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錬金術師の助手は余計なお世話が止まらない  作者: 螺旋


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10/10

水源

 排水路の現場視察は、予定通り五の日の午前に行われた。


 ノエルが工房の外に出るのは、買い出しを除けば久しぶりだった。秋の空は高く、通りの木々は黄色く色づいている。レーゲンの町は王都から馬車で五日の地方都市だが、朝の市場はそれなりに賑わっていた。すれ違う人の何人かがノエルに会釈する。「先生、おはようございます」。顔を知られている。


 南街区の排水路は、思ったより酷かった。


 石組みの水路が通りの脇を走っている。幅は腕を広げたくらい。底が見えないほど濁った水が、ほとんど流れずに溜まっていた。近づくと、甘いような嫌な匂いが鼻についた。魔導合金の廃液の匂いだ。鍛冶師が魔導刻印用の合金を加工する際に出る排水で、残留魔力を含んだ金属成分が溶け込んでいる。水面に青黒い膜が浮いていた。


「築四十年超、か」


「はい。ギルドの記録によれば、前回の大規模修繕は十八年前です」


 シフの声は、携帯端末——手のひらサイズの通信石——から聞こえた。工房から離れると音質が落ちるとシフは事前に言っていたが、声は十分に聞き取れる。ただし距離があるせいか、いつもより微かに遅れる。


 ハーゲンが排水路の縁にしゃがみ、水面を覗き込んでいた。


「この膜は?」


「魔導合金の廃液に含まれる金属成分です。鍛冶区画からの排水がここで滞留し、残留魔力ごと堆積しています」


 ノエルも水路の縁に寄った。指を水に近づけ——入れはしない。排水路の濃度なら触れただけでも肌が痺れる——水面の膜を見た。これほど堆積した廃液が飲料水に混入すれば、魔力酔いを起こす。頭痛、倦怠感、子供や老人には深刻な影響が出る。この廃液が石組みの隙間から地中に染み出しているとすれば——


「シフ。この排水路から地下水脈までの距離は」


「蔵書データでは正確な測定記録がありません。ただし、レーゲンの地質は表土層が比較的浅く、排水路の底から地中に浸透し、地下水脈に到達している可能性は否定できません」


 否定できない。つまり、井戸水の異変と繋がる可能性がある。


 ハーゲンが立ち上がり、ノエルの方を見た。


「先生。先日お話しいただいた井戸水の件、この排水路と関係があると思われますか」


「断言はできません。ただ、鍛冶区画の廃液がここで滞留して地中に浸透し、地下水脈を通じて水源地の井戸に到達している——という経路は、あり得ます」


「あり得る、で終わらせるわけにはいかんのです」


 ハーゲンの声が低くなった。穏やかさの下に、支部長としての重みがあった。


「先生。実は、今日お見せしたかったのは排水路だけではありません」


 ハーゲンが歩き始めた。南街区を抜け、町の東側へ。建物がまばらになり、畑が見え始めた。


「水源地です」


 町の北東。建物が途切れた先に、開けた空き地があった。石組みの井戸が三つ並び、周囲には石畳が敷かれている。水汲み用の桶が置かれ、朝の時間帯だからか、すでに何人かの住民が水を汲んでいた。


「すみません。少し見せていただけますか」


 ハーゲンが住民に声をかけ、井戸の一つから水を汲み上げた。木桶に溜まった水は、見た目には澄んでいる。色も匂いも、特に問題はなさそうだ。


「少し」


 ノエルは桶から手で水を掬い、口に含んだ。——舌の先に、微かな苦味が走った。飲み込まずに吐き出す。


「これは——」


「三日前から、三つの井戸のうち二つでこの状態です」


 ハーゲンの声には焦りがあった。


「ギルドに報告が来たのは昨日です。住民は最初、季節のせいだと思っていたようですが、味がおかしいと言う人が増えまして」


 季節のせいではない。この苦味は、排水路のあの廃液と同じ成分だ。


「シフ。レーゲンの共用水源は、この三つの井戸だけか」


「いいえ。町内に個人所有の井戸が数十ありますが、共用水源としてはこの三つが主要です。住民の約六割がここから水を得ています」


 六割。町の半分以上だ。


 ノエルは桶の水をもう一度見た。濁りは薄い。今はまだ、味が変わった程度だ。だが雨季が来れば——排水路の滞留水が増え、地中への浸透が加速する。残留魔力の濃度が上がれば、飲んだ人間に魔力酔いが出始める。


「先生」


 ハーゲンが正面からノエルを見た。


「これが、顧問としての最初の案件です。——いや、案件という言い方は正確ではない。お願いです」


 お願い。ギルドの支部長が、頭を下げる形で来ている。


「雨季までに、何とかしなければなりません。残留魔力を含んだ水を住民が飲み続ければ、魔力酔いが広がる。子供や年寄りから倒れますぞ」


 大げさではない。水は生活の根幹だ。代替の水源がなければ、町を出る人間が出る。


「……どのくらいの猶予がありますか」


「雨季の本格的な到来まで、あと二十日ほどです」


 二十日。短い。


「原因の特定と、対策の立案。二つが要ります。原因が排水路からの浸透なら、排水路を修繕するだけでは間に合わない。地中に既に浸透した廃液をどうするかも考えなければなりません」


 ノエルは自分が話していることに驚いた。研究の仮説を組み立てるときと同じ口調になっている。原因の推定、変数の特定、対策の設計。構造は同じだ。


「シフ」


「はい、ご主人様」


「地下水脈の浄化に使える錬金術的手法を調べてくれ。残留魔力の吸着か、分解か、あるいは水流を変えるか。候補を出してくれ」


「かしこまりました。調査には数時間を要します。工房にお戻りになってからご報告いたします」


 ハーゲンがノエルを見ていた。さっきまでの焦りが、少しだけ和らいでいる。


「先生。引き受けてくださるのですな」


 引き受ける、とは言っていない。原因を調べろとシフに言っただけだ。だが——


「……断る理由がない」


 ハーゲンが微かに笑った。「断る理由がない」が、この人にはどう聞こえるか。おそらく「やる気がある」に翻訳される。違うのだが。


 帰り道、ノエルは町の通りを歩きながら考えていた。


 魔導合金の廃液。地下水脈への浸透。残留魔力の蓄積。雨季までの二十日。


 頭の中で、仮説五番の二層構造と、水源汚染の問題が交互に現れた。どちらも「原因の構造を理解し、適切な対処を設計する」という作業だ。違うのは、二層構造は急がないが、水源汚染は二十日で結果を出さなければならないことだ。


 工房に戻った。扉を開けると、シフが報告を始めた。


「ご主人様。調査の中間報告です。地下水脈の浄化について、候補を三つ特定しました」


「聞く」


「第一案、吸着剤の投入。錬成した吸着性素材を井戸から投入し、残留魔力を含む金属成分を捕集する。効果は確実だが、吸着剤の量が膨大になる可能性があります。第二案、水流制御。地下水脈の流れを錬金術で変え、汚染水を町の井戸から遠ざける。効果は大きいが、地下水脈の構造を正確に把握する必要があります。第三案——」


 シフが一瞬止まった。


「第三案。汚染源である排水路の底に、廃液中の金属成分と残留魔力を分解する刻印を施す。根本解決になりますが、排水路全体に刻印を施すには——」


「……大規模な刻印設計が要る。現行の単一刻印では範囲が足りない」


「はい。しかし——」


「二層構造なら、刻印の有効範囲を拡張できるかもしれない」


 沈黙が落ちた。


 仮説五番。二層構造の刻印設計。まだ検証中の仮説。実用化の目処は立っていない。


 だが、もし二層構造が機能すれば——排水路全体をカバーする浄化刻印が、現実的な工数で施せる。


「ご主人様。第三案は、ご主人様の研究テーマと直結します」


「分かっている」


「研究の検証と、水源問題の解決を、同時に行える可能性があります」


 分かっている。だからこそ——面白い。


 ノエルは作業机に座り、新しい羊皮紙を広げた。仮説五番のスケッチの隣に、水源地の地図を描き始めた。排水路の位置。井戸の位置。推定される地下水脈の経路。


 研究がしたいだけだ。それは変わらない。


 だが今、研究の先に——二十日後の町がある。

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