36 大切なひと
「ケツ痛え……」
ブロロロとエンジン音を響かせバスが走り去る。あれから六時間弱バスに揺られ、パサドへと着いた。マルディヒエロから乗ったのは十七時くらいだったため、もう今は夜中と言っていいだろう。
降りる時、子供ひとりだからだろう、運転手に心配され早く宿を取るんだよ。と言われた。
ジェスラはもう着いているのだろうか。バスの速度はジェスラが普段車で出している速度と対して変わりなかったと感じた。宿を取るよりも、ジェスラを探したほうがいいだろうか。
「あー、住所なんだっけ。パサド街モン…えーっと」
「パサド街モントリド通り15-16-4だよ」
バッグの中からアルマがそう教えてくれた。と言っても、この時間だし人に尋ねてようにも通行人は大して見受けられない。探すのは骨が折れるだろう。
「どこだよそこー……」
「どっか宿に入って地図とかないか聞いてきたら。親戚の家に行きたいけどわかんないとか言ってさ」
「そうすっかー」
バス停から周りを見渡すと、何軒か宿らしきものがあるとわかる。一番近い宿屋に行ってみようと足を動かす。暖かな暖色の光が漏れる宿屋の扉を開いて中に入ると、外よりも暖かく少しホッとした。
「いらっしゃい。君ひとりかい?」
「あ、はいそうなんです。あの〜お尋ねしたいことがあるんですが」
「なんだい? 部屋は空いてるけど」
「あ、いえ、宿泊では無く。その〜、親戚の家に行きたいんですけれど、住所は聞いているんですが、どこがどこだかわからなくて」
「家出でもしてきたのかい?」
「あ、そんな感じです……」
スケイリーの主人は、若いねえ、なんて言いながら地図を出してくれた。
「どこに行きたいんだい?」
「えっと、モントリド通り15-16-4です」
「結構外れのとこだね。家主の名前は?」
「エゼラさんです」
「んー、知らないな。多分ここらへんだと思うけど」
主人は地図の一箇所を指差す。確かに街内地図の端の方にあり、ここからはどう行ったらいいのかと聞いてみる。
「うちの宿がここら辺。北に行くと大きな通りがあるからそっからずっと東に行けばいいよ。そっからは街はずれだからねえ。ぽつぽつ家はあると思うけれど、人気はないよ。うちの街、比較的平和だけど危ないから、今日は泊まってったら?」
「いえ、すみません。どうしても今日行きたくて……。あの、地図頂いてもいいですか? お金は払いますので」
「あー、いいよいいよ。タダで持ってってくれて。旅人用に地図のストックあるしね。気を付けて行くんだよ」
「はい、ありがとうございます」
礼を言い宿を出る。少し肌寒くて服の上から腕を擦る。やっぱり季節が進んでいるんだと感じる。ジェスラと出会った時は、まだ春が終わりつつある時だったから。
街灯の下、地図を見る。宿屋の主人が現在地と目的地に丸をつけてくれた。正直、人が居ない道で迷ったりしたら通行人に聞くことも出来ないだろうし、大丈夫だろうかと不安はあったが、行くしかない。
「そういやアルマ、位置情報システム? 使えるんじゃなかったっけ」
「多少はフォローしてあげるよ。変なとこ行きそうになったらね。それまでは自力で頑張りなよ」
「へーへー」
スマホの様なものがあったらよかったんだろうけれど、生憎自分は持っていない。通信端末は普及しているにはしているのだが、正直俺に扱えるかと言うと自信は無い。難しいとかではなく、この世界に来る前は結構何度も紛失させていたので、ジェスラに買い与えて貰えそうなことはあったのだが自分から断った。いや……結構な値段がしたので、自分の金から払えないことは無いのだろうが、無くて済むならそっちの方がいいと思ったのだ。
元々通話くらいしか使わず、後の娯楽コンテンツはPCで扱っていたというのもあるが。常時端末を持っているジェスラといたし、電話は家にあったし、無くても大して気にならなかった。
「よし、行くか」
地図を手に北に進んでいく。そう時間もかからず大きな通りに出た。もう夕飯時はとうに過ぎていたので普通の飲食店はしまっている様だったが、ぽつりぽつりと飲み屋などがあるのか人の喧騒は多少あるようだ。
東に進んでいくたび、それも無くなってゆく。あるのは道を照らす街灯だけで、人通りは全く無かった。
時折街灯の下で地図を確認する。アルマにも確認するが、道を外れているという事は無いようだ。
この街も隔壁は設けられているが、マルディヒエロに比べれば規模は小さい。地平線なんてものは見えないが、空は月と星が満たしている。
「ここかな、モントリド通り」
通り、と言ってもガランとしており、宿屋の主人が言った通りぽつぽつと家があるだけだ。ここから目的の家を探すのはそんなに難しい事では無いだろう。
幸い番地表示のプレートがかかっている場所のようで、これなら見つけられるだろう。
街灯と月明りを頼りにしながら、番地プレートを見て探してゆく。十軒程だろうか、元来た道から少し外れ、目的の家を見つけた。
「ここだ……」
なんて事ない、ここら辺ではよく見る一軒家だ。新しい訳でもないが、古いというわけでもなく、一人で住むには少し大きいかな、と感じる家。
表札には、Ezera、と書かれていた。窓から明かりは見えず、寝静まっているのではないかと感じた。
「ジェスラ、来たのかな」
「どんな感じ?」
アルマはバッグに入れたままなので、様子がわからないのだろう。バッグから出してやりながら感じたことを説明すると、まだジェスラは来ていないのではないかと言った。
「まあ、もう来てエゼラって人を殺しちゃってる可能性もあるんだろうけれどね。昼間も閑散としてそうだし、夜だったらもっと誰かを殺したかなんてわからないだろうしね」
「入ってみる?」
「やめときなよ。死体見たいの?」
「え、嫌だ」
家に入った途端、死体が転がっていたら正直正気を保てる自信がない。SAN値チェックです。
アルマとこれからどうするかを話し合ってみる。家の隣は廃屋のようで草木がぼうぼうと生い茂っているのでそこで隠れて様子をうかがうことにしよう、という話になった。家の境に生えている俺の背丈ほどある低木はかなり茂っているので、向こうから見えることは無いのではないだろうか。
肌寒いが、耐えられないほどではない。パサドに着いてから二時間強経ったと思う。もう日を跨いでいる事だろう。朝まで起きているつもりだったが、バスでの疲れが出たのかうとうとしてくる。
アルマが自分が見ているからと寝てもいいと言ってくれ、その言葉に従うことにした。
「……ム、アユム、起きて」
「ん……? あれ、ここ……」
「パサドだよパサド。寝ぼけてんの」
「ああ……そういえば……、って、ジェスラ来た?!」
「声が大きい。まだ来てないよ。それよりもほら、あれ」
「ごめん」
アルマに謝りつつ声を抑える。アルマが低木の隙間を見つけたのか、そこを覗くよう促された。隙間を除けば、一人の男性が花壇の花に水をやっていた。
「あの人が、エゼラ……」
後ろ姿しかまだ見えないが、ガンリと同じ黒髪。ヒューマの男性の様だ。見た感じでは、他の種族に特徴を合わせ持っている様には見えなかった。
エゼラ、と思しき人物は水やりが終わったのかこちらを向く。なんとなくだが、ガンリに顔立ちが似ている気がした。顔も整っている部類に入るだろう、中年期の男性だ。
穏やかそうで、人を殺したことがあるなどと思うことは無い様に感じる。
「今何時?」
「今は八時三十四分」
「ジェスラは、まだ来ていないか……」
この街に着いていない筈は無いだろう。宿を取りどこかに泊まったのか。だったら自分もそうすれば良かったかなとも思ったが、それだと出遅れてしまいそうだ。
いや、そもそも自分はなぜこの場に居るのか。もしジェスラがエゼラを殺そうとするのなら何とか止めたい。というのもあるが、正直半分は興味本位だ。あの兄が関わった、過去の事件について、知りたいと思ったからだ。
「…………」
確かに好奇心はある。しかし、それ以上にジェスラが血に手を染めてしまうことが怖い。だが、当事者でもない、ポッと出の俺が止めていいものなのか? ただ数ヶ月過ごしただけの子供だ。十年もの怨みを、俺みたいなのが止める権利はあるのか?
「なあ、アルマ。俺に……ジェスラを止める権利はあるのかな」
「なに、突然」
「たった数ヶ月一緒にいただけの俺が止めたって、綺麗事でしかないんじゃないかなって……だって、死んだジェスラの奥さんや息子さんは、復讐を望んでるかもしれない。エゼラが死ぬことでしか、……報われないのかもしれない」
「……でも、君はここまでやってきた」
「……うん」
「止める止めないは、正直アユム自身の問題だ。僕にはわからないね。でも、君は、ジェスラが大切だから止めたいんでしょ? その気持ちだけは、否定しちゃダメだよ」
「……うん」
「それに報われるかどうかなんて、わからないよ。僕らはジェスラじゃない。確かに止めるなんて自分勝手かもしれない。でも、復讐したって、生き甲斐を失って抜け殻になることだってある」
「……うん」
「僕だって、君が同じ様に、恨んでいる人間を殺そうとしたら止めたいって思う筈だよ。綺麗事だって君から非難されたって、僕は止めようとする。だって、大切だから」
「え」
「……忘れて」
なんだか思わぬところで爆弾発言を聞いた気がする。アルマが、俺を大切。恥ずかしい様な嬉しい様なで顔をにやにやとさせていると、アルマが無言でつねってくる。声を抑えながら痛いと主張していると、聞き覚えのあるエンジン音が聞こえた。
「!」
「ジェスラだね」
バン、とドアが閉じる音がする。低木の隙間から覗くと、ガーデニングをしていたエゼラに歩み寄るジェスラがいた。
「やあ、ジェスラ。待っていたよ。そろそろ来てくれるんじゃないかって思ってたんだ」
「エゼラ……」
エゼラの顔は、客人の来訪に喜んでいる様で、声も明るい。ジェスラの方はといえば、苦々しい表情をしていた。
「そんな顔をしないでくれ。お茶でもどうだい? 紅茶とコーヒーどっちがいい? ああ、レトラは紅茶が好きだったから、君も紅茶がいいかな?」
「エゼラ!」
「そう急くなよ。僕は今日まで、君に殺される為に生きてきたんだ。最後にゆっくり、話でもしよう」
「…………」
殺される為、生きてきた。その言葉に腹の底が冷えてゆく。彼は、エゼラは殺される事を望んでいるのだ。自分が出て行ったところで、邪魔なだけだ。
でも、なんとか止めたい。俺は、ジェスラが大切だから。好意の押し付けでしかなかったとしても。
アユム、とアルマの声がした。肩に乗っているアルマは、穏やかな声で、俺の名を呼ぶ。
「君は自分を信じるんだ」
アルマの言葉に背を押される。二人は家の中へと入ってゆく。低木の影から出て家の前にゆく。家の構造はわからないが、入ってすぐリビングなんてことは無いだろう。多分廊下だ。
一応声がしないかと耳をすませるが、アルマに大丈夫だと言われ、音が出ないよう扉を開けた。
案の定廊下だったらしく、よかったとホッと息を吐く。聞こえてくる声を頼りに、廊下をしのび足で進み、ふたりの声がはっきり聞こえる場で、壁を背に座る。
話がしたいと言っていた。すぐに殺すなんてことは無いだろうと、その場でふたりの話を聞くことにした。