40 猫に噛まれる
目の前に出る画面の結果に、あり得ないと、そう頭は理解している。
だが結果は忠実で、何度も検査結果を確認しても、そのあり得ない結果になってしまう。
すぐに彼女に、師匠に伝えなくてはとそのまま部屋のドアを開けようとしたが、その前に開かれたドアの向こうには、今会いに行こうとしていた師匠がいた。丁度いいと声をかけようとするが、目の前の師匠は怒りを露わにした表情でこちらを見ており、思わず震えてしまう。
「マヨイは?」
「えっ、マヨイさん……?」
どうやら寝起きの状態らしい、急いで着用したのであろうシャツはボタンをかけ間違えているし、髪型も後ろがハネている。それでも美しさと色気を兼ね備えてしまうのだから、美形とは羨ましい事だ。……そんな事は今はどうでもいい、どうやら師匠は、心底大事にしている少女を探している様だ。
「マヨイさんは今日用事があるから、検査はお休みしたいって言われてますが……」
何かが割れる鈍い音がした、その音の場所を見ると、師匠が握っていたドアノブが変形している。……全身の血が急速に冷める感触がした。ここまで怒りを露わにする師匠は久しぶりに見……あ、いや、昨日見たな。そのまま無言でどこかへ行こうと歩き出すものだから、僕は慌てて師匠を掴む。今のこの男は恐ろしい、万が一居なくなった少女が、またあの副団長と一緒にいた場合はこの国が半壊する。伝説の大魔法使いはそれほどの力と知識を持つ。昨日のように騎士団員だけの犠牲で済むならいいが、今度は国民の犠牲も出る、流石に宰相として見過ごせない。
「ちょ、ちょっと待って!国のセキュリティーシステムで、マヨイさんの場所見つけるから!流石に師匠でも国中探すのは無理でしょ!?」
そして彼女と副団長が一緒にいた場合は、二人に伝えて辻褄合わせを手伝ってもらわなくては。師匠も流石に、国中を探すのは時間が掛かるのをわかっているのか、立ち止まり大きく深呼吸をして、部屋に戻り僕の隣の椅子に腰掛ける。
「さっさと見つけろ」
怒りは収まっていないのか、腕組みをし、眉間には深く皺を寄せている。僕は震えながら椅子に座りモニターを操作し始める。その間もじっとこちらを見ているものだから、本当に恐ろしい。
……っていうか、何で恋人同士でもないのに少女をここまで束縛するんだ。
もう少し懐が広い男だと思っていたが……激しく想うと、恋をすると人は本当に変わるものだと、思わずため息を吐いた。……あの報告は、後で伝えよう。今言うべきではない。
◆◆◆
言ってしまった、そう思った。
自分の腹に、胸に体を密着させるマヨイは、大きく目を開いてこちらを見ている。どこに触れている所も柔らかい感触が襲い、思わず喉が鳴ってしまいそうになる。彼女はそのまま固まっていたが、段々と頬を染めていく。その姿があまりにも、心臓の音を速くさせてくれるものだった。
「れ、恋愛とか、よく分からなくて……」
おおよそ予想していた回答が返ってきたので、俺は思わず苦笑して起き上がる。思わず膝の上に彼女を乗せてしまう形になってしまったが、彼女はあまり気にしていない様だ。……あの銀髪の男に、余程触れられ慣れてしまったのだろう。恋人でも無いのに嫉妬で接吻をする様な男だ、今尻尾が見えているのであれば、騒がしく暴れていただろう。
「悪い、ふざけ過ぎた」
そう言ってやると、頬を染めたまま安堵した様にため息をこぼす。そしてゆっくりと膝から降りて、頬を膨らませて眉を寄せる。
「吃驚しちゃったじゃん!そういう所テオにそっくり!」
「おい、あのジィさんと一緒にするな」
あそこまで、あからさまに手を出していない。不機嫌そうな表情になっているであろう俺に、マヨイは面白そうに笑う。そのまま座る俺に、再び心臓部分に手を翳す。
「じゃあ始めるね」
「おう」
マヨイは、そのまま目を瞑り、いつもの様に呪文を唱えようと口をゆっくりと開く。……最初の時から思っていたが、彼女が呪文を唱える声は、姿は、本当に神々しいと思う。
だが、それと同時に心臓が焼けるような感覚に襲われる。
「っ、ぐ!!!!」
「アレン!?」
マヨイは俺の異常に気づいて、心配そうに肩に触れる。だがそれすらも払うほどの痛みが、心臓に、身体中に襲いかかる。まるで火炙りでもされている様な痛みに、一気に汗が出てベッドのシーツに落ちていく。マヨイは慌てて再び手を翳し、今まで聞いた事のない呪文を唱え地面に魔法陣を浮かべるが、その魔法陣は大きな音を立てて消えた。
「治癒魔法が発動しない!?」
どうやら助けようと思い治癒魔法を唱えていたらしい。それを弾かれた事に驚愕して、そして涙を流しながら顔を歪める。
「テオドール、テオドールを呼ばなきゃ」
そう彼女は、歴史に名の残る伝説の大魔法使いの名前を呼んでいる。そんな伝説の存在と知り合いなのかと思ったが……ああ、そうか……あの怪物の様に強い、彼女に執着する男を思い出す。そう考えている中も全身を襲う痛みで、思わず意識が飛びそうになるのを唇を噛んで抑える。それすらも難しくなり、吐く息が獣の様になっていく。
「待って、今、今助けを呼ぶから、!」
震える声で助けを呼ぼうと、走り出そうとするマヨイの腕を力強く引っ張る。あまりの強さで痛んだのか歪む彼女の表情が見えた。力を弱めてやりたいが、それも難しいほどに自分の中の、薄暗い何かが体を支配する。そのまま彼女に覆いかぶさり、心配と恐怖で歪んだ表情の彼女に、獣の様な唸り声を近くで出す。
そのまま、彼女の表情がだんだんと見えなくなる。
唯一、口に柔らかい感触と、彼女の叫ぶような鳴き声だけが分かった。




