再臨
闇の爆轟が荒れ狂った直後、辺りは真っ平らになっていた。
船の最上甲板よりも上の部分が、きれいさっぱり、まるで巨大な鑢で削り取ったかの様に、消失している。
あの闇の爆轟の破壊力は通常物質にも超対称物質にも及んだ様だが、通常物質製の最上甲板と超対称物質製の装甲板が強く結びついた重ね合わせ状態になっていたがゆえに、あの闇の爆轟が装甲板で反射され、最上甲板より下は破壊を免れたらしい。
ちょうど、俺がほんの15分程前に見た現象――アジュールの超対称光衝波が超対称物質製の装甲板に反射された現象――と同じ様に。
闇の爆轟の爆心地には、1体の怪物が立っていた。
その怪物は人間に近い体型であった。
大きさも人間と大差無く、身長約2メートル。
全身のほとんどは漆黒の装甲で覆われていた。
装甲の材質は鋼のようにも黒い鼈甲のようにも見え、赤く光る輝線で至る所に紋様が描かれていた。
装甲に覆われていない地肌の部分は煮詰めた黒い樹脂のように見え、滑らかな質感と艶が有った。
その怪物は人間に近い体型であったが、大蝙蝠のような一対の翼と大蜥蜴のような太くて長い尻尾を持っていた。
黒い装甲に覆われた両手両足には銀色の鉤爪が有り、チェレンコフ光を連想させる様な淡い青色の燐光を放っていた。
両側頭部からは大きく湾曲した金色の角が伸び、緑がかった光沢を帯びていた。
一説には真鍮の別名に過ぎないとされる『オリハルコン』。
オリハルコンが伝説通りの超常的な金属であれば、おそらくこのような光沢であろう。
そして――燃え立つように逆立つ髪。
それは赤みがかった金色で、ゆらめくような光沢を放っていた。
伝説の金属『日緋色金』は、おそらくこのような光沢なのだろう。
その怪物は眼を瞑っていた。
但し眼は2つだけではなく、額には縦長の「第3の眼」が有った。
赤い輝線の紋様が刻まれた漆黒の肌と第3の眼を除けば、その怪物の顔の造形は依耶 瑁人そのものだった。
そいつは、それこそ擬音でも聞こえそうなくらいに、三つの眼をくわっと見開いた。
赫灼たる赤い光を放つ、三つの眼。
そいつが赤眼を見開いた途端、光の結界の外で再び闇の爆轟が荒れ狂った。
そして、哄笑。そいつは狂喜の叫びを上げた。
「〈フハハハハハハハハァーーッッ!!
やったぞ、 賭 け に 勝 っ た ぞ!!!〉」
耳を介すると同時に脳の聴覚野にも直接響いたその声は、依耶のものともガーデスのものとも違う印象を、声を受けた者に与えた。
メルリンによって俺に再び付与された超感覚は、そいつの『存在感』が依耶のものとガーデスのものを単純に足した値の倍以上に膨れ上がっている事を、はっきり捉えた。
メルリンの倍以上の『存在感』である事は確実であり、メルリンの存在感に味方全員の存在感を加えた値すらも優に上回っている事は確実だった。
そいつは翼を広げると、はばたく様子も無いのに最上甲板から数cm浮いた。
そしてそいつはおもむろに右腕を伸ばし、広げた掌を俺達に向けた。
ゴォオオッッッ!!
その途端、指向性を持った闇の爆轟が俺達を守る光の結界を直撃した。
光の結界は壊れなかったものの、俺達が立っている位置に固定されたまま、闇の爆轟に押された。
指向性を持った闇の爆轟は船が進む向きに対し逆向きであったため、船は結界と一緒に押されて急減速し、船が進む向きを向いていた俺達は、前につんのめりそうになった。
俺達は口々に短い驚きの叫びを上げる。
〈うおぉっ!?〉
メルリンも短い驚きの叫びを上げた。彼がこの様に驚く様子を、俺は殆ど見た事が無い。
指向性を持った闇の爆轟はすぐには止まらず、闇の奔流と化した。
その轟音と共に、船の底から不気味な唸りが聞こえ、持続的な振動が伝わる。
闇の奔流に押されて急ブレーキを掛けられた形になったせいで、エンジンあるいはスクリューが空回りしているのだろう。
十数秒の間続いた闇の奔流は、巡航速度で進んでいたはずの船の速度をほとんどゼロにまで落とした。
そして、船が減速を始めてからほとんど止まるまでの間、闇の奔流の源であるあいつは反動で吹き飛ばされる事も無く、宙に浮いたままで俺達に対する相対位置を保っていた。
……奴は重力制御すらも苦も無くやってのけているようだ。
俺達が乗っている船『いずれ来る幸運』号は、2030年時点で世界最大の豪華客船。
その、25ノット(時速約46km)で進む約25万トンの巨船を、止める力。
この闇の奔流の出力は、少なくとも、10万馬力を優に超える船のエンジンの出力に匹敵する事になる。
ようやく闇の奔流が止んだ時、再び奴の哄笑が響き渡った。
「〈ハァッーハッハッハッハァーーッ!!
これはすごい! 遊び半分で放ってこの威力とはなぁっ!!〉」
「依耶……お前っ!」
俺が呻くように絞り出した言葉に対し、そいつは答えた。
「〈バァーカ! 俺は依耶 瑁人でもガーデスでもねぇよ。
どっちも『俺』の構成材料となった存在だけどな!
もはやどっからどこまでが元の存在だったか分かりゃしねぇや!〉」
何が可笑しいのか、そいつはまた哄笑した。
〈まさか……全く新しい自我が生じたのですか!?
ガーデスの自我が依耶 瑁人の自我を喰い尽くしたのではなく、ガーデスの自我そのものでも依耶 瑁人の自我そのものでもなく〉
「〈ご名答! メルリンくん〉」
驚愕するメルリンの声に、奴は小馬鹿にしたような声で答える。
「〈『過飽和』って現象、知ってるか?
溶媒の中に本来溶ける事ができる量以上の溶質が溶けている現象。
チオ硫酸ナトリウムの過飽和水溶液とか、良い見本だよなぁ〉」
それくらいは俺も知っている。
昔、俺が10代前半の少年少女を対象とした化学実験教室に参加した時、チオ硫酸ナトリウムの過飽和水溶液を使う実験を、面白がって何回か繰り返した事が有る。
「〈で、チオ硫酸ナトリウムの過飽和水溶液にチオ硫酸ナトリウムの小さな粒を加えると、溶けていたチオ硫酸ナトリウムが急速に析出する。
それと似た様な感じで、大釜の中で煮詰めたような『悪意』そのもののごときガーデスに、依耶 瑁人という名の小さな粒を加えて、生じた存在。
――それが『俺』だ。
だから、『俺』は依耶 瑁人でもガーデスでもない。
依耶 瑁人を核にして、ガーデスが新たなる形態変化を遂げた結果生じた、二つを統合する新たな単一の自我だ〉」
〈何と言う事だ……〉
メルリンが絶句するという時点で、俺達の目の前にいる『あいつ』の出現が全く予想外の事象であるという事が、よく分かった。
『あいつ』は、得意気に言葉を続ける。
「〈正直、俺自身よくもここまで上手く行ったものだと思ったよ。
……瑁人が初めてガーデスと邂逅した14歳の時に同じ事をやってたら、瑁人の自我は完全に消滅し、単にガーデスの滋養になるだけだったろうな。
そこの地球外生命体が予測した通りに〉」
そいつはメルリンを一瞥する。
「〈だが、瑁人の奴は元々、ガーデスに出会う少し前の時点で、将来自らの手で強いAIのコアシステムを創造し、それに自らの精神を移植して、人の身の束縛から自由になる構想を持っていた。
当時は字義的な意味でも年齢的な意味でもまさしく『中二病』的発想だったが、この地球上のいわゆる「先進国」が「強いAI」一歩手前のAIコアシステムを有する現代、必ずしも中二病的とは言えなくなってきたなぁ〉」
そいつはニタニタ笑って俺を見ていたが、急にポーカーフェイスになった。
「〈瑁人が自らの構想を実現するに当たって、一つ懸念が有った。
それは、強いAIに精神を移植したはいいがマシンパワーが強すぎて制御できず、自我が拡散して結局は消えてしまうかもしれない、という懸念だ。
……大きなビーカーに満たされた蒸留水に、チオ硫酸ナトリウムを1粒だけ溶かした所で大した違いが無いのと、同じ事だ〉」
そいつはそう言いながら眼を瞑った。
しかし一見隙だらけのように見えて、全く隙が無い。
俺が再びメルリンから付与された超感覚と同じかそれ以上のものを、そいつが持っている事は確実だった。
たとえ眼を瞑っていても、視覚以外の感覚で攻撃の兆候を感じ取った時点で、そいつは直ちに反撃してくるはずだ。
そいつは眼を瞑ったままで言葉を続ける。
「〈その懸念への対策を思案しているちょうどその時、瑁人はガーデスとのファーストコンタクトに至った。
ガーデスは瑁人に恐怖と絶望を味あわせてから瑁人の自我を喰い尽くすつもりだった。
しかし瑁人は物怖じせず、あまつさえ、「自らの構想の一環を成すAIアシスタントのアイデアがガーデスの目的にも利用できる」という事実を交渉材料にして、契約を持ち掛けた。
ガーデスは瑁人のアイデアとふてぶてしさを大いに面白がり、契約は成立した〉」
その辺りは、人間としての依耶がまだ存在していた頃に、依耶自身が話した事柄と整合している。
「〈ガーデスと契約を結んで以後も、瑁人は深層心理の奥底で、強いAIへの精神移植に係る懸念への対策を考え続けた。
ガーデスが律儀にも契約を守って瑁人の自我を喰らわなかったせいで、ガーデスは瑁人の深層心理を知る由も無かった。
そして十数年。成長し、14歳の時を大きく上回る知恵と精神力を身に付けた瑁人は、徐々に疑念をいだく様になった。
『もしかしたら今なら、ガーデスが自我を喰らおうとしても、自我が完全には消滅せず、何らかの意味で形を変えて存続するのではないか?』とな。
あたかも、チオ硫酸ナトリウムの過飽和水溶液にチオ硫酸ナトリウムの小さな粒を放り込んだかのごとく。
――ミームの有機的結合をAI設計思想の根底に置いた瑁人から見て、『悪意のミーム』の有機的集合体たるガーデスは、『天然の強いAI』の一種であった〉」
奴は尚も得意気に言葉を続ける。
「〈疑念は持っても確信は持てなかったから、瑁人は賭けに出なかった。
しかし今宵、ガーデスが窮地に陥り、思いがけず絶好の好機となり、瑁人は自らの『魂』をチップとした賭けに出た〉」
そこで、奴は三つの赤眼を再び大きく見開いた。
「〈結果は御覧の通り。
瑁人は賭けに勝ち、ガーデスは思いがけない力を手に入れた。
二つの自我が融合して不可分な一つの自我になっちまったがなあっ!
結果オーライってやつだ!!
アーッハッハッハッハァーーッ!!!〉」
脳に響く奴の哄笑を、俺はとても不快に感じた。
ひとしきり笑った直後、奴は静かに俺達へ問い掛けた。
「〈……さて、お前ら。
何でこの俺様がわざわざ長々と自分語りをしたか、分かるか?〉」
メルリンを含め、即座に言葉を返せずにいる俺達に、奴はこう言い放った。
「〈それはな、俺が多少油断したところで、俺の優位は覆らない、って事を教えるためだよぉっっ!!!〉
ゴォオオオオーーッッッ!!
再び、闇の奔流が俺達を守る光の結界に叩き付けられる。今度は奴がまっすぐ前に突き出した両方の掌から、闇の奔流が放たれていた。
〈ぐぐっ!……何という力……っ!〉
メルリンがやや苦しげに呟き、結界が軋む。船は再び結界ごと急減速をかけられた。
しばらくして、結界がやや緑がかった白色光を帯び始めると、軋みは止み、それから数秒経って、闇の奔流が止んだ。
「〈……ちっ、今のは割と本気だったんだがな。一緒に中にいる連中が加勢したか〉」
奴の言葉に思わず振り向くと、アジュールと一体化したままのマリさんが、両方の掌をまっすぐ前に突き出していた。
少し前の戦いで防御障壁を発生させた時に輝いていた左手の手甲の宝石が、一際強い翡翠色の光を放っている。
メルリンの光の結界の防御力にアジュールの防御障壁の防御力が加わっているのは明らかだった。
それだけでなく、俺の超感覚は、結界を強化するエネルギーの流れを、俺以外の他の味方から感じ取った。
……差し迫った危機の最中に在ってただ見てるだけの我が身が、非常に悔しい。
「〈だが、溜めに溜めたフルパワーなら耐えられまい?〉」
奴は嬉々として邪悪な笑みを浮かべる。
俺の超感覚は、奴が急激に溜め始めたエネルギーを、はっきり感じ取った。
〈アジュール、マリ。私が防御結界を解除したと仮定して、更に他のみんなが加勢した状態で、貴女達の防御障壁は奴の「溜めに溜めたフルパワー」に何秒耐えられます?〉
メルリンがアジュールとマリさんに向けた言葉が、俺の脳にも伝わる。
「保って1秒……いえ、確信を持てるのは0・5秒ですわね」
アジュールから無言で思考を伝達されたマリさんが、メルリンの問いに答えた。
〈それだけ有れば充分です。……今準備してる切り札は、一瞬とは言え防御結界を解除しないと使えないので〉
光の結界の外にいる奴は、凶悪としか言いようの無い量のエネルギーを得て励起した超対称粒子を溜め込み続けていたが、突如として、励起状態から低エネルギー状態に戻し始めた。
いかにも興醒めだというそぶりで、奴は声を発する。
「〈……ふん。今のこの体でフルパワーを出せばお前らを結界ごと吹き飛ばす事も可能だが、フルパワーまで溜めてる間に逃げられてもつまらんな……〉」
メルリンが何をしようとしているか、奴には察しが付いたのだろうか。
警戒する俺達をよそに、奴は最上甲板から数cm浮いたまま腕組みして、思案し始める。
その数秒後、改めて声を発した。
「〈……ならば、もっと度肝を抜くものを見せてやろう!〉」
そう言って、奴は右手を顔の高さに上げ、指をパチンと鳴らした。
その次の瞬間から、船の最上甲板と重なり合いを維持していた超対称物質製の装甲板が変形し始める。
それは通常物質との連結を解除し、奴も俺達も諸共に巻き込まんとして、急速に丸まり始めた。
〈くっ! 皆さん、0・5秒だけ持ち堪えて下さい!!〉
そう言って、メルリンは光の結界を解除した。
その次の瞬間、丸まってきた超対称物質製の分厚い板が俺達を巻き込もうとし、アジュールの防御障壁にぶつかり、軋みを上げたかと思うと……周囲の光景から、超対称物質製の分厚い板も、船も、空も海も彼方の陸地も、そして奴の姿も、消え失せていた。
※あとがき:
もしも今話を面白いと思って読み返してくださる人が
いらっしゃるのであれば……
その時の推奨BGMは『片翼の天使』。
(今話に出て来た奴は両翼だけどな!)
ファイナルファンタジーからではなくて
ドラゴンクエストからBGMを選ぶとするなら……
4の『邪悪なるもの』か7の『オルゴ・デミーラ』辺りかな?




