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  作者: 梶島
『Fairy Tale』
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10/19

希望×深淵

あたしが貘になって初めて、バクがどこにいるか分からない時間を過ごした。


バクと行動を別にすることは初めてじゃない。

時折悪夢ではない夢を覗きこんで、楽しそうな夢なら入って遊ぶこともあったからだ。

そういうとき、バクは大抵その扉の傍で待っててくれている。

そうじゃなかったとしても近場にいるし、あたしが戻ってくるのと同時に彼も戻ってくるのが常だった。


でも今は違う。

バクがどこにいるのか、ちっともわからない。


去り際にバクは、あたしの気配はわかるって言ってた。

あたしにバクの気配は分からないし、そもそもバクがそんなことできるなんてことすら知らなかった。


また彼との力の差を思い知らされたのと、彼がどこにいるかわからない不安で胸が押しつぶされそう――。



元から『昼』の時間はやることもなくて暇だし時間の経過が長く感じるけど、一人で過ごす昼はあまりにも長い。

今日何度目かわからないため息をついて、あたしはなんとか考えを整理しようとした。


――できることならバクだけでも、貘のしがらみから解放してあげたい。

だけど貘の素質のある人にいつ会えるかわからないし、そもそもあたしに会うまで四年かかったわけだ。 

単純に考えれば、次に会えるのはまた四年先かもしれない。

それだけでも気が遠くなる話なのに、さらにバク自身はそれを拒絶している。


――なら、どうすればいいのか。

となるとやっぱり、『犠牲者を出さずに解放される方法』を探すしかないんじゃないだろうか。

しかしそう伝えれば、『傷付く亜紀を見たくないから嫌だ』なんて言い出すわけで。

この切り返しがあまりにも予想外だったから混乱したけれど……。


そもそも、バクはあたしが『貘』の犠牲になることを嫌がって躊躇ったような人だ。

根っこの部分はすごく優しい人だってことを時々忘れそうになるけれど、本当は忘れちゃいけない。

だったら、あたしは傷付かないから大丈夫って信じさせるような何かが必要なのかもしれない。


でもどうしたらいいんだろう。

バクは、『亜紀が居てくれればいい』なんて言ってたけど。

あたしだって、バクがいてくれればいい。

もしものことがあっても、バクが一緒なら乗り越えられる気がする。


でも彼は、自分じゃ足りないと思ってる。

そんなことないよってことを一生懸命伝えるしかないのかもしれない。


――あぁ、なんだかこうして考えれば考えていくほど、手前手前に考えが及んでしまって……。

一体いつになったら本題に辿りつけるのかわからないや。


と、そこに。


「……おや、今日はひとりなのかい?」

「あ……」


昨日会った、虹色のスーツの青年が現れて、体をかがめてあたしのことを覗きこんできた。

どこかおどけたようなコミカルな仕草はバクと対照的で、むず痒い感じがする。

 

「さすがに男の人といつもべったり一緒、ってわけにはいかないのかな?」

「……そんなことないよ。いつもは一緒だけど、今日はちょっと色々あったの」

「ふぅん、まあ男女が一緒にいれば、ケンカするくらいよくあることだね。自分にはそういう相手が居ないから少し羨ましいかな」


ニコニコしたままそう言ってくる彼がなんだか鬱陶しかった。

別にバクとはそういう関係じゃないし。

たしかにあたしは女であっちは男だけど。

彼氏でも、お兄ちゃんでも、先輩でもない……なんて言えばいいんだろう。


「あえて言えば『仲間』だよ、バクは。別にそんな妙な関係でもなんでもないってば」

「ほほう、そうなのかい。まあ『仲間』程度の繋がりなら、それぞれのプライバシーは大事だね。家族でも恋人でもない相手にそこまで晒す必要はない」


……そうなのかな。

ずっと一緒にいて、同じ痛みを分かち合える唯一の存在のはずなのに。

そんな一線を引くような付き合い方でいいんだろうか。

むしろ全部ぶちまけちゃった方がいいように思えるのに。


「……で、ところで。あなたはなんていうの?」


まさか二日連続で会うとは思わなかったが、顔見知りになった相手の名前すら知らないのは辛い。

尋ねたあたしに対してどこか芝居がかった仕草でお辞儀をすると、彼はからからと明るい声でこう言った。


「貘である君たちが自らをバクと名乗るなら、自分もそっちの名前だけ言わせてもらおう。オーレ・ルゲイエさ」


オーレ・ルゲイエ。

その言葉の響きは耳に覚えが無い。

北欧あたりの妖精の名前らしいし、あたしが知ってるわけがないんだけれど。


「バクって名乗ってるのはバクだけで、あたしには亜紀って名前が……」

「どうなるかわからないんだから、深入りはしないのが賢明だよ」


言いかけたところで遮られた。

……なんだか寂しい付き合い方をするんだなぁ、この人。

そう思ったのが顔に出てしまったのか、彼……オーレは少しだけ困ったように笑う。


「悪く思わないでくれ。……深入りすると、別れが辛くなる。何があるかわからない世界だし、そもそも広いしね」

「あ……そっか、なんか、ごめんね」


突然その『オーレ・ルゲイエ』としての役割を押しつけられて、現実から切り離されてしまったのは彼も同じなんだ。

唐突に元の世界と別たれて、それだけで既に充分傷付いたのは、バクもオーレも同じ。


――深入りすると別れが辛くなる、か。

もしかしてバクがあまり自分のことを教えたがらないのは、そういう気持ちもあったのかもしれない。

あたしは、バクから離れる気なんて……無いんだけど。


「謝ることもないよ。ま、君の名前は覚えてしまったけれどね。アキ」


そう言って、オーレは飄々と笑った。

と、そこに。


「……亜紀」

「あ……」


バクが戻ってきた。

いつのまにか、夜が近づいていたらしい。

扉の数からして、まだ夕方くらいかなってところだけど。


「おっと、おかえり」

「何、してたの?」


にこりと笑って挨拶したオーレを、バクはぎろりと睨んだ。

いつもより低い声で、どこか咎めるようにして。

しかしオーレはおどけたように肩を竦める。


「アキが一人で寂しそうにしていたから、つい……ね」

「……そう。そりゃどうも」


――バク、怒ってる?

なんだかいつもと違う。


今まで見たことがないくらい、彼の纏ったオーラは刺々しくて。

どうしてバクがちょっと怒ってるのか、全然わからないからなんだか怖かった。


「……ちょっと大事な話があるから。あんたは仕事でもしてきてよ」

「お邪魔、ってわけかい。……いいよ。幸い、そこの扉は子供の夢みたいだから」


つっけんどんにオーレを追い払うバク。

そしてオーレもそれに素直に応じて、二本の傘のうち、子供用らしいポップなイラストがプリントされた傘をぽんっと開いて近場の扉を開けた。


――また、バクと二人きり。

でもちょっと機嫌の悪そうなバクになんて言葉をかけたらいいかわからなくて、あたしは黙ったまま。

しかし先に口を開いたのは向こうだった。


「……なにか、変なこと吹きこまれたりしなかった?」


その声は、さっきオーレを追い払った時の声とは全然違っていた。

どこか心配するような、優しい声。


「へ、変なこともなにも。ろくに喋ってすらいないよ。ちょっとした自己紹介くらいしか……」

「……そう」


ありのままを答えると、バクは少しだけ複雑そうな顔で目を伏せる。

……また、心配かけちゃったのかもしれない。

なんだか昨日からバクは変だ。

オーレと会ってから……と言った方がいいかもしれない。

それなりにあたしのことを考えてくれてたのは分かってたつもりだけど、ここまではっきりと態度に出されるなんて……。

今までからしたらありえなさすぎて戸惑ってしまう。


そうして困惑するあたしを分かってかそうでないのかは分からないが、バクはぽつぽつと言葉を紡ぎだす。


「とりあえず、さ。お互いちょっと距離置いて頭冷やそうって言ったじゃない?」


それに対してあたしは頷いた。

結局答えらしい答えは出せなかったし、問題の手前にまた問題、の繰り返しで……。

バクに言われてたように、途方もない話でしかなくなってしまったんだけれど。


「俺も色々考えてみたんだけど、やっぱり……亜紀の言う、『被害者を出さずに解放される方法を探す』ってのには、やっぱり賛成できない」


そうして彼が改めて告げてきたのは、結局お互いの考えが平行線であることを伝えるものだった。

 

「亜紀の言い分もわかるよ。前向きでいたいって思うのは、たぶん普通なことだと思う。……それと、ここからは俺のわがまま」


そう言いながらバクは、近場の扉に背中を預ける。

いつものように扉の上に座りはしなかった。


「貘としての生活に嫌気がさしてたのは本当だけど……現実に戻りたいとも、思えなくなってきてるんだ」


そして語られ始めた、バクの『本音』。

昨日からぽつぽつと話してくれている彼の話は、あたしが想像していたものよりずっと過酷だった。

そんな環境で生きてきた彼がシビアなものさしで物事を見るのは当たり前かもしれない。

さらにそれが少し行きすぎて、ネガティブな捉え方が染みついてしまっている。

彼をそうさせた原因である『現実』には、戻りたいと思うだけの希望が存在しない――と。


「それに、その……『前向きになる』っていうのがどういうことか……正直、よく分からない」

「……難しいことじゃないよ。明るい、嬉しい結果になるのを信じて動くってだけだよ」


やっぱりバクは、なかなか前を向こうとしない。

でもそれはきっと、前を向きたくないんじゃないんだ。

向き方がわからない、それだけの話。

だったら引っ張ってでも、バクを動かしてあげればいい。

それがきっと、あたしがバクのために唯一してあげられる事のような気がした。


「亜紀にとっては、現実に戻ることがそうなんでしょ? でも俺は違う。仮に現実に戻れたって、不安とか、無力感とか……常にそういうのを抱えていく生活に戻るだけ」

「でもっ……! 死んじゃったらどうにもならないじゃない。現実で『生きて』さえいれば、どうにかなるかもしれないけど、このままじゃ何も変わらないよ……!?」


あたしは、昨日飲みこんだ言葉をぶつけていた。

死、という言葉は、バクにとってきっととてつもない重さを持つ。

彼が病気とどういうふうに戦っていたかも知らないあたしに言えた台詞じゃないんだろうとも思う。


だけど……なんだかおかしいよ、こんなの。

騙されて、貘になって、悪夢に付き合い続ける生活が……幸せなわけがない。

現実に戻ることさえできれば、例え今は苦しくても、きちんと『未来』がある。

時が進んで、周囲にも変化があって、歩み続けることができる。


――この世界にはそれがないんだから。

ここに永遠に留まることは、きっと幸せじゃない。


「そうだね。だから……もし亜紀が戻りたいのなら、止めない。でも俺は現実には戻らない」

「なんで……なんでそんな、寂しいこと言うの? 諦めないでよ。二人で生きて戻ろう? そしたらあたし、バクに会いに行くから……絶対、会いに行くから……!」

「……また、泣かせちゃったね」


そう言ってバクは少しだけ笑う。


どうして、どうして――。


涙が止まらないのも、バクが諦めてしまうのも、どうして。

怒られるよりは笑っていてくれたほうがいいけれど、こんな全てを諦めたような笑顔は見たくなかった。


「ごめ……っ、あたしが、泣いたってしょうがないのに」

「全くだよね。なんで泣くの?」


からかうような声が、痛い。

バクの考えてることを、わかってあげたいのにわからない――!


言葉にならない気持ちを、あたしは行動でぶつける。

具体的にいえば、バクにしがみついて抱きついた。

だけど、彼はそれに行動で応えてはくれない。


「あのね、亜紀」


ただ、優しい声が上から降ってくるだけ。

いつもなら心を落ちつけてくれるその声も、今はなんだか『全てを諦めてしまった』ことの証拠みたいで嫌だった。


「俺は今、充分幸せだよ」

 

――意味がわからない。

貘の生活に嫌気がさしてたって言ってたじゃない。

こんな、自由もへったくれもない、ただ悪夢を追いかけ続けなきゃならない日々のどこが幸せなの?

彼のパーカーをぎゅっと握りしめて、あたしはただ感情のままに声を荒げる。


「そんなのおかしいよ……バクの幸せの基準、低すぎっていうか……」

「亜紀が居れば、もうそれだけで充分」


その言葉に、あたしは耳を疑った。

呆気に取られて何も言えず、頭の中もぐちゃぐちゃで混乱したあたしに対し、バクは言葉を重ねる。


「でも、亜紀が現実に戻りたいって言うなら、俺はそれを止めはしないし、止められない」


そのまま彼はそっとあたしの肩に手を置くと、少し押すようにしてあたしの体を離した。

自分の顔が涙でぐしゃぐしゃになってたのは分かっていたけれど、それを拭おうという気は起きない。

今こうして両手で掴んだ彼を離したら、そのまま消えてしまいそうな気がしたから。

だから絶対に、この手を離したくなかった。


しかしそれからバクは、そうやってきつく握りしめたあたしの手に触れてから、ちょっとだけ困ったような顔をして笑う。

それは今までに見たことがないくらい、穏やかな表情で。


「俺のエゴのために、亜紀の『幸せ』を奪う権利までは……持ってないからね」


――もう、無駄なのかな。

あたしとバクじゃ、根本的に求める『幸せ』が違う。


「いや、だよ」


それでもあたしは諦めが悪かった。

停滞するこの世界より、本当に現実のほうが不幸なの?


「意味分かんないよ。なんでここで幸せとか言うのかもわかんないし、あたしがいればいいって、何」


理解できないから。

理解できないことを納得できるはずもない。

諦めの悪いあたしは、抱えた疑問をすべて彼にぶつけていた。


「わからなくてもいいよ」


ところが、バクが放ったのは回答を拒絶するような言葉。

それから先ほどまで浮かべていた笑みはみるみる消えていき、いつもの仏頂面へと戻っていく。


「亜紀はきっと、現実で幸せだったんだろうね。でも俺は違うから。きっと、話すだけ無駄だったんだよ……この話は」


そう言いながらふとあたしから視線を外して、あたしの向こう側――いや、戻って来たオーレを見た。

どちらにせよ、この話は続けられない。

そういうことらしい。


「死んだも同じだと思いながら生きてたから。機械や薬や、周りの助けがないと生きていけなくて……そんなの、ちゃんと生きてるなんて言えない」


オーレに聞こえないくらいのか細い声で告げられた言葉。

あたしは返す言葉が見当たらなかった。


「どこにいようと、もう死んでるんだよ。俺は」


ただ、彼のパーカーの裾を握って離さないでいることしか、できない。


子供用の傘と、シックな紺色の無地の傘。

オーレは今その両方を畳んだ状態で左腕にひっかけているが、夢に入る直前に広げていたのは子供用の傘だったはずだ。

つまり、彼の仕事で言うところの『楽しい夢』を提供しに行っていたのだろう。

まだあたし達と見た目上はそれほど年の変わらないオーレは、まるで子供を見守る父親のような穏やかな微笑と共に戻ってきたから。


「……おや、感心しないね」


しかしそれはあたし達を一瞥して、僅かに歪められる。


「何があったか知らないけれど、女の子を泣かせているとあれば見過ごすわけにいかないな」

「いい、いいの。悪いのはあたしだから……」


尋常じゃないあたしの姿を見て、どうやら彼なりに心配してくれたらしい。

でもこれはあたしとバクとの間の問題だ。

そこにオーレは踏みこんできてほしくなかったし、バクは何も悪くない。

あたしが勝手に泣いただけなんだから。


バクは無表情でオーレを睨んだまま、何も言わなかった。

今までずっと二人きりだから考えたこともなかったけど、バクって結構嫌な方向に誤解を招きそうな、損する態度を常に取ってる気がする……


しかしオーレはにこりと笑うと、おどけた調子でこう言ってのける。


「そうか、なら何も言わない事にするよ。……ところで、君たちもそろそろ『仕事』の時間じゃないのかい?」


言われてみれば、周囲を取り囲む扉の数は幾分か増えていた。

ピークの時間――バクによると大体0時から午前2時あたりだとか――にはまだ早いが、外ではそれなりに夜が更けてきたらしいことが推測できる。


「そうだね。で、それをなんでわざわざ言われなきゃいけないのかよくわからないんだけど」

「おっと、冷たいなぁ。昨日は自分の仕事ぶりをこっそり観察してただろう? その逆をやらせてほしいなと思ってね」


やっぱりオーレに気を許す気のないらしいバクが刺々しい言葉を浴びせるが、オーレに堪えた様子はない。

むしろ……え、昨日バクがしたことの……『逆』?


「って、まさか。悪夢に一緒に来るの?」


なにも、好き好んでやることじゃない。

興味本位でやってくることなんて、お勧めできるわけがなかった。

ものによっては、なぜこれが悪夢なのかどうかよくわからないようなどうでもいい夢もあるけれど……。

介入するあたし達からしたって『嫌だ』と思えるような夢の方が多い。


「うん。少し興味がある。自分は自分の身を守れるだけの力はあるし、決して足手まといにはならない。……どうだろう?」


どうしよう、と口に出さずにバクを見上げてみたが、彼はあたしを見ずにただじっとオーレのことを眺めていた。

――そして。


「好きにすればいいよ。止めろって言ったって入れないわけじゃないし」

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