第68話:一ノ瀬直也
「――お待たせして申し訳ありません」
静まり返った会場に、オレは一歩踏み込んだ。
「先ほど知事から“最高執行無責任者”と御紹介をいただきました、GAIALINQの一ノ瀬直也でございます」
場がざわついた。オレは口元をわずかに緩め、言葉を継ぐ。
「もしかすると、今度はニューズデイズ誌で『世界を代表する30人の30代未満の無責任者』に選ばれるかもしれませんね」
笑いが弾けた。皮肉を逆手に取ったユーモアに、空気が一瞬緩む。
その瞬間、オレの視線の先で――亜紀が、玲奈が、麻里が涙を流していた。
彼女たちはずっと、孤軍奮闘して時間を繋いでくれていたのだ。
胸が熱くなり、オレは深く頷いた。
(ありがとう。もう大丈夫だ)
会場に向き直り、声を張る。
「さて。知事がご要望の“AIロボティクス”をお披露目いたしましょう。こちらは最新プロトタイプP-02、――通称“オニーさん”です」
ざわめきが走る。
「そして――操作をするのは、まだ高校生の私の義妹です。つまり、高校生でも簡単に指示を出せるというデモンストレーションをお見せするために同行いたしました」
「オニーさん、皆さんにご挨拶して」
保奈美の声が澄んで響く。
「――はじめまして、オニーさんです」
人工音声が会場に流れた瞬間、空気が一変した。
保奈美は自分のカシミアのコートを脱ぎ、ロボットに手渡す。
「オニーさん、衣紋掛けにかけて」
「はい。保奈美ちゃん」
P-02――オニーさんは滑らかな動作でオーバーを受け取り、会場の隅に置かれたハンガーラックに丁寧に掛けた。
「「「――っ!」」」
メディアのフラッシュが一斉に光り、首長たちが思わず身を乗り出す。
(――見せてやれ。これが未来だ)
会場は、一気に沸き立っていた。
「オニーさん、知事さんにご挨拶して」
保奈美の澄んだ声が響いた。
P-02――オニーさんは滑らかに歩み寄り、頭を下げた。
その動作はまるで礼儀正しい人間のようで、会場からどよめきが上がる。
だが、次の瞬間だった。
オニーさんが知事の机に置かれた資料を視覚センサーで読み取り、人工音声を発した。
「ふむふむ……中国メーカーと北京政府からの強い要望、とメモされていますね。メガソーラーに“二重丸”がついています」
――会場が凍りついた。
「なっ……! 何勝手に見てんだよォ!!」
知事は顔を真っ赤にし、椅子を蹴立てるように立ち上がった。
そして勢い任せにオニーさんを突き飛ばした。
悲鳴が上がる。
だが――P-02は倒れなかった。
わずかに傾いた足首が瞬時にアジャストし、重心を取り戻す。
踏みとどまり、まるで人間のように姿勢を保った。
「オニーさん……!」
保奈美が駆け寄る。大きな瞳に涙を浮かべて。
「ヒドい……可哀想です」
知事は“しまった”という表情を浮かべている。
政治家として、これは最悪の見られ方をしてしまうだろう。
オレは静かに保奈美の肩に手を置いた。
「いいんだ、保奈美」
そして、会場全体に響く声で言葉を続けた。
「知事は分かってくださっていて、デモにご協力いただいたんだよ」
「……えっ?」
会場がざわめく。
オレは知事に歩み寄り、取材しているメディアのカメラの前で、力強く言葉を重ねた。
「今の一幕は――このAIロボティクスが如何に安定的で、安全性が高いかを証明するために、あえて知事がご協力くださったものです。……知事、本当にありがとうございます!」
そのまま差し出した手を握る。
フラッシュが一斉にたかれた。
憮然とした表情で、しかし断れずに握手に応じる知事。
だが次の言葉はもう出てこなかった。
オニーさんは静かに保奈美の隣に戻った。
会場の空気は、完全にこちらの側に傾きつつあった。
「オニーさん、偉いね。直也さんみたい」
保奈美の無邪気な声が響いた。
すると人工音声が返す。
「直也さんは、保奈美さんの愛する本当の“オニーさん”ですね」
会場のあちこちで、どっと笑いが広がった。
保奈美は満面の笑みで「よく出来ました」と褒める。
だが、次の一言が場を凍りつかせた。
「じゃあ――いつもしてるみたいに、保奈美にキスして! オニーさん!」
「……え、あの」
オレの背筋に冷たいものが走る。
だが、止める間もなく、P-02――“オニーさん”はなめらかに屈み込んだ。
保奈美の背丈に合わせ、頭部をすっと傾ける。
「キス」
そう発声しながら、人工の額を保奈美の口元に軽く触れさせた。
触れたのは一瞬。
しかし、会場は一気にざわめきに包まれた。
「ありがとう!オニーさん。愛してる!」
保奈美がそう言うと、拍手が巻き起こった。
オレはすかさず前に出て言葉を重ねる。
「――ご覧いただいたように、P-02は微細な動きを調整し、人とぶつからずに接触できる繊細な制御が可能です。これは従来の産業ロボットにはない機能であり、日常生活や接客の場で安全に稼働させるための要です」
首長たちの視線が一斉に注がれる。
ざわめきの中に、確かに驚きと期待の色が混じっていた。
「じゃあ、オニーさん。旅館モードになってください!」
保奈美の声が弾む。
「ハイ。オニーさん、旅館での業務対応を開始します」
人工音声が落ち着いた響きで答えた。
その瞬間、会場の照明が少し落とされ、プロジェクターの光が走る。
「麻里。例の動画を投影してくれ」
「はいっ……!」
慌てながらも麻里は即座に端末を操作した。
スクリーンいっぱいに広がったのは――八幡平の加納屋を模した3Dデジタルツイン。
客室、廊下、食事処、浴場。
細部まで精緻に再現された空間を、複数体のロボットが自然に動き回る。
配膳、清掃、接客、危険回避。
しかも、それらは“時間加速”によって何百日分も自己学習を積み重ねた挙動だ。
「……っ」
会場から、驚愕の吐息が一斉に漏れた。
(――よし。これで“夢物語”だなんてもう誰も言えないだろう)