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確信 2


 大介は一度捲ったページをいったん最初まで戻し、再び気合いを入れて読み始めた。


注意したことはとにかく理解すること。山口先生がなぜこの小説を読んでみろといったのか、その理由がわかるまでは何回も読み返す心積もりであった。


しばらくすると小説の主人公が結婚を決意したところまで読み進んだ。


そのシーンは主人公の父親の会社に飾ってあった画を見た瞬間であり、そのとき躰が震えるほど感動して2,3日その状態は続いたという。


そして「この画は、わたしでなければわからない」と確信したのだが、面白いことにそれほど感動しながら、彼女はその画家が一生成功しないと思い込んだ。


さらにそういう人だからこそわたしを必要とし、ともに助け合いながら生きていける、と決心して結婚する。


つまり男性の素性など全く知らず、画だけを見て判断してしまう。


このことが間違いの始まりであり、いざ一緒に暮らすようになると、はじめは彼女の望みどおりの慎ましやかな生活であったが、夫が画家としての地位を確立していくと不満が募っていく。


さらに彼女の抱く夫の人物像は思い違いであることを知り、本当は中身のない平凡な人であることに気づき絶望する。


 それでも夫は順調に画家としての評価は上がる一方であり、彼女はとにかくそれが気に食わない、むしろつまずいてほしいと願う。


しかしそんな気持ちを嘲笑うかのように夫は成功し続けていくのである。


そしてお金にまったく不自由しない生活になると、主人公は反対にどんどん生きがいをなくしていき、ますます夫を信用しなくなる。そして冒頭の「おわかれ致します」と宣言することになってしまうのである。


 ここで大介は考えた。太宰がなぜこのような小説を書いたのか。


当時は昭和のはじめだからといって、最初から苦労することがわかっていて、それでもなお結婚したい、と願う女性は少ないはずだ。


それでもあえてこの小説を書いた理由は、もともと人間というのは定義することが難しく、人間性が最悪でも素晴らしい画を描くことが可能だし、人づき合いを疎んじても深い人間関係が築ける、と太宰は表現したかったのんではないか。


つまり太宰自身もそういう才能に恵まれていた可能性がある。


 しかし、世間では成功するものは必ず陰で努力しているはずだし、人力にも裏づける理由がある、と考えられている。


ところが主人公の夫は、そんなこととは無縁であり、彼女は余計に陳腐なるものが偉大な成功者になる現実に我慢できないのだ。


そして山口先生は大介に太宰の非凡たる所以を理解してほしかったのかもしれない。


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