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おそらく旧知の間柄であろうメリザンド様のお父上だけがぎょっとして、ネヴィルくん、と呟きますが、他に誰ひとり疑問の声をあげません。メリザンド様は何を思っているのかじっとうつむいて、すこし崩れた縦ロールが重力に従っていました。
小さくてかわいい女の子がひとり俯いているのは胸の痛む光景ですが、わたしの手は煩わしいでしょうし、掛けていい言葉も見つかりません。そっと目を外し、お父さまにネヴィルを連れ帰る許可を貰います。彼女の望みに従えない、彼女を説得する方法もわからない、わたしにできる有効な手段は距離を置くことくらいです。きっと今話し合えと言ったところで、ネヴィルは優しい言葉ひとつかけてあげられないでしょう。
すぐに話し合わなければ拗れるものもあれば、準備を整えてからでなければならない話し合いだってあるものです。今回、ネヴィルはもう少し情緒を学んでからでないと、幼いおんなのこと話してはいけないと思うのです。それが、やっぱりメリザンド様にとって『ネヴィルを奪う魔女』の行動だったとしても、わたしは年上なのですから、それくらいの泥を被ったって構いません。
「お父さま、ネヴィルを連れ帰ってもよろしいですか?」
「ああ、みんな納得ずくだろう? うちは構わないよ。ただ、『友人のカーター男爵子息』を連れてゆくのならば、今日は。」
ちらとネヴィルを見ます。『友人のカーター子息』は室内着を選ぶことも、紅茶を淹れることだってできません。いえ普通従者はそんなことしないんですが。
なぜかわたしに尽くしたがるネヴィルの希望は叶えられず、数に入らない従者と違い部屋にふたりだけという状況もだめです。それでもこちらを選ぶのですか? と視線だけで尋ねました。慣れない扱いをされる場所に、わざわざ来たいのですか? と。
個人的にはやっぱり今日はパウラ様と帰り、明日また、という方がいい……いえ、ほんとは「従者を辞めてこれからはカーター子息として健全な友人付き合いを望みます」とか言ってくれる方がいいです! いいですけどそれは無理なんですよねわかります。わかってても初心は忘れません、こどもはこどもらしくあれる場所に居て欲しい!
単なる問いかけとわたしの希望を込めた視線を、ネヴィルは正しく読み取るでしょう。ほかの10歳にこんな期待はしませんが、だってネヴィルです。サイキックかな? というくらい察しが良いのです。天使の微笑みに惑わされてなければ恐ろしがっていました。
さて、わたしの予想通り、ネヴィルはきちんと意図を読み取りました。一瞬瞼を伏せ、それからほんの少し眉を下げた笑顔。
「明日の朝、御髪を梳るのが楽しみです」
パウラ様を見ます。
「ネヴィルをよろしくお願いしますね」
口調が丁寧になったのは、お父さまが来たからでしょう。ではなく。
意外に思う気持ちはありませんが、ネヴィルの返答に軽く息を吐きました。そして、ちらりメリザンド様を見ます。
彼女はこちらの話を聞いているのかどうか、お父上が何かぽつぽつ声をかけていらっしゃる様子だけ伺えます。ネヴィルはわたしのものではありませんし、メリザンド様のものでもありません。彼の意思を、送り出す側も受け入れる側も認めました。彼女にはもう、ネヴィルを止めることができないでしょう。気持ちが想像できるだけに、やっぱり涙する美少女へ同情してしまいます。罪悪感もあります。
せめてこの決定にわたしの希望がないことだけ理解してくれれば、とは思いますが、どうなのでしょう。彼女はわたしが魔女でないと、納得してくれたのでしょうか。ひどいかもしれませんが、ネヴィルがああいうふうに冷たく切り捨てたことで傷付いて、顔に惑わされずに冷静に相手を見つめ直してほしいと思います。
視線をネヴィルに移すと、彼はぱちりと瞬きしてあどけない微笑み。なにも悪いところのない無邪気な顔で、長めの金髪が光を孕んで流れます。ううっ、かわいい。じゃない!
諸悪の根源は全てこの天使です。そりゃあ、暴走してないときのネヴィルはかわいいし気がきくし美形だしかわいいし、暴走さえしてなければ見ててかわいいので、側に居てくれて良かったなーなんて思うことが大半ですけど、ネヴィルがこうならなければメリザンドさまも泣くことはなく……ああでもそうしたらネヴィルは楽しいことひとつもなく生きてたんですっけ……。
美少女への罪悪感と、美少年の幸福を願う気持ちと。馴染みの点で後者が勝るものの、前者が気にならないわけではありません。
複雑な気持ちを抱えて、わたしはこのもやもやをどうにか晴らすべく、おっとり首を傾けました。
「明日の朝、わたしの身支度をするのはアディに決まっていますので。ネヴィルはお昼過ぎから、またお願いしますね」
目を大きく開いた顔に、これはこれで罪悪感を覚えるのだと、わたしはすぐに後悔しました。




