第四章 私の知らない時間 四
四
放課後、美術室には八人ほどの部員が集まっていた。
私は入口に近い椅子を借り、邪魔にならないよう壁際へ座った。
美術部の顧問が、公募展の応募要項を読み上げている。作品の大きさ、搬入日、使用できる画材。陸上の大会要項とは違う言葉ばかりだった。
葉子と紬は、窓際の机に並んでいる。
二人の前には同じ紙が置かれ、紬が鉛筆で何かを書き込んでいた。葉子がそれを覗き込み、小さく頷く。
説明が終わると、部員たちはそれぞれ制作へ戻った。
葉子は棚から画用紙を取り出した。紬も自分のスケッチブックを開く。
「桜、退屈なら先に行っていいよ」
「まだ時間あるから」
「走る前に絵を見てたら、眠くならない?」
「葉子の絵で寝たことない」
「授業中、教科書の挿絵で寝てたじゃん」
「あれは先生の声」
葉子は笑い、自分の席へ戻った。
紬がこちらを見る。
「最近よく来るね」
「二回目だけど」
「前は迎えに来ても、廊下で待ってた」
確かにそうだった。
美術部の活動中へ入るのは遠慮していた。葉子が片づけを終えるまで、特別棟の廊下や昇降口で待つことが多かった。
「公募展、見てみたかったから」
「まだ何も描いてないよ」
紬はそれだけ言い、自分のスケッチブックへ戻った。
葉子が隣で笑いをこらえている。
「何」
「桜、追い返されてる」
「追い返してない」
紬が顔を上げずに言った。
「まだ見るものがないって言っただけ」
無愛想だが、嫌われているわけではないらしい。
私は壁際の作品を眺める。
去年の文化祭で展示したものや、授業の課題らしい静物画。棚の上には、乾いた絵の具の瓶と石膏像が並んでいる。
しばらくすると、葉子と紬が作品の相談を始めた。
何を描くか。
去年の作品で足りなかったもの。
光の向き。人を入れるか、風景だけにするか。
話の半分ほどしか分からない。
それでも、葉子が普段より速く話していることは分かった。
「でも、前の駅の絵は、人がいなくても人を待ってる感じがあった」
紬が言う。
「あれは桜を待ってるときに描いたから」
葉子が何げなく答えた。
私は思わず二人を見る。
葉子も、自分が何を言ったのか気づいたらしい。手にしていた鉛筆を止める。
「そうなんだ」
紬だけが平然としていた。
「じゃあ、その人を描けば」
「それは」
葉子は私を見た。
目が合う。
すぐに逸らされた。
紬は葉子の視線を追い、こちらを見る。
何も言わなかった。
しかし、何かを理解した顔だった。
私は居心地が悪くなり、時計を確認した。
「そろそろ部活行く」
立ち上がる。
葉子は引き止めなかった。
「うん。終わったら連絡して」
美術室を出る。
廊下へ出た途端、胸の奥へ溜めていた息が抜けた。
駅の絵。
葉子が以前見せてくれた、夕方のホームを描いた作品を思い出す。人影はなかった。古い屋根と、長く伸びた柱の影だけがある。
あれは私を待っているときに描いたものだった。
葉子の絵には、描かれていない私がいた。
そのことを知り、胸の奥が少し熱くなった。
一方で、葉子の気持ちを紬に知られたような気がして、落ち着かなかった。




