警告音・中
「分かっちゃいたけど、人が多いね……」
「そう、ですね」
シャインモールに到着したアタマとテルは、互いに顔を見合わせた。
腰を落ち着けようにも、時間帯の所為か混みあっている。
「んーっと、十八時までまだ時間はあるし、お昼は時間をずらしてからにしようか。許袁呂さんのことは、歩きながらでもできるし。こういう場所で、他人の会話に耳を傾ける物好きな人もいないだろうしね」
アタマの提案に、テルは「はい」と頷いた。
許袁呂の所から戻って来たくーを肩に乗せ、アタマは歩き出す。
「……えっと、単刀直入に聞くね。テル君たちは許袁呂さんをよく思っていない感じだったけど、どうして?」
「神様であることは認めますが、直感で『よくない神だ』と感じたからです。迂闊に近づくと、底なし沼に引きずり込まれてしまいそうな……」
「なるほどねぇ」
「そ、そんな他人事のように……っ」
「だって、少なくとも、私は引きずり込まれていないから。……むしろ、許袁呂さんに出会わなかった未来の方が、『別の底なし沼』に沈んでいたと思う」
アタマと許袁呂が出会う原因を作った老人や、親戚のお兄さんのような人たちに小さな傷をつけられながら、下を向いて毎日を過ごしてゆく。
それこそ、アタマが高校を中退する原因となったガイドも、あの生徒が飛び降りなければ、『これだから、今の世代は』と見下したままだった。
(許袁呂さんが居なければ、嫌な声は花にならないまま私の耳に入り込んできていた。そして、心はどんどん削られていた。……今みたいに、背筋を伸ばして、相手の目を見て話すことなんてできずに、大人になっていた)
それに、とアタマは思う。
許袁呂が居なければ、有閑マダム(仮)の夫は、最悪の未来が待ち受けていた。
浮気をされたあげく、DVをでっちあげられ、身も心もボロボロになる未来。
そうれでなくとも、SNSの被害者は増えていた。
「許袁呂さん以上に『よくない』存在は、たくさんいるわ」
贄に捧げてきた者たちの顔を思い浮かべ、アタマはテルにそう言った。
(それに、もう後戻りできないところまで来ているし……)
テンから貰った包丁の光が脳裏をよぎり、心中で苦笑いを浮かべる。
「……それは、否定しません。私も、霊感があるというだけで、周りから随分と『気味悪がられた』ことがありますから」
テルは、そっとパーカーの袖をずらし、腕に残る火傷の痕を見せた。
細く青白い腕に、ミミズ腫れのような痛々しい痕が幾つも走っている。
アタマが息を呑むと同時に、テルは袖を元の位置に戻した。
どのような経緯でつけられたのかは語らなかった。
だが、先程の言葉と合わせて、なんとなくではあるが察せられた。
目の前の人物が化け物に見えるような目に、遭わされてきたのだろう。
(え、ええ、ちょっと待って。テル君は十四歳くらい。さっきの火傷、結構前に負った感じだったし。ということは小学生か、それよりも前に、こんな惨いことをされたってこと?いや、大人ならいいってわけでもないけど……)
頭の中が、嫌な想像で埋め尽くされる。
同時に、目の前の少年に傷を負わせた『誰か』に怒りを覚えた。
(でも、ここで過剰に同情めいた視線を向けるのも違うよね。テル君も、そういうのを望んで、私に火傷の痕を見せたわけじゃない)
「人の醜さは承知のうえで……ということ?」
「……はい」
テルは小さく頷くと、首元に浮かんだ汗を拭った。
暦の上では秋ではあるが、暑い日も多い。
だが、半袖を着ることは躊躇われるのだろう。
暑さで体調を崩しはしないかと、アタマは心配になった。
(……損な話だよね。傷つけられた方が我慢しないといけないなんて)
暫く歩いていると、『彼岸花事件』と切り離せない場所が見えてきた。
(風化した訳じゃないけど、殆ど話題に上がらなくなったなぁ)
騒ぎが起こった場所では、ピエロの格好をしたスタッフが、子供に風船を配っている。
「あんなことがあったなんて、嘘みたい」
「『彼岸花事件』から端を発した事件ですよね」
「ああ、やっぱ知ってるか」
「はい。かなり騒がれていましたから」
「……事件の関係者の人たち、今頃どうしてるんだろうね」
「さあ、表面しか知りませんので、そこまでは」
「……さっきの話だけどさ。私、許袁呂さんのもとを離れるつもりはないよ。少なくとも、許袁呂さんが私に『いらない』って言うまでは」
ぐっと体に力を籠め、アタマはテルにそう告げた。
テルは、アタマから発せられる気配に気圧されたように足を止める。
「それに、テル君たちが心配するような事にはならないよ。ちゃんと『線引き』は出来ているつもりだから。少なくとも、『彼岸花事件』の人たちよりは」
(そう、あの人たちは、テル君の言う『よくない存在』が近くにいなくても、面白半分に人を殺した。何かにとり憑かれるとかじゃなく、本人の意思で)
そっちの方がよっぽど怖い。
アタマは、心の底からそう思った。
「……ですが、このまま進んで行くと、戻れなくなってしまいますよ。人の理を外れてしまうという意味でです。永遠に、許袁呂様の眷属になってしまうかも」
「ひとのことわり、か。それでもいいよって今は言えるんだけどね。なんというか、その道の人にどれだけ言われても、感覚がよく分からないというか……」
『ああ、この人に声が届くことはないのだな』
テルは、そんな言葉を顔に貼り付けながら、悲しげな顔でアタマを見た。
「まっ、そっちに迷惑かけないよう努力はするから!」
「い、いえ、…………はい」
ドンッと胸を叩いたアタマに、テルは諦めたように頷いた。
だが、「もしもの時は、いつでも連絡を」と力強い声音で言う。
「うん、ありがとう。……すごいね、一回会っただけの相手に、ここまで骨を折ることができるだなんて。下手をしたら、酷い目にあったかもしれないのに」
「少なくとも、貴方はそんなことをしないでしょう?」
「ま、まあ、そうだけど……」
(儚げな見た目と雰囲気だけど、強いなぁ。私だったら無理。一人で会いに行くだなんてできっこない)
アタマは、こちらを見つめるテルを見て、尊敬の念を抱く。
当てもなくモール内を歩き、二人はツツジ書店という本屋に入った。
(……というか、もう話し合いは済んだんじゃ。とはいえ、これで「じゃ、さよなら」っていうのも味気ないか。せっかく、シャインモールに来たんだし)
「えっと、三十分経ったら本屋さんの入り口前でどう?」
「はい。構いませんよ」
(うう、本当、私よりもずっとしっかりしているなぁ……)
謎の敗北感を覚えながら、アタマはテルと別れた。
写真集や画集が並べられている棚へと向かうテルを見送り、アタマは「さて、どうしよっかな~」と店内を散策する。
「……っち」
憎しみを孕んだ舌打ちが聞こえ、思わず目を向けた。
視線の先には、仄暗い目をした人物が立っていた。
見た目からして、アタマよりも、四、五才は年上であろう事がうかがえた。
その人物が睨みつけているのは、一冊の本。
帯には、『若者の甘えを一刀両断!』と大きな文字で書かれている。
(……ああ、「これだから最近の若者は」的な本か。まあ、実際に読んだわけじゃないから、そう決めつけるのは良くないけど)
いつぞやの老人を思い出し、アタマは胃が痛くなってきた。
次いで、本を睨んでいる人物の顔を見る。
疲れ切った顔。『甘え』を知らない顔。
これだから、と一纏めにされてしまう……損な顔だった。
(私だって、「最近の高校生は」って言われるときがあるし、テル君だって『最近の子』。……でも、私たちがどれだけ『努力』しても、『全体』や『傾向』には勝てない。そもそも、ああいった人は、私たちの『生』なんてお呼びじゃないの)
『あちらにはあちらの言い分がある』
『自分たちのような存在を気にしていてはキリがない』
そう言い聞かせて見たが、アタマの心は重くなるばかりであった。
視線に気づくことなく、目の前の人物は本を裏返す。
そのささやかな抵抗に、アタマは「ふふっ」と笑ってしまった。
褒められることではないが、気持ちは理解できたからだ。
「……あのままにしておこう」




