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第一部 ローウェル子爵領 平穏な?日々 10

 獣魔は丘に向かう途中で道を逸れたようだ。


 俺は風の聖霊に導かれるまま道を逸れ、籔の中に入っていく。


 ーーちょうどいい。


 丘だと一番最初に捜索隊がやってくるだろうからな。


 腰まである深い籔のなかを掻き分けざくざく進んで行く。

 風の聖霊が逐一獣魔の動きを教えてくれるから迷うことなく進める。

 たぶん出来るだろうと思ってやってみたけど便利だな、これ。

 応用すればダンジョン内での魔物の動向も捉えられるんじゃないか?


「……っと、いた」


 なるほど、村の子供が不用意に近付いてしまったのも分かる。

 元が子兎だったのか、獣魔化しているわりにはサイズが小さい。

 見た目もあんまり変わんないな。

 これだと捜索隊は見付けるのに苦労したかも知れない。


 そいつは耳をピンと立てて立ち止まっていた。

 辺りを警戒しているのか、それとも餌を探しているのか。


 獣魔はあまり人間や他の動物を警戒しない。

 凶暴化している分、理性や警戒心は薄まるようだ。

 ただ、元が警戒心の強い動物だと本能的なものなのか、多少残ることがある。


 どうしようか。


 兎はもともと非常に臆病な動物だ。

 このまま近付いて逃げられても面倒。

 探すのは簡単だが、時間がかかると捜索隊が来るだろうな。


「一か八か……」


 ゴチャゴチャ考えるのはやめだ。

 逃げられたのなら今回はあきらめて捜索隊に任せればいい。


 そう割り切って、獣魔の前に出る。


 俺が飛び出した途端、獣魔は牙を剥き出しにして威嚇してくる。

 その牙の長さと鋭さは兎には不似合いなものだ。

 逆立った毛の隙間から黒く太い針のように尖った新たな毛が生えてくる。

 真っ赤な両目からは、夥しい黒いコールタールみたいなドロリとした体液が溢れた。


「いいぞ」


 ーー逃げるな。

 襲ってこい。


 左手を上着のポケットに突っ込み中に入っているものを握りしめ、


「……頼むぜ、相棒」


 取り出したそれを右手の小指に嵌めた。


 それは銀色の細かい螺旋の意匠が刻みこまれた指環。

 俺が唯一過去に持ち帰った自分の手で作り上げたアイテム。

 埋め込まれた小さな石は今は闇の色。


「『ブラックカーテン』」


 イメージを明快にするために声に出して発動させる。

 ずん、と重力が増したみたいに身体が重くなる。


 がつがつと削られる魔力。


 冷や汗が身体中を流れ出ているのがわかる。


「……きっつ」


 獣魔に襲われる前に力尽きそうだ。


「早く……っ来いっての!」


 八つ当たりぎみに足下の石を蹴った。


 俺が蹴飛ばした石は兎の鼻先を掠めて近くの木の根にぶつかって跳ねる。

 大きく一度跳び跳ねた小さな身体がまっすぐに俺に向かってくる。


「単純なんだよっ!」


 挑発したらまっすぐに突進してくる。

 こういうところは獣魔も獣も魔物も同じ。


 俺はただ右手を前に出した。

 向かってくる兎の小さな身体に、手を。


「喰らい尽くせ」


 手の中に漆黒の小さな布切れが現れる。

 そのサイズは30センチ四方。

 これが今の限界だ。


 獲物を小さな兎だと聞いてなかったらとても試す気にはならなかった。

 けどダンジョンに入る前に一度試したかったのも事実。


 小さな黒い布は飛びかかってきた小さな生き物を包み込み、呑み込んだ。


「……っ」


 膝が折れる。

 全身を襲う倦怠感。


 だが、同時に。


 急速に入ってくる何か。


 俺が発動した『ブラックカーテン』は呑み込んだ生物の全てを喰らう。

 そのモノの命そのもの。


 生命力。

 魔力。

 スキル。


 それが持っている全て。


 喰らって、喰らい尽くす。


「……だーっ!疲れるっっての!」


 転がって両手を拡げて空を見上げる。

『ブラックカーテン』はすでに消えている。

 喰らった兎ごと。


 きれいさっぱり。


 小指に嵌めた指環の小さな石が色をなくしていく。

 喰らった獲物の全てを俺に捧げて。


 削られたはずの魔力が戻るのを感じる。

 喰らった獲物の命が俺の中に入ってくるのがわかる。


「はは、獣魔も案外役に立つな」


 昔は魔物でさえない獣魔の生命力なんか対して力にならないと喰らう気にもならなかったけど。


 自分に力がない状態だとこんなにも違うものか。


 レベルが一気に10以上上がった感じか?


 自分の身体が変化したのが転がっていてもなんとなくわかる。

 力がみなぎっているとでもいう感じ?


 試しに側に落ちている小石を拾って握ってみる。


 ……。


 やっぱまだムリでした。

 握り潰すくらい今なら出来そうな気がしたんだけどな。


 俺は小さく罅の入った小石をポイッと放り投げた。













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