第34話:宮本玲奈
直也のスケジューラーをチェックして、私は小さく息を吐いた。
――相手は、小松原沙織。五井物産の再エネ部門、亜紀さんの同期。
彼女のやり方は目に見えている。
「世代を代表するスターとなったGAIALINQプロジェクトのCOO」を、自分の部署に引き込みたい。ついでに“女”を使う。
正直、ハニートラップそのものだろう。
もちろん、直也がそんな安っぽい手に引っかかる人じゃないのは分かっている。
むしろ、社内の軋轢を避けるために、あえて会っているんだろう。
――でも。
「ねえ麻里」
私は小声で切り出した。
「やっぱり監視しておきませんか?」
麻里は一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに目を細めた。
「……同感」
***
その夜、私たちは直也の会食先の店にいた。
もちろん同じ席ではなく、離れたテーブル。観葉植物越しに視線をやれば、直也と沙織の姿が見える。
「私たち、何やってるんだろうね」
思わず呟くと、麻里がワイングラスを傾けながら、肩をすくめた。
「……尾行? 探偵ごっこ?」
私は小さく笑ってから、視線を戻す。
沙織は終始にこやかで、妙に距離が近い。
廊下を歩くときも、テーブルで話すときも、さり気なくボディタッチを繰り返していた。
「ほら、また」
私は小さく顎をしゃくった。
「腕に触れた」
麻里がむっと顔をしかめる。
「……本当、“オンナ”って感じね。ムカつく」
「分かる」
私は溜息混じりに答える。
「直也にボディタッチしていいのは……」
私だけでしょ、という言葉は隣に麻里がいるから飲み込んだ。
麻里が思わず吹き出した。
「玲奈って、意外と独占欲強いのね」
「……否定はしません」
口ではさらりと返したが、胸の奥はざわついていた。
直也が表向きは穏やかに受け答えしているのも分かる。
でも――分かっていても、やっぱり面白くない。
私はグラスを握り直しながら、心の中で小さく呟いた。
――お願いだから、演技でも笑顔を向けすぎないでよ、直也。
ワイングラスを回しながら、私は視線を向け続けていた。
――直也と、小松原沙織。
にこやかに、しかし距離の近さが気になる。何度目かのボディタッチに、私と麻里の間で小さな溜息が重なった、そのときだった。
店内のドアが開き、ひとりの女性が入ってきた。
凛とした背筋、落ち着いた仕草。ぱっと目を引く美しさに、思わず視線を奪われる。
彼女は迷いなく店内を歩き、やがて――直也と沙織のテーブルのすぐそばを通りかかった。
その瞬間。
「え? あれ? 直也さん? 直也さんじゃない!」
――!?
思わずグラスを握り直した。
直也が顔を上げ、少し驚いたように答える。
「あ……遥さん」
遥さん?
「ヒドい直也さん」
その女性――柊遥は、わざとらしく頬を膨らませるようにして言った。
「こないだデートの約束ドタキャンしたクセに、何? ヒドいなぁ〜」
――!?!?
横に座る麻里が、無言でワインを飲み干した。
私はというと、頭の中が一瞬で真っ白になり、次に襲ってきたのは激しい動揺だった。
「ぐぬぬぬぬっ……!」
つい声が漏れる。
麻里が低く呟いた。
「……またか。また新手が出てきたようね」
私は額に手を当てて、つい口走っていた。
「これは……どういう状況だ……!?」
――背中に自由の翼が生えそうなセリフになってしまった。
しかし仕方ない。
突然現れた“謎の美女”が、しかも“デート”なんて爆弾をさらりと落としていったのだ。
胸の奥で警鐘が鳴り響きっぱなしだった。