第43話:神宮寺麻里
ビールジョッキを一気に煽った。
喉を冷たい液体が駆け抜けても、胸の奥にあるざらつきはまるで消えてくれない。
――分かっていた。
保奈美ちゃんが強敵だってことくらい、もうとっくに。
でも……あそこまでとは思わなかった。
玲奈と一緒に見た銀座の光景が、脳裏から離れない。
ハイブランドを完璧に着こなして、隣の直也のカジュアルスーツと並ぶ姿は……本当に「お似合い」だった。
まるで彼の現在の社会的な立場――GAIALINQのCOOという、その高みにふさわしい、美貌を見せつけられたようで。
“直也の隣に一番ふさわしいのは私”という自己主張を、保奈美ちゃんに見せつけられたような気分。
時間は、保奈美ちゃんにしか味方しない。
十代の少女にしか出せない透明感。
これが磨かれていけば、私たちに勝ち目はない。
いや、もしかしたら……もう既に手遅れなのかもしれない。
ぐっとジョッキを置いて、私は必死に口を開いた。
まるで自分を鼓舞するように。
「――リングは恐らく、“虫除け”のつもりなんじゃないかな」
向かいの玲奈が、ぽかんとした顔で首を傾げる。
「虫除けって、何それ?」
「うん。きっと、保奈美ちゃんにいろんな男性からアプローチがあるから……ああいうファッションになる場面では、“せめてリングをさせておこう”と思ったんじゃないかな」
言いながら、自分で納得させていた。
そういえば、直也が前に言っていた。
保奈美ちゃんに“付け文”する不届きなヤツがいる、と。
女子校だから安心だと思っていたのに、全く油断もスキもない世の中だと愚痴っていた。
直也は、恋人として私と付き合っている時は、私のことを全然束縛しなかいし、そもそも私の交友関係とかについて全く口出しをしないタイプだった。
ただ、父親とか兄の観点から保奈美ちゃんを見ているから、そうなった途端に、相手を守るという意識が強くなり、いろいろ過剰に気にしてしまうのかも知れない。
玲奈は溜息をついて、やれやれと笑った。
「ナンパするバカな男は、そんなの全然気にしないのにね」
でも、さっきよりは少しだけ顔色が戻っていた。
――良かった。少しでも元気になってくれるなら。
私は枝豆をつまみながら、今度は冷静に言葉を選んだ。
「そういえば、先日……加賀谷さんのご自宅に、保奈美ちゃんと招かれたって直也、言ってたでしょ」
玲奈が「え……ああ。あのチャイナスクール話で、そんな事言っていたね」と息を呑む。
「だから、今後の“そういうお呼ばれ”に備えて、大人買いしたんじゃないかな。服も、バッグも。実際、そういう場面はこれから増えそうじゃない」
苦い笑いを浮かべながら続ける。
「直也、もう五井物産でM2ランクでしょ。年収……下手したら三千万円以上。だから、その程度の大人買いする余裕はあるのかもね」
冷静に分析している“フリ”をしながら。
胸の奥では、やっぱり苦しかった。
ジョッキの泡が消えていくのを眺めていると、玲奈がぽつりと口を開いた。
「……保奈美ちゃん、本当にキレイだったね。悔しいくらいに直也と“お似合い”だった」
その声は絞り出すようで、けれどどこか吹っ切れた響きもあった。
「なんかさ、私、カッコ悪かったな。よろよろ尾行するみたいな事して。……こんなんじゃダメだよね」
私は苦笑して、グラスを指でなぞった。
「それを言うなら、私の方よ」
喉の奥に重い塊がまだ残っていたけれど、言葉にすることで少しずつ溶けていく気がした。
――仕事でも、普段の生き方でも。もっと自分を見つめ直さなきゃいけない。
保奈美ちゃんを前にした時、心の奥からそう痛感した。
「結局、他人と比べてどうこう言ってるようじゃダメだね」
呟くと、玲奈は静かに頷いた。
「そうだね。……遥さんの時もそうだけど、保奈美ちゃんを見て動揺するんじゃなくて、もっと自分を磨く事が大切なんだと思った」
その顔には、さっきまでの青ざめた表情はもうなかった。
きっと私も同じだ。こうして言葉にしたからこそ、少しだけ前を向ける。
「でも……たまにはこういう飲み会も悪くないね」
玲奈が笑う。酔いのせいか、目元がほんのり赤い。
私もつられて笑ってしまった。
――八幡平では、亜紀さんが必死に頑張っているはず。
だったら、私たちも負けていられない。
自分にそう言い聞かせながら、グラスを傾けた。
冷たい液体が胸を満たす頃には、少しだけ未来の自分に期待できる気がしていた。
その後二人でカラオケBOXに行き、お酒を飲みながら、それぞれの直也への思いを吐き出したのは言うまでもない。