招待状
世界中の多くの国や地域が不穏な空気に満たされていく中、概ね平穏な日本。
多くの日本人が暢気にクリスマスのムードに染まり始めたある日、1通の招待状が俺に届いた。
招待状の差出人は、依耶 瑁人。
元々、同窓会を兼ねた今年の忘年会を依耶が直々に企画しているという事を、メルリンに初めて会う以前から風の噂に聞いていたし、メルリンも同窓会兼忘年会の事を言及していた。
だから、依耶が同窓生全員に漏れなく招待状を送るであろう事は全く想定内であったし、特に驚くには当たらない。
だが、封筒を開けて中の招待状を見た俺は、困惑した。
その招待状は、毛筆で書かれていた。
毛筆書体の活字ではない。依耶 瑁人その人の、肉筆であった。
その証拠に、招待状からはインクの匂いではなく墨汁の匂いが微かに漂ってきた。
文面が示す内容は、いかにも招待状らしい、よくある典型的な当たり障りの無い内容である。
しかし、書かれた文字は非常に達筆であった。
依耶が達筆なのは知っていたが、全国書道コンクールの上位入賞者もかくやと言うほどの腕前で、招待状は書かれていた。
依耶自らの手による肉筆――その1点だけが、著しく異様であった。
なぜわざわざ肉筆で、それも非常な達筆で、俺宛ての招待状を書いたのか?
ワープロソフトか、ペルソナの口述筆記機能でも使えば充分だったろうに。
依耶は、明らかに強く意識して俺を招待している。「その他大勢」の招待客としてではなく。
俺の知る依耶は、どう考えても俺なんぞ歯牙にもかけそうに無いのだが……。
たまたま俺の勤め先に同窓生が一人いたのでそれとなく尋ねてみたのだが、その同窓生に届いた招待状は、俺宛ての物と同じく当たり障りの無い内容であり、何の変哲も無い明朝体の活字で印刷されていた。
俺が受け取った封筒の中には、異様な招待状の他にもう1つ異様なものが同封されていた。
――ヨリヤグループの独自暗号通貨『MAICA』の受取用QRコードが印刷された紙だ。上等な礼服の1着でも買って、往復の旅費と宿泊費を賄ってもまだお釣りが来そうな額だった。
招待状には、同封されていたMAICAの受取用QRコードについての言及は、一切無かった。
「これで当日恥ずかしい思いをせずに済む礼服でも買ってから、来い」とでも言いたいのだろうか?
また、先述の同窓生の話から推察するに、活字で印刷された招待状の封筒にはMAICAの受取用QRコードは同封されていない模様であった。――やっぱりと言うべきだろうか。
このたび依耶が企画する同窓会兼忘年会は、招待状の受取人に限っては参加費無料との事。活字であるか肉筆であるかに関わらず、参加費無料という条件は同じらしい。
それだけでも稀有な条件だが、それに加えて更に相当額の暗号通貨までプレゼントしてくれるなど、前代未聞だ。不気味にすら感じる。
彼は一体何を考えている?
なぜ、俺を強く意識して誘っているとしか思えない招待状を、俺宛てに送った?
俺がメルリンと接触した事に、彼は感づいているのだろうか?
――分からない。彼に憑依しているであろう得体の知れない存在は、メルリンと同等の存在であるはずだ。
同等の能力を持つ存在同士の諜報戦で、一方だけが圧倒的に有利になるという事態は考えづらい。
おそらく、「可能性の一つとして頭の片隅で考えてはいるが、俺とメルリンの関係について確証に足る情報を得てはいない」というのが一番有りそうな話だ。
そうなると、俺が受け取った異様な招待状は「誘い出し」が目的、であると考えた方が妥当だ。
他にも、メルリンが奇襲を仕掛けてくるための隠れ蓑候補となり得る人間に、同様の異様な招待状を送っているのだろう。
それでノコノコやって来れば迎え撃つだけ。不気味に思って辞退した場合は……放置するかもしれない。
ならば普通に考えて、「丁重に辞退する」という選択肢が、俺にとって最も安全なはずだ。
実際俺は、不参加の返答と共にMAICAの受取用QRコードが書かれた紙を依耶に返送しようと、何度も思った。
だが、その度に躊躇した。憶測でしかないが、「不参加」という選択肢も危険を完全に排除できるわけではなさそうな気がしたからだ。
メルリンの話を信じるなら、依耶に憑依している存在には配下がいるはずである。
メルリンが駅のホームで消滅させた「雑兵」の様な存在が相当数いるに違いない。
メルリンの方はメルリンの方で分身が一体だけではなく、同様の分身が複数存在する事を、メルリンは仄めかしていた。
メルリンが言う所の「敵司令官」は依耶に憑依しているであろう存在一体のみであるはずだが、メルリンは「敵司令官は地球由来の超対称生命体を従属させている」という旨の事も言っていた。
それらの「敵司令官に従属させられている地球由来の超対称生命体」の中には、「敵司令官」自身と「雑兵」との中間に位置づけられる強さの存在も少なからずいる事だろう。
そういう存在が、「不参加」を選択した隠れ蓑候補に対して、探りを入れて来るかもしれない。
「よく分からないけど、念の為に始末してしまえ」とばかりに襲いかかって来るかもしれない。
そして、メルリンによる超感覚の付与を受けていない今の俺は、その手の存在が間近に忍び寄っても気付かないであろう。致命傷を受けた瞬間にようやく気付く、などという事も有り得る。
その手の存在は、事故を装って俺を殺そうとするかもしれない。駅のホームで危うく殺されかけたあの中年男性に対して、雑兵が試みた様に。
仮に俺がその様にして殺されたとすれば、俺の死は「時々起こる、大して珍しくもない事例」として処理されるだけだろう。
メルリンが敵司令官に対する奇襲の企てについて俺に話してくれた時、俺は彼に「周囲の人間が奇襲の巻き添えになって致命的な危険を被る確率」を尋ねた。
彼曰く、その確率は約1%との事。一応、隠れ蓑候補だけではなく周囲の危険度も少なくなるよう、配慮してくれてはいるようだ。
「不参加を選択した結果、敵司令官の配下が殺しに来る確率」が分からないので何とも言えないが、ことによると、今の状況ならむしろ「参加」を選択した方が安全かも知れない。
――メルリンは、今の様な状況も想定していたのだろうか? おそらくそうなのだろう。
そうでなければ、
「後で私が再び話しかけてくるその日まで、依耶 瑁人に近寄らないで下さい」
と忠告する一方で、
「もしも依耶 瑁人が特に強く意識してあなたを招待する意思を示した場合……その時の判断はあなたに任せます」
などと、一見矛盾している様に見える発言同士の辻褄が合わない。
超生命体同士の駆け引きに巻き込まれている以上仕方が無いとは言え、先の先まで読まれているようで気味が悪い。
考えづらい事ではあるが、「実はメルリンこそが地球人に災いをもたらす存在であり、メルリンが言う所の敵司令官こそ、地球人の味方である」という可能性すら、今の俺は完全には否定し切れない。
世界中を不穏な空気で満たした黒幕こそメルリンであり、日本などの少数の先進国は依耶に憑依した存在の力ゆえに平穏でいられる、という可能性すら否定できない。
実際、今の日本が『失われた40年』などと言われた閉塞感に満ちた状況を打破できたのは、ヨリヤグループの力に依る所が非常に大きい。
その閉塞感の打破を成した要因のうち、どこからどこまでが依耶 瑁人に固有の意思と力によるもので、どこからどこまでが依耶に憑依しているであろう存在の仕業であるか、これも分からない。
メルリンは「敵司令官が依耶を一方的に支配している」と考えているふしが有るようだが、依耶と敵司令官は対等の関係かもしれないし、敵司令官が依耶を支配しているにしても、依耶はその支配から脱しようとしているのかもしれない。
俺の手に届いた招待状は、依耶が敵司令官の支配から脱しようとする企ての一環であるかもしれない。
依耶とその背後の存在が日本にとってはむしろ利益になっているのではないかという不確かな疑念の一方、俺に対して明確かつ直接に恩恵を齎したのはメルリンである、という厳然たる事実が有る。
俺は彼の申し出を丁重に辞退する事によって超感覚こそ失ったが、裸眼視力は彼と出会う前と比べていくぶん改善したし、目の前の人間が嘘をついているかどうか分かる能力は残されたままである。
もちろん、味方であると思いこませるために、メルリンが俺に一部の能力を残した、という可能性も否定できない。
メルリンとその敵、どちらが地球人にとって敵か味方か、確証を得るには情報が足りないし、仮に完全な情報を入手可能だとしても、俺がその全てを吟味し尽くせるとは思えない。
何しろ、人間を遥かに上回る知的生命体同士の諜報戦に纏わる情報なのだから。質も量も、生身の人間の手に余るものに相違無い。
これは……あれだ、まさしく、「充分な情報も処理能力も無いまま、徒に考えれば考えるほど、底無し沼に嵌る」というやつだ。
思慮の足らない奴に「下手の考え休むに似たり」などと言われたら腹立たしく感じるが、今俺が陥っている状況においては、不承不承、どこかで思考を打ち切って結論を出すしか無い。
このまま悶々と悩んでいたら、日々の仕事にも悪影響が出る。
だから俺は、依耶からの招待状を受け取った直後の日曜日に、結論を出した。
結論は……「参加する」だ。




