗殺者で、人を殺すのは任務のためなんだ。たとえそれが愛するルーナを取り戻すためでも、私利私欲のために王子を殺したら、ただの人殺しになってしまう……)


 彼をそうさせてしまうのは、増幅した闇の魔力のせいーー闇堕ちのせいだ。やっぱり、このままではいけない。王子の言う通りきちんと謝って、怒りを解いておかなければ。


 よし、と意を決したとき。終業を告げる鐘の音が、高らかに響き渡った。



            ***




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