亡命公爵の孫娘
「ボクの名前は、マルメッラーダ。マルメッラーダ・マウルドレッシャーと申します」
「……マウルドレッシャー」
そのファミリーネームを聞いて息が詰まった。まさか、こんなところで出会うことになろうとは。
クーボー先生と宮廷が共謀して帝国の反逆者に仕立て上げ、困窮したオステンヴォルケの人々が彼らの土地から永久に追放した、悪しき旧公爵の一族。
「まさか、あなたは」
「ええ。お察しの通りボクは、かつてオステンヴォルケを呪われた地へと変えた、マウルドレッシャー旧公爵の孫娘にあたる者です」
馬車が悪路を征く音だけが、高く響いていた。
「へぇ、女の子だったんだ」
アナベルはそう呟き、旧公爵とはなんぞやといった様子で、ぽかんとしていた。
「マウルドレッシャー家は、宮廷と領民たちの手によって、一族郎党揃って処刑されたと聞いていましたが……」
「父だけは影武者を立ててその難を逃れました。そして国境なき騎士団の協力を得て、ザルツシュヴァルツ大公国に亡命したのです。それ以来、父はこの土地で国境なき騎士団のために働いていたのです」
となると、やはりインウィクトス内部にも国境なき騎士団の協力者が入り込んでいるということになる。
現時点で実害というほどの大きな不利益を被っていることはないだろうが、国内に、それも宮廷中枢に工作員がいるかもしれないという状況は、あまり好ましいものではない。
しかし国境なき騎士団は、何のためにその様な活動しているのだろうか。表向きには、絶対神テラの布教と、慈善事業を行う団体ということになっているけれど。
どう考えてもそれだけではない。まるで世界を裏側から操る黒幕みたいじゃないか。
「父は、学生時代に大司教の使者から接触されたと語っていました。そして自らの家系に迫っている危機を知ったそうです。それ以来、大司教に魅了され騎士団の協力者となったといいます」
マルメッラーダは、父のことをあまり良く思っていないようだ。父を語るその言葉には、どこか棘がある。
「大司教は神からの言葉を伝える預言者と言われていますが、父の話を聞いていると、まるで大司教の言葉が現実になっているみたいで、気味が悪かったものです」
父親だけでなく、大司教についても不信感を抱いているらしい。僕も賢者様の仲介があったからこそ、こうして手を貸しているのであるが、そうでなければ何かの罠ではないかと警戒しただろう。
「まあでもボクは、今回の仕事を終えたら騎士団を抜けることになっています。そしてザルツシュヴァルツからもおさらばするつもりです。ボク自身、父と違って国境なき騎士団に恩がある訳でも、絶対神テラを信仰している訳でもありませんし」
「そんなに簡単に騎士団を抜けられるものなのですか?」
「どうでしょう。そもそも、これまでに騎士団から抜けることを希望した人間がいなかったそうですからね。大司教から提示された退団の条件は、今回の騎士爵の亡命を成功させること……それさえこなせば、別に抜けてもいいということですが」
「それは……なんだか嫌な予感がするのですが」
この亡命公爵の孫娘、大丈夫か? 今回のミッション中の事故に見せかけて処理されたりしない?
「まあボクは、父が死んだために急遽その後釜として協力者になっただけで、他の団員についてほとんど知りませんし、情報を漏洩させる心配も少ないと判断されたのでしょう。ヴェストヴェストの地下通路がああなってしまった現在、ボクを組織に置いておく旨味も少ないですし。……その点では、障煙の魔女に感謝しています」
「そうですか。それなら、良いのですが……」
今回の亡命作戦、マルメッラーダという案内人がいなければ成功の見込みは限りなくゼロになる。彼女が脱落してしまったら、最悪全滅という事態にも陥りかねない。
そうなったらどうしよう。ちゃんと帰れるかな……。
「お二人とも、そろそろ危険地帯に入ります。戦闘から半年経った現在も、地上でも防毒マスクが必要になるほどです。地下通路には糜爛性の瘴気が溜まっているため、息を吸うことはおろか肌を晒すことさえできません……」
戦闘時に使用されたのは、塹壕や地下通路に潜む兵士を戦闘不能にするための、空気より比重が重く、残留性の高い毒ガスである。
そしてその瘴気を生んだ魔法使いは、こうして健康上の理由から毒素の分解もできないままでいる。
「そんなとこ、どうやって通るのですか? あたいも毒に対する耐性は高いけど、肌が爛れるほど強い瘴気だと、無傷では通れない」
アナベルはイヤイヤをするように首を振った。彼女はハルピュイアとダークエルフの混血によって起こった突然変異のためか、自身の体内で毒を生成することができるらしい。
毒への耐性があるのも、そのためだという。そんな彼女でも、地下通路に溜った濃い瘴気を浴びれば、ダメージを負ってしまう。
「ボクも魔法を使っていれば息を吸うことはできますが、肌に触れる瘴気はなんともなりません。気密性の高い防毒スーツが開発されでもしない限り……その瘴気をどうにかするため、大司教は公爵様を指名したということですが」
案内役は、大丈夫だろうな? と説いたげな視線を僕に向けた。
僕は問題ないということを表すために、静かに頷いた。




