闇市
「出かけてくる」
新月の夜。理久はそう行って部屋を出る。その様子は採取に出かけるときとは少し違った。
髪をターバンでしっかりと隠し、薄いメッシュのような布で口から上を隠している。西にある砂漠の民のような出で立ちだ。こうすれば黒髪と黒の瞳を隠せるが、採取のときはわざわざ顔を隠す必要は無い。
怪しい。理久は何かを隠している。
「よしっ」
由梨は眠気とばしの薬を一気にあおると、こっそりと後をついて行った。
森から街へは歩いて一時間ほどかかる。橋を渡って、小さな集落を抜けた先だ。理久が歩く速度は速い方なので、見失わないように小走りで着いていく。
不意に犬に吠え掛かられた。慌ててしりもちをついてしまう。
「わあっ!」
「……っ……、由梨。お前何してるんだ」
「え、えーっとその、尾行?」
由梨の悲鳴に気づいたらしく理久は振り向いて呆れたような声を出した。布に隠れて見えないが、きっと表情も呆れたものになっているのだろう。
ごまかし笑いをするが、何せ相手は理久だ。ごまかされてくれない。こうなったら開き直るしかないようだ。
「だって理久が何も言わないんだもん。あたしも行く!」
「ったく。お前がついてきたなんて知れたら、私が兄貴たちに殺されるような場所なんだがな」
「何それ? そんなとこあるの?」
「あるんだよ。ま、着いて来ちまったものは仕方ない。はぐれたら面倒だ、離れるなよ」
面倒くさそうに言い、理久は由梨の腕を掴んで歩き出す。先ほどよりもゆっくりとした歩調だ。横目で様子を窺うが、理久は無表情に戻っている。目的地を訪ねても無駄そうだった。
街に入ると由梨たちがいつも店を出している区画とは反対の、酒場などが立ち並ぶエリアへ。さらに酒場街も通り過ぎると道行く人の雰囲気も変わっていく。何と言うか、胡散臭い。
「ねえ、どこ行くの?」
「いいから黙って付いて来い。つーか私がいいと言うまで喋るな。後が面倒だ」
小声でそれだけ言うと一度掴んでいた腕を放して由梨を抱き寄せる。その姿は事情を知らない者が見れば恋人同士のそれだ。道端にたむろする男たち(総じて胡散臭いし薄汚い)が口笛や冷やかすような声を上げた。
「よーお、タリク。しばらく見ないと思ったら女連れかよ。紹介しろ」
「断る。この女に手出しは無用」
いつもよりも低い、まるで少年のような声で理久は返した。口調はどこか鋭く不機嫌なようにも聞こえる。しかし男たちはそれに怯むこともなく、むしろ陽気に笑い出した。
「やっるじゃねーか。そんなナリして女捕まえるたぁな!」
「ちっきしょー抜け駆けかよ! タリクにまで負けるなんて悪夢だ!」
「諦めろ。お前、自分の顔見たことないのか?明日は晴れるらしいから、水にでも映して確認してみろ」
盛り上がる男たちを無視して理久はすたすたと歩いていく。もちろん由梨の肩は抱いたままだ。
困惑して疑問が表情に出たのに気づいたのか、男たちから離れると理久は肩をすくめた。
「ここは闇市だ。市場じゃ手に入りにくい薬の材料とか採取に使う武器とか非合法の品とか、とにかくいろいろ揃う」
そういわれて辺りを見回してみると、確かに店らしきものが並んでいた。ただ、売っているものがかなり怪しげだ。異国風のじゅうたんや乾燥させた草はいいとして……
「目を合わせるな。あの店で売ってるのは麻薬だ」
「……っ」
何か怪しい動物のミイラらしきものに、赤黒い塊。
「ありゃ、異国から仕入れてくる人間のミイラと内臓だ」
「~~~~~っ! り、理久~~」
「『タリク』だ。逃げるなよ。奴隷商人に捕まりたいなら止めないが」
視線は前を見たまま、理久は低い声で告げる。どうやら本気で治安の悪い場所らしい。
ああ、お兄ちゃんたちごめんなさい。あたしがしっかりしなかったせいで、理久が犯罪に手を染めてしまいました。
そんな懺悔をしてしまいたくなる。
布の奥に隠された顔は目的地を見つけたようだ。由梨をさらにしっかりと抱き寄せ、耳打ちする。
「目的地だ、店に入ったら話していい」
理久が指差す先には、猫をデザイン化したような看板がつるされている。何か薬品でもかぶったのか、ドアの一部は変色したり腐食したりしていた。正直、触りたくない。
理久も同様の考えだったのだろう。足先で乱暴にドアを蹴りつけてノックの代わりにしたようだった。
「開いてるよ。はいっといで」
しわがれた老婆の声を聞き、理久はドアを足で蹴り開ける。なんだか怪しい糸が引いたような気がした。
店の雰囲気は、表以上に不気味だった。怪しい泡を立てる謎の液体、いかにも「アレ」っぽい白い粉、なにかの黒焼き……『魔女の実験室』といった表現がしっくり来る。
しかも、中にいたのは年齢不詳の老婆だ。百を越えているといわれても信じてしまいそうな雰囲気がどこか不気味だった。
「おや、久しぶりだねリク。しかも女の子を連れてくるなんて珍しいじゃないか」
「伯爵からの伝言だ。それと今月分の報告は?」
老婆のからかいは無視し、要件を済ませようとする。ベルトの後ろから羊皮紙を出して老婆の前に放った。ついでなのか、棚を見て怪しい粉が入った瓶を手に取った。
「ちょ、理久っ! そんなのに手ぇ出しちゃだめだよ!」
「これは塩だ。昼の市場で手に入る塩よりもこっちのほうが調合に向いてるんだよ」
粉……塩を検分して、どうやら気にいったのか老婆の前に瓶ごと置いた。さらに棚の中身を物色している。なにかの骨、黄色い粉、何かの内臓を乾かしたもの。怪しい。ひたすら怪しい。正体を知りたいが、正直怖い。
とりあえずは話題を変えてみることにした。
「ねえ、たりく、って?」
「素直に名乗って身元が割れると面倒だからな、闇市じゃ誰だって偽名を使うもんだ」
『タリク』は砂漠の民としてはポピュラーな名前だ。本名とかけているので反応もしやすい。偽名を名乗るとき、本名に近いか縁のある名前のほうがいい。呼ばれて反応が遅れると、偽名である事がばれてしまう危険性がある。
「じゃあ、なんでおばあさんは理久の本名知ってるの?」
「名乗ったからな。取引相手に偽名は失礼だろ」
「それに、伯爵家の若さまから話は通っていたでの」
『にっこり』というより『にたり』と言った方が正しい笑みを浮かべて老婆が言う。
「婆さんは領主に情報を売ってるんだ。私は伯爵から頼まれて手紙を届けるメッセンジャーってわけだ。」
「ついでに若さまんとこにお使いを頼んだりもしておる」
「ちなみに婆さんは先々代の救世主だ。今はこうして闇に隠れて生きているがな」
シュタインベック伯爵家はマレビトに対して同情的だ。迫害されたマレビト達を保護し、亡命させたり仕事を頼んだりしている。アーロンが由梨たちを保護した理由にもそういった背景がある。始祖がマレビトに救われたことがあるかららしい。
「婆さん。これとこれ。それから頼んでおいたアレは?」
「できてるよ。ほれ。」
老婆は手元の木箱から何かを重たそうに取り出した。手甲のようだ。腕の部分にいろいろ仕掛けが付いているために重いのだろう。
理久はそれを腕にはめて、仕掛けをいじりはじめる。たちまち手首の先あたりにスリングショットが現れた。ゴムの部分の具合を確かめると、どうやら納得したらしい。ベルトの下に隠した小袋から金貨を出した。
「これで足りるか?」
「ああ、充分だ。そんじゃ、こっちを若に届けとくれ」
老婆が机の上に出した紙片を小袋の中に入れる。取引は終了なのだろう。理久は小袋を再びベルトの下に隠した。
「そういえば、そっちの娘さんの名前を聞き忘れてたね」
「あ、あたしは由梨です」
「そうかい。ユリ、またおいで。あんたに似合いそうな武器を用意しておくよ」
「……それはつまり、『また連れてこい』って意味か……」
いつの間にか顔なじみになった男たちに絡まれる未来を予想し、理久はうんざりとした様子を隠さなかった。
それから数日後。調合の材料を切らしたために理久は再び闇市に向かうことになった。
「よお、タリク! この間の彼女はどうした」
「うまくやってんのか?」
「……」
予想通り絡んできた男たちをかわそうとするが、今日の包囲網はやけに強固だ。抜け出そうにも隙が無い。
「お前はガキだからな。女の扱いなんぞ知らんだろ。俺たちが教えてやるから、おごれ」
「そうそう。タリクは口数が少なくていけねぇや。彼女を喜ばせる話し方くらい覚えて帰れ」
「一杯だけだ。それと私は飲まないからな。飲酒は戒律で禁じられている」
「それでいいから行こうぜ。早くしねぇと酒場の席が埋まっちまう」
これだから酔っ払いはたちが悪い。ここで暴れて顔と名前が割れても厄介だ。今日持ってきた金は酒代に消えることを覚悟した。
護身用に持ってきたしびれ薬を安酒に混ぜてようやく逃れるもすでに夜明けはすぐそこ。買い物をする暇などありはしない。
先日、由梨を同行させたのは失敗だったと心底思った。
(今度闇市に行ったら振られたっぽく話しておくか……)
変身する前に森に戻らないと何かと厄介だ。家路を走りながら酔っ払いたちを心の中で呪う理久だった。