凍土羆撃退戦
凍土羆は低く唸ると、三メートルを超える巨体を揺らしながら迫ってきた。
準備ができないまま戦闘になってしまった以上、出来ることは限られている。僕は身を守るため剣を抜いて構えた。
「グルァァ」
凍土羆は短く吼えると、氷で強化した鋭い爪を振り挙げた。横飛びで躱しながら、試しに背を斬り付けてみた。
「硬っ……」
凍土羆の毛皮は、毛の一本一本に分厚い氷を纏っており、ヤマアラシのように攻防一体の鎧となっている。剣で多少削ることは出来るが、それもすぐに再生してしまう。爪での攻撃はもちろん、体当たりでももろに食らったら致命傷である。
凍土羆の一撃は空を切ったが、その勢いのまま僕の後ろにあった木を根こそぎにした。
「おっかねぇ」
戦争を経験して、一番恐ろしい動物は人間だと思っていた。しかし魔獣と一対一で向き合うと、そのシンプルな力の強さに畏れ入ってしまう。
木の陰に身を隠し、作戦を練る。僕が魔力と魔法以外で凍土羆に勝っている点があるとすれば、知能だけである。
毒……あの巨体の魔獣にも効く強力な毒で、この周囲でも入手できる毒……あった。トリカブトだ。
地上部を枯らしているが、ヨモギに似た葉が芽吹いている。
瞬間。殺気ではない、食欲そのものが大気に溢れ出したような気配がした。木が、隠れていた僕の方に向かって倒れてきた。
間一髪、巻き込まれるのを避けたが……こいつ、木のてっぺんに跳び着いて、巨体に任せて木ごと僕を押し潰すようにしたのだ。この魔獣、賢いぞ。
剣を鍬のように使って、素早くトリカブトの根を収穫する。木や岩の陰に身を隠しながら剣の上に血で錬成陣を描き、毒の成分を抽出する。
「よし」
あれ程の巨体の魔獣であれば、トリカブトの毒を以てしても絶命には至らないだろう。だが討伐する必要はない。僕の勝利条件は、凍土羆の一時的な撃退である。
爪での薙ぎ払いを躱しながら、掌や関節など皮の薄い部分を切る。切っては身を隠しを繰り返す。
「……おかしい」
もう十分以上経っている。凍土羆の体重を考えたとしても、あれだけの量のアコニチンを撃ち込まれて動き一つ鈍らないのは、どう考えても変だ。
凍土羆が暴れ回ったおかげで、身を隠す木が無くなってしまった。このままではジリ貧だ……。そのとき、倒れた一本の木から食い荒らされた蜂の巣が転がり落ちた。
「……これか」
おそらくこの魔獣、トリカブトの花の蜜を集めた蜂蜜を食べていたため、毒に対する耐性を獲得していたのだ。
そうなるど、もはや打つ手無しだ。逃げることもできるが、村に魔獣を連れ帰る結果になってはまずい。
やむを得ない。魔法を使うしかない。僕は手を翳し、魔力を込めた。その瞬間ーー
「ーー山川霜黙」
森の奥から声がして、刺すような冷気が一帯を覆った。その中心にいる凍土羆は、冷気に強いはずにも拘らず震え出し、喘ぎながら白い息を吐いた。
氷で鎧われた毛皮が蒸発するように剥がれ始め、凍土羆は声のした森の奥を鋭く睨みつけた。
僕はその隙に凍土羆の額を剣で横薙ぎに斬った。流れ出した血が、眼に入った瞬間凍結し、魔獣の視界を奪った。
凍土羆は小さく呻くと、背を向けて山の方へと逃げ去って行った。
「いまのはいったい……誰かが、助けてくれた?」
僕は声のした方を見た。修道服に身を包んだ女性が、森の奥の方に去っていくのが見えた。
「そう言えば、女神様が森の奥に教会があるって言っていたような……」
その教会のシスターだろうか。それにしても、あれ程の魔力に高度な魔法はいったい……。
「言いそびれてしまった御礼は、今度改めて言いに行こう」
ひとまず、今は村に材木を運ぶのが先決である。
僕は凍土羆が暴れ回って伐り倒した木を筏に組んで、村へ向けて川を下った。




