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異世界農楽集  作者: 夢忌無意味
第八章 とある騎士爵の亡命
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ツァラトゥストラ潜入


 酸素の消費を抑えるためにカンテラの明かりを消しているので、足元は何も見えないほど暗かった。

 ただでさえ狭い地下通路は、暗闇の重圧でより閉塞的な感じがする。


 長年、この地下通路を利用してきたマルメッラーダの勘だけを頼りに、目的のツァラトゥストラ側の通路へ進んで行った。


「すごく、怖い。肌に触れていないのに、危険な瘴気なのが分かる」

 アナベルが低く呟いた。


「ええ。障煙の魔女が生み出したこの瘴気は、まるで恐怖という概念が形象化したみたいなものです。運良く……いえ、運悪く生き残った兵士の話では、瘴気が沸き上がった時、地下通路内は狂乱の体をなしていたそうです」

 マルメッラーダは、歩くペースを少しも落とすことなく、その言葉に同意した。


「どうして、生き残ったことが運悪くなの?」

 と、僕の背中にぴったりとくっついたアナベルが、前にいるマルメッラーダに問いかけた。


「証言者である兵士は、瘴気を浴びたせいで眼や肺が爛れ、失明し、呼吸することさえ苦痛に感じる程の重傷を負っていたそうです。終戦時、国境近くでは眼を病んだ兵士が大勢連なって、ツァラトゥストラへと帰還して行く姿が見えました。あの光景は、忘れられません」

「いくら戦争とはいえ、むごい……」

 二人の会話に、僕は入ることができなかった。


 僕はその光景を見ることもせずに、堆く積まれた死体と怪我人の山に背を向けて、終戦を待たずインウィクトスへ帰還してしまった。


 一人の傷痍軍人ーー共に闘った、とある騎士爵ーーを連れて。


「かなり歩きましたが、まだツァラトゥストラへは入っていないのですか?」


 窒素の膜のおかげで、毒ガスの刺激臭も、通路に放置された兵士達の死臭もしなかったが、それでも息が詰まるような思いがした。


 早く外に出たかった。暗闇の中を歩くのは、気持ちの良いものではない。


「既にツァラトゥストラの国境は越えています。半刻ほど前に通り過ぎた、兵士の死体が多数あったところが、ちょうどヴェストヴェスト要塞の地下になりますので……間もなく、ツァラトゥストラ首長国連邦最西端に位置する、アルサケス首長国の都・パルティアに出ます」

 マルメッラーダはGPSでも搭載しているかのように、正確に自分の居る位置を把握している。

 曰く、土の臭いがザルツシュヴァルツとツァラトゥストラとでは全然違うから、それを頼りに歩いているのだそうだ。


 彼女の言葉の通り、更に半刻ほど真っ暗な通路を歩いていると、地上へと続く梯子に辿り着いた。

 

「公爵様のおかげで、大過なく地下通路を抜けられました。明け方までここに潜伏して、人混みに乗じて都内に潜入しましょう」

 地下通路はパルティアの外れにある墓地に繋がっていて、僕らは墓穴から這い上がる形で地上へ出た。


 夜明け前の墓地は独特の静けさを湛えていたが、先刻までいた所に比べれば、だいぶ明るく感じられた。


「暑いけど、いい気持ち……地下は息苦しい」

 墓地から出ると、朝の陽ざしに彩られた街の景色が見えた。アナベルは大きく伸びをして、息を深く吸っていた。


 ツァラトゥストラの建物は、ザルツシュヴァルツとは異なり、赤い煉瓦ではなく、黄色い粘土と白い砂を固めたものでできている。


 ここはまるで太陽と砂の国、といった印象である。


 しかし流石に南国だけに日差しが強い。色素の薄い僕は、ウンゲツィーファほどではないにせよ、紫外線に弱いのである。“斥害閃”を使っていない限り、とても南の国では生きて行けそうにない。


 長袖のマントで肌を覆い、フードを目深に被って街道をゆく。


 街道は、復員兵と思しき男たちで溢れかえっている。皆、体のどこかしらに傷を持ち、忌まわしい戦地での記憶を忘れようとしてか、朝っぱらから酒を飲み、阿片を吸って騒ぎまわっている。


「随分荒れていますね……」

「アルサケスは、首長国連邦形成国のなかでも特に酒や阿片の規制が緩い国ですからね。戦後、故国に居場所がない兵士崩れの連中の溜まり場のようになっているのです……特に国の中心部であるこのパルティアでは、それに引き寄せられるように、連邦中から娼婦や麻薬の売人、奴隷商人たちが集まって来て……まぁ、ちょっとした無法地帯ですね。首長も上納金という旨味があるため、現状を黙認しているどころか推奨さえしているそうです」

 まるでソドムだ。さっさと用件を片付けて、クララたちが待っている静かなオステンヴォルケへ帰りたい。


「それで件の騎士爵がどこに潜伏しているのか、騎士団の方で把握しているのですか?」

「最後に連絡があったのが、4日前……隼便で、パルティアに向けて逃走中ということでした。彼女はすこぶる足の早い方で、体力も底なしですので、もう既にこの街に到着している筈です」

 4日前ということは、オステンヴォルケに大司教がやって来た前日か……本当に、かなり行き当たりで進行している亡命作戦である。


 まぁそれでも、状況を把握し数少ない手駒から適切な人員を派遣しているだけ、騎士団の統率力は優れていると言えるかもしれない。


 あとは順調に、騎士爵と落ち合うことができれば良いのだが……。

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