第二章:画面越しのトリック
翌日、神崎と歩くんは、ヒカル☆と同じ高層マンションの別のフロアに住む、人気配信者「シャドウ」こと影山光介の自宅兼スタジオを訪れた。シャドウは、自身の配信活動で得た収入で、マンションの一室をまるごとスタジオに改装しているらしい。日向は、その豪華な機材の数々に目を奪われていた。
インターホンを押すと、画面に映ったシャドウは、どこか挑発的な笑みを浮かべていた。彼はヒカル☆と並ぶほどの人気配信者であり、自信に満ちた態度で警察官を迎え入れた。
「いやぁ、まさか警察の方々がお越しになるとは。何か僕の配信で問題でもありましたか?」
軽薄な物言いに、日向は眉をひそめた。この男の態度からは、ヒカル☆の死に対する悲しみや動揺は一切感じられない。むしろ、話題の中心になっていることを楽しんでいるかのようだ。しかし、神崎は冷静なまま、彼を見つめる。
「いいえ。少しお話を伺いたいだけですわ、影山さん。お宅が、故・坂崎光さんの事件に関係している可能性がありますのでね。」
「へえ?ヒカル☆の件ですか。はは、僕と彼が不仲だったのは有名ですし、疑われるのも当然か。でも、僕には完璧なアリバイがありますからね。あの日はずっと、ここで生配信してましたし、何ならアーカイブも残ってますよ?ほら、見てくださいよ、これ。」
シャドウは、そう言って部屋の奥にある配信機材を指差した。複数のモニターが並び、その一つには彼自身の配信アーカイブが映し出されている。彼は自信満々に笑ってみせた。
「ええ、それは拝見しましたわ。非常に興味深い配信でしたわね。特に、あなたが『あっ、やべ』と呟いた、あの瞬間が。」
神崎の言葉に、シャドウの表情が一瞬、凍りついた。日向は、神崎が指摘する「同期ずれ」の瞬間のシャドウのリアクションを思い出し、ハッとした。確かに、あの時、シャドウは一瞬だけ、画面の向こうの視聴者とは違う、別の何かに視線を向けたように見えたのだ。それは、ゲーム画面でも、コメント欄でもない、まるで別の部屋を気にしているかのような視線だった。
「…なんのことです?僕はただ、ゲームの操作をミスしただけですよ。配信者ならよくあることです。いちいちそんなことまで言わなきゃいけないんですか?」
シャドウは平静を装うが、その声には微かな動揺が混じっていた。指先が、無意識のうちにマウスをカチカチと鳴らしている。
「なるほど、ゲームの操作ミス、ですかしら。しかし、その瞬間、あなたの配信映像には、ごくわずかな『同期ずれ』が生じていましたわ。そして、奇妙なことに、その『同期ずれ』の直後、ヒカル☆さんの配信映像には、クロノスが検出した『特定の波長を持つ微弱な信号の乱れ』が確認されたのですわよ。私たちの解析によれば、それは通常では発生しない、非常に特殊な乱れですわ。」
神崎は、シャドウの目を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと告げた。彼女の言葉は、まるで鋭い刃物のように、シャドウの平静さを切り裂いていく。
「まさか、そんな偶然が、二度も三度も重なるとお思いですかしら、影山さん?あなたの配信では、計三度、そのような同期ずれが発生していましたわね。いずれも、ヒカル☆さんの配信における『ノイズ』と寸分違わぬタイミングでしたわ。」
シャドウの顔から、余裕の表情が消え失せていく。彼の口元は引きつり、額に汗が滲み始めていた。日向は、神崎の尋問の巧みさに、背筋が寒くなるのを感じていた。神崎は決して感情的にならず、証拠を突きつけることもせず、ただ淡々と、しかし確実に相手の心理を揺さぶっていくのだ。その言葉の一つ一つが、シャドウを追い詰める罠になっていた。
「あの『ノイズ』は、ただの通信不良ではありませんでしたわ。そして、あなたの『同期ずれ』も、単なるゲームのミスではなかった。それが、あなたの完璧なアリバイを崩す、決定的な証拠となるのですわよ、影山さん。」
神崎はニヤリと笑った。その表情は、獲物を追い詰めた捕食者のそれだった。シャドウは、まるで口から出まかせのように、意味のない言葉を呟き始める。
「じゃ、じゃあ、僕がどうやってやったっていうんですか?密室でしたよ?ヒカル☆の部屋は!僕はずっとここにいたんだ!」
日向も、その疑問に同意するように神崎を見た。最も重要な点は、どうやって殺人を実行したのか、だ。
「ええ、その通りですわ。あなたは、ずっとここにいた。それがトリックなのですわよ、影山さん。あなたは、ヒカル☆さんの部屋に物理的に侵入する必要などありませんでしたわ。なぜなら、あなたは、別の方法で、彼を殺害したのですから。」
神崎は、立ち上がり、部屋の窓に近づいた。窓からは、ヒカル☆が住んでいたマンションの棟が、はっきりと見えた。
「影山さん。あなたはヒカル☆さんの部屋の向かい、あるいは斜め向かいのマンションに、ごく小さな、しかし強力な指向性音響デバイスを、遠隔操作で設置したのですわよ。例えば、ドローンなどを用いて。それらは、普段は目立たないよう、鳥の巣や植木鉢、あるいはビルの装飾品に偽装されていたのでしょう。」
シャドウは息を呑んだ。神崎の言葉は、彼の頭の中にある最も秘密の計画を、正確に言い当てていたのだ。
「そのデバイスは、あなたが自身の配信中に、ごくわずかな時間だけ、あなたの配信システムを操作して、起動させた。その起動時の電波干渉、あるいはシステムへの負荷が、あなたの配信映像に『同期ずれ』として現れた。そして、起動されたデバイスから発せられた超音波が、ヒカル☆さんの部屋の『ノイズ』となり、同時に彼の心臓に直接的なダメージを与えた。そう、あなたはこの、『画面越しのトリック』で、ヒカル☆さんを殺害したのですわ。」
神崎の推理は、あまりにも鮮やかで、日向は呆然と立ち尽くした。まさか、そんな非現実的な方法で殺人が行われていたとは。
「佐倉課長に、このマンション全体で『特定の波長を持つ微弱な信号』の発信源を再度調査するよう依頼しましたわ。クロノスが検出した信号は、ヒカル☆さんの部屋の特定の方向からのみ、瞬間的に観測されたそうですわ。そして、その方向には、あなたのマンションの、あなたの部屋が見える位置にある。」
佐倉からの報告を受けていた神崎は、さらに畳み掛ける。物理的な証拠は乏しくとも、クロノスの解析と佐倉の専門知識が、神崎の仮説を裏付けていた。
「バカな…そんな、ありえない…!」
シャドウは顔を覆った。彼は、自身の配信中の「同期ずれ」が、まさか殺人の証拠になるとは夢にも思っていなかったのだろう。何百万もの視聴者が監視しているはずの場所が、自身の完璧なアリバイを崩す穴になっていたとは。
「あなたの狙いは、ヒカル☆さんを事故死に見せかけ、自身のライブ配信というアリバイを完璧にすることで、疑いを完全に払拭することでしたわね?そして、ヒカル☆さんの死によって、彼が築き上げた配信者としての地位を、あなたが奪い取ることでしたわ。」
神崎は、シャドウの最も深い動機を指摘した。シャドウは、ヒカル☆の絶大な人気に常に嫉妬し、彼の成功を妬んでいたのだ。その憎悪が、彼をこのような巧妙かつ非情な殺人に駆り立てた。
「違…違う!僕がやったのは…彼を少し、苦しめたかっただけで…死なせるつもりなんて…」
シャドウは、まるで壊れた人形のように首を振る。しかし、彼の言葉は、もはや何の説得力も持たなかった。彼の目的は、ヒカル☆の失脚であり、そのための最も確実な方法が、彼の死だったのだ。
「おやおや、影山さん。あなたはご自身の配信で、常に完璧なパフォーマンスを追求していましたわね。それが、まさか殺人を計画する上で、あなたの『完璧主義』を裏目に出すことになるとは思いませんでしたわ。その『完璧』を目指すあまり、無意識のうちに、ごくわずかな『ミス』、つまり『同期ずれ』という痕跡を残してしまった。それが、あなたの傲慢さであり、同時に、人間らしい弱さでもありましたわね。」
神崎は、シャドウの動揺の隙を突き、さらに深く切り込んだ。シャドウの「完璧」への執着が、彼自身の破滅を招いたのだ。
シャドウは、もはや反論する言葉を持たなかった。彼の顔は、絶望と後悔に歪んでいた。神崎の心理戦は、常に相手の最も脆弱な部分を正確に突き、自白へと追い込む。それは、時に残酷なまでに冷徹だった。




