籠の外
「お久しぶりね、王子さま。虫籠の外の世界を見せてくれるって約束、覚えていてくれたのね」
辺境伯邸で一夜を過ごし、ウンゲツィーファの小屋へは翌朝早くに訪れた。彼女はすでに荷造りを終わらせており、行李の上に腰かけて僕を待ち構えていた。
「ごめんなさい、姫君。八年も待たせてしまいました。あれから、色々とありまして」
「いいのよ。楽しい未来を想像しながら待つのは、悪くないものよ」
そう言って、全身を覆った白の重たいベールの下から、ウンゲツィーファは顔をのぞかせた。
白い肌、白い髪、白い瞳。身に纏う衣さえ真っ白である。表情は相変わらずどこか無機質で、13という年齢には不釣り合いなほどの落ち着きと、大人びた容姿であった。
「……あら。その髪結いの紐、まだ持っていて下さったのね」
ウンゲツィーファは、僕の束ねている後ろ髪をちらと見た。
「ええ。これは貴女から頂いた、大切な宝物ですから。結うためにこうして髪も伸ばしているのです」
「よくお似合いよ。髪が長い方が一層、王子さまの美しさが引き立ちますね」
そう言うウンゲツィーファの髪も、あのころよりもかなり伸びて腰まで覆う程である。動くたびに揺れる毛は、白い翅のようであった。
「それでは、籠の外にでましょうか。姫君、僕と一緒にオステンヴォルケへ行ってくれますか?」
「ええ。喜んで。連れて行って下さいな、王子さま」
僕は、魔蟲愛づる姫君・ウンゲツィーファ・ヴァッハフォイアーの手を取って、外へ出た。
――馬車は辺境伯邸を離れ、オステンヴォルケへ向かって北進を始めた。
「私はね、全部知っているのよ。自分の出生についても、お父様が私をどう取り扱ってよいか分からず、困ってらっしゃったことも」
僕が、辺境伯から聞いた話をウンゲツィーファにどう話そうかと考えていたところ、彼女の方からそう切り出した。
僕ははっとして、ベールに包まれた彼女を見詰めた。
「いつから、知っていたの?」
「私には従魔獣術の才能とともに、パズズ・アラーニェとその娘の記憶も“遺伝”しているのよ。それは、きっと私のように魔蟲の血が色濃く現れた“先祖返り”の人達も同じだと思うわ。だから三千年も蟲毒の魔女と蟲龍にまつわる伝承が、消えずに残っていたのよ。口伝えや記録だとそうはいかないわ」
「記憶の遺伝……そんなことが」
確かに、魔法は当人の記憶や想いと深く関わるとされている。そして、魔力や魔法の才は遺伝することが多い。
この世界では、それらと共に記憶が遺伝するということも、有り得るのかもしれない。
「私はね、自分が生まれたときのことも覚えているの。断片的にだけど……私が母の胎内にいたとき、当然目は見えなかったけれど、光は感じたわ。私はその方向へ夢中で進んだ。そしたら何か膜を突き破るような感触がして、光の中へ出た」
ウンゲツィーファは抑揚のない声で、語り始めた。
「耳はくぐもってほとんど聞こえなかったけれど、母のうめき声と、誰かの悲鳴は、振動として感じたわ。私は、目も耳も、手も足もない、ぶにぶにした皮膚と、歯が剥き出しになった口とだけが付いた、一匹の妖蟲だったの」
彼女は、記憶の糸を紡ぐように、一定のリズムで淡々と言葉を吐き続けた。
「剥き出しになった皮膚に当たる光が辛くて、私は口から何かを吐き出したわ。そして夢中でそれに包まった。そうしたら自分がどろどろに溶けて、段々耳や目や手足が出来てきた。繭のなかで、母がお父様に私を殺さないように懇願している声を聞いたわ。母は、お父様が『わかった』と言うのを聞くと、それ以上は何も言わなくなった。亡くなったのね。私は三日後に、繭の中から人の形をして産まれたの」
人。ではなく、人の形をしたもの。人の形をした蟲。彼女は、自分のことをそう考えているのだろうか。
「私、あの邸を出られて本当に良かったと思うわ。だって、お父様が余りにも可哀想ですもの。あの方は、常識的でとても良い方よ。だから、私の様に不条理な存在がずっと側に居ては気の毒なのよ……この血の呪いで一番不幸になったのは、私や母ではなく、お父様かもしれないわ」
辺境伯を気遣うその言葉のなかに、初めて彼女の感情のような揺らぎが見えた気がした。僕は肯定も否定もせず、黙って彼女の言葉を聴いていた。
「私はね、意外かもしれないけれど、自分のことが結構好きなの。私は、人の形をした蟲で、儀式の供物にもできない穢れた蟲よ。そして、渾名の通り”魔蟲愛づる姫君”なの。だから、自分のことも好きじゃないと可笑しいじゃない」
ウンゲツィーファは不条理を一笑に付すかのように微かに明るい声で言い、そこで話を締め括った。




