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異世界農楽集  作者: 夢忌無意味
第七章 農楽談儀
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農民芸術概論

 

 5月といえば皐月。由来は「早苗を植える『早苗月』が縮まった」とも、「神に捧げる()を植える月」とも言われている。他にも稲苗月いななえづき早稲月さいねづきなど、5月をあらわす言葉には「稲」の文字が目立つ。


 まあ、ここ日本じゃないから、旧暦の話をしても仕方がないけど。


 僕はティターニアさんと二人、フェロニアさんが眠る桜の樹へ向かうため、田植えの終わった農地を並んで歩いていた。


「耕地の消耗と劣化によって自由な農民が消え失せる時には、農民とともに、真の市民精神と祖国愛もまた色褪せてしまいます。すなわち、宗教的な感情、自らが生をうけた郷土と鋤き耕やす土地への愛情は、農民の中にこそ保たれているのです」

 僕は、いつか何かで読んだ言葉を、何となしに呟いた。ティターニアさんは黙ってそれを聞いていた。


「農民は誰よりも天の恵み――生命の賦与する太陽の光、稔りを与える雨――の価値を知っており、それなしにはどんなに困るかを知っていたはずです。農民の所有する小さな農場は売り物ではなかった。彼らはその価値――金額ではありません――について、しっかりとした尺度を持っていました。農民は、侵略者に対して抵抗の武器を棄てた国における最後の者、他のすべての人が生来の領主への忠誠を失った時にも、それを堅持する最後の者です」

 国家に対する捏造された愛ではなく、恵みを与えてくれる在所への土地に根付いた愛。


 オステンヴォルケは、愛国心ナショナリズムではなく愛郷心パトリオティズムを育む土地であって欲しい。


「私のオリーゼと、貴方の農林“天”……2つの作物が生み出す秋の風景が、この土地に生きる方々にとって、最も美しいものでありますように」

 ティターニアさんは、そう小さな祈りの言葉を述べた。


 屋敷の周辺の五反の田圃。日当たりの良く温かいこの農地にだけ、オリーゼではなく“天”の苗を植えてみた。


「農林“天”は、穂がとても鮮やかな金色なのが特徴です。そして、密植栽培でもよく育つ……単に食べるに適しているだけでなく、見るに適している品種なのです。農村の景観を美しく彩るための作物……と言ってしまうと、大げさかもしれませんが」

「生き物というのは、美しいものに強く心惹かれるものです。そして、そこには愛が生まれる。この地の方々はきっと、貴方と、貴方が生み出した風景とを深く愛することでしょう」

 僕らは立ち止まって、一面に広がる緑の田圃を眺めた。


「僕が生み出したのではありません。自然の恵みと、農民達の勤勉な手が、最高の風景を創り出すのです」

 農によって生み出される田園の風景は、生命の芸術である。


 その美しさは、どんな絵画や彫刻にも劣らない。自然と農地とが調和した田園の風景が喚起する魂の悦びは、ワーグナーの音楽にだって負けない。


「“文化カルチャー”の語源は、“耕す”の古語に由来すると言われています。今日、文化というものは都市にある大学の研究室や貴族の出入りするオペラハウスで作られています……僕は、自然と農民とが創り出す芸術に、もっと目を向けて良いのではないかと思うのです」

 僕は両手を広げて、ティターニアさんを振り返った。


「リヒトさんは、都市がお嫌いなのですね?」

 そう言って、彼女は小さく笑った。


「嫌い、という訳ではないのですが……反感というか、反発というか……少し複雑な感情があります。自然と共存するのではなく、克服するという考え方は、あまり共感できません」

「同感です。エルフとドライアドの血を受け継ぐ私にとって、自然というものは命の根源そのものです。ですが……都市を造りアスファルトで覆われた土地を好む人間にとって、自然は克服すべき相手でしかないのでしょうか……」

 妖精の女王の問い掛けは、人間の僕の耳に、とても強く響いた。

 

「多くの人々がーーアスファルトに生きる人も含めてーー再び自然の美に気付き、リヒトさんの掲げる農民芸術に共感する日が、いつか来てほしいものです」

 そう言って、ティターニアさんは並んで歩いていた僕の右手を握った。


 その手を握り返そうか迷っている間に、彼女はパッと左手を離し、夕日に染まった頬を少し緩ませて、控え目にはにかんだ。

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