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第86話:佐川直美

 亜紀さんと玲奈さんが、目にも止まらぬ速さで杯を重ねていた。

 ――流石は総合商社マン。急ピッチで飲んでも、顔色一つ変わらない。……恐ろしい。


 一方の直也くんは、相変わらず人だかりの中心。

 松川の人たちが入れ替わり立ち替わり酒を注ぎ、なかなか女性陣が本題――つまり「関心ごと」を突っ込む隙がない。


 (……よし。ここはデビル直美の出番だな)


 私はニヤリと笑い、グラスをくるりと回した。

 「でも直也くんって、本当に筋肉質でたくましいのかー。それは女性はたまりまへんなー」


 「「「「!?」」」」

 周囲の女性陣の視線が一斉に跳ねた。

 関心レート、急上昇。


 私はすかさず二の矢を放つ。

 「ねぇ麻里さん。千鶴さんが直也くんのを“立派”って言ってましたけど……そうなんですか?」


 その瞬間――。

 あのクールビューティー麻里さんが、頬を赤らめて少し俯きつつ言葉を詰まらせた。

 「……それは、そう……かも」


 「「「「…………」」」」


 絶妙に微妙な空気が広がる。

 静寂とも、ざわめきともつかない、なんとも言えない女性陣の間合い。


 (……よし、最高だ!)


 ここまで来たら、この空気をかき混ぜるのは私しかいない。

 私はわざとらしく声を上げた。


 「千鶴姐さん、このテレビの下にあったホームカラオケ、まだ動くの?」


 「うん。廃業するまで普通に使えてたから、大丈夫だと思うよ」


 電源を入れると――機械はブゥンと音を立て、画面に起動画面が浮かび上がった。

 マイクを手に取る。


 (さあ――ここからが本番だよ)


 カラオケの電源が入った瞬間、画面が明るく光り、機械音と共に起動画面が立ち上がった。

 「おおっ……!」

 思わず声が漏れる。


 千鶴姐さんが奥からマイクを数本抱えてきてくれた。

 「はいはい、ちゃんと動くよ」

 松川のおじさんたちも、懐かしそうに機械を眺めている。

 「いやぁ、昔は加納屋で良くカラオケ歌ったなぁ」

 「景気のいい時代は、良くここで歌ったよね」

 その感慨深げな表情に、場の空気もどこか温かくなる。


 さて、誰が最初に歌うのか――。

 そう思った矢先。


 「ハイハイ! 私、歌います!」


 勢いよく手を挙げたのは、まさかの人だった。

 環境省のエリート官僚、柊遥さん。


 「え? ……マジですか?」

 私が口を開く間もなく、遥さんはすでに機械の前に立ち、手慣れた様子でリモコンを操作していた。


 「えーっと……これね。ヨシ! これだ!」


  イントロが流れ出した瞬間、私は思わず吹き出しそうになった。

 ――高山厳『悲しみよ一粒の涙も』。

 マジかー。……よりによって、この曲を選ぶなんて。


 けれど、柊遥さんはそんな空気をものともせず、堂々とマイクを握りしめて歌い出した。


 「人は誰でも――人生の荷物をかかえて……♪」


 驚いた。

 声がいい。

 伸びやかで、しっかりと響いてくる。

 音程も外さないし、まるで舞台で訓練した歌手のように歌い込んでいる。


 「悲しみよ一粒の――もう涙も出ない♪」


 サビに入ると、広間の空気が一気に沸き立った。

 松川のおじさんたちが立ち上がり、両手を高く掲げて、右に左にリズムを取り始める。

 「おおー!」「これだよこれ!」と声が飛び交い、会場はまるで昭和の歌謡ショーさながらの熱気。


 (……ちょっと、何この盛り上がり!)


 気づけば、亜紀さんも玲奈さんも麻里さんも、そして保奈美ちゃんまでも、口元を押さえて笑いをこらえている。

 莉子ちゃんなんて肩を震わせて完全に爆笑寸前だ。


 「悲しみよ一粒の――もう涙も出ない……♪」


 完璧に歌い切る遥さん。

 おじさんたちは手拍子を止めることなく、最後のフレーズを迎えるまでノリノリで両腕を振り続けていた。


 ――そして曲が終わるや否や、広間は拍手喝采に包まれた。


 「ブラボー!」

 「いやぁー、やっぱり歌は魂だな!」


 官僚らしからぬ全力の歌唱と、松川の人たちの異様な盛り上がり。

 そのギャップに、私もつい堪えきれずに笑ってしまった。


 (……柊遥さん、やっぱり只者じゃないなぁ)


遥さんによれば、地方自治体等の打ち合わせ後の会食は今ではキレイに割り勘になるけれど、自前負担なら、ある程度自由に会食する事もカラオケスナックで歌う事も認められていて、そういう際に場を盛り上げる芸の嗜みは、今でも必須らしいのです。


 ――やられた。

 柊遥さんの完璧な歌い込みのおかげで、会場の空気は一気に沸騰した。

 最初は「本当に歌うの?」と半信半疑だったおじさんたちが、今や完全に火がついている。


 「よーし、次はオレだ!」

 「いや、こっちが先だ!」


 松川の重鎮たちが、次々とマイクを取り合って己のレパートリーを披露しはじめた。

 演歌、ムード歌謡、フォークソング。

 気がつけば、ここは旅館の広間じゃなく、まるで全員が常連のカラオケBOXだ。


 そんな中、直也くんが口を開いた。

 「――あ、でもRICOはダメだよ。もうプロのアーティストなんだから」


 その声に、一同が「おおっ」とざわめく。

 莉子ちゃんは少し照れたように笑って、肩をすくめた。

 「……でも、直也くんが歌うなら、莉子として歌うけどね」


 その言葉に、ほんの一瞬場が静まり返る。

 おじさんたちも、女性陣も――一斉に直也くんの反応を待っている。


 「いやいや……オレよりも、今日はみんなの歌を聞きたいなぁ」

 そう言って、彼は笑った。


 ――逃げたな。

 内心そうツッコミを入れる。


 だが、それでまた空気が軽くなるのだから、ほんとにズルい人だ。

 「じゃあ次は俺が!」と再びおじさんたちが名乗りを上げ、会場は本格的にカラオケ大会の様相を呈してきた。


 (……これ、完全に夜中まで続くやつだなぁ)


 そう思いながらも、笑いが止まらなかった。


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