EP 5
6歳の誕生日と涙の別れ
時は流れ、季節は春。
リアン・シンフォニアは、6歳の誕生日を迎えた。
例年なら、アークスとマーサ、そしてオニヒメによる盛大なパーティーが開かれる日だ。
ケーキがあり、プレゼントがあり、笑顔がある。
しかし、今年のシンフォニア家の空気は、どこか湿っぽかった。
「……荷造りは、これで全部か」
リアンの部屋。
彼は愛用の『魔法ポーチ』に、生活必需品を詰め込んでいた。
着替え、日用品、大量の保存食(お菓子含む)、そして趣味のマグナギア改造ツール一式。
「準備万端ですね、リアン様」
オニヒメが静かに声をかける。
彼女はリアンの専属メイドだが、学園の寮には帯同できない。身の回りの世話をしてくれる彼女とも、しばらくお別れだ。
「あぁ。……明日には出発だ」
リアンは部屋を見渡した。
快適な引きこもりライフを送るために改造しまくった、この城。
明日からは、規則だらけの『ルナミス学園』の寮生活が始まる。
「はぁ……。脱走したい」
「連れ戻されますよ」
「退学になりたい」
「勘当されますよ」
オニヒメとの軽口も、明日からは聞けない。
リアンは少しだけ、胸の奥がチクリとするのを感じた。
その時だった。
「り〜あ〜ん〜! あ〜そ〜ぼ〜★」
窓の外から、元気いっぱいの声が響いてきた。
エルフの少女、ルナだ。
彼女はいつものように、ふわふわと風に乗ってベランダに降り立った。
「こんちこりぃ〜ん! 今日はお誕生日だよね! おめでとぉ〜!」
ルナは満面の笑みで、花冠を差し出した。
「これあげる! 森のお花で作ったの!」
「……あぁ。ありがとな、ルナ」
リアンは花冠を受け取った。
いつもなら、「こんなの金にならねぇ」と内心毒づくところだが、今日はその鮮やかな色が、妙に目に染みた。
「ねぇねぇ! 今日は何して遊ぶ? 川に行く? それともマグナギアごっこ?」
ルナはリアンの周りを飛び回り、無邪気に尋ねる。
彼女はまだ知らない。
リアンが明日、この街からいなくなることを。
リアンは花冠を机に置き、深く息を吸った。
言わなければならない。
「……ルナ。今日は遊べないんだ」
「え〜? なんでぇ? お誕生日なのに?」
「明日から……俺は、遠くに行くからだ」
「とおく?」
ルナが首を傾げる。
「帝都ルナミスにある『学校』に入るんだ。そこで勉強して、大人になるまで……ここには帰ってこれない」
リアンは努めて淡々と告げた。
ルナはキョトンとしていたが、次第にその言葉の意味を理解し始めたようだ。
大きな瞳が揺れる。
「……かえって、これない?」
「あぁ。休みの日には帰ってくるけど、基本はずっと向こうだ」
「……ルナも行く」
ルナがリアンの袖を掴んだ。
「ルナも一緒に行く! リアンと一緒がいい!」
「無理だ。あれは『人間』の、しかも『貴族』のための学校だ。エルフの君は入れない」
「やだ」
ルナの声が低くなった。
周囲の空気が、ビリビリと震え始める。
「やだ! やだやだやだ! 離れるのやだぁぁぁ!!」
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
ルナの感情に呼応して、精霊たちが暴走を始めた。
部屋の中なのに突風が吹き荒れ、窓ガラスがガタガタと鳴り、観葉植物が急成長して天井を突き破ろうとする。
「ちょ、ルナ! 落ち着け!」
「うわぁぁぁぁん!! 嘘つき! ずっと一緒って言ったもん! マグナギアで遊ぶって言ったもん!!」
ルナは大粒の涙を流して泣き叫んだ。
それはただの子供の癇癪ではない。
世界樹の加護を持つハイエルフの嘆きは、局地的な天変地異を引き起こす。
屋敷全体が地震のように揺れ始めた。
「リアン様! このままでは屋敷が崩壊します!」
オニヒメが悲鳴を上げる。
「くっ……!」
リアンは暴風の中、泣き叫ぶルナに歩み寄った。
いつもなら、「うるさい」「迷惑だ」と突き放すところだ。
でも。
(……俺だって、嫌なんだよ)
リアンはルナの小さな体を、ぎゅっと抱きしめた。
「……っ!?」
ルナの泣き声が止まる。
暴風が、ふっと凪いだ。
「ごめんな。俺だって……行きたくねぇよ」
リアンはルナの背中をポンポンと叩いた。
「知らない奴らばっかりの場所で、堅苦しい勉強なんてしたくない。……ルナと一緒に、ここで馬鹿みたいに遊んでる方が、ずっと楽しいに決まってる」
「……リアン……?」
「俺たちは『友達』だもんな。……離れるのは、俺だって寂しいよ」
それは、打算も計算もない、リアン・シンフォニアの初めての本音だった。
転生してからずっと、利益と効率だけで生きてきた彼が、初めて「感情」で動いた瞬間だった。
ルナはリアンの胸に顔を埋め、今度は静かに、シクシクと泣いた。
「……ぐすっ……うぅ……」
「泣き止んだか? ……いい子だ」
しばらくして。
ルナは顔を上げた。
その瞳は、涙で濡れていたが、先ほどまでの絶望の色は消えていた。
代わりに宿っていたのは、何かを強く決意したような――ある種、不穏なほどの輝きだった。
「……わかった」
ルナは袖で涙を拭い、鼻をすすった。
「リアンは、いきたくないけど、いかなきゃダメなのね?」
「あぁ。皇帝陛下の命令だからな」
「……うん。わかった」
ルナは一歩下がると、ニカっと笑った。
その笑顔は、どこか悪戯を思いついた時のそれに似ていた。
「じゃあ、ルナがなんとかする!」
「へ? 何とかって……」
「リアン! またね! ぜったい、すぐに会えるからね!」
言うが早いか、ルナは風の精霊を纏い、窓から飛び出した。
「あ、おい! ルナ!?」
「ばいばーい!」
ルナの姿は、森の彼方――『エルフの里』の方角へと、弾丸のような速さで消えていった。
「……行っちまった」
リアンは呆然と空を見上げた。
別れを惜しむ感動的なシーンになるかと思いきや、最後は謎のハイテンションで去っていった。
「『なんとかする』って……何をどうするつもりだ?」
嫌な予感がする。
あの嵐のような少女が、ただ大人しく引き下がるわけがない。
(まさか、学校を破壊しに行くわけじゃないよな……?)
一抹の不安を抱えつつ、リアンは6歳の誕生日を終えた。
明日はいよいよ、旅立ちの日。
そして、その裏で――エルフの国を揺るがす「お祖母ちゃんへのおねだり大作戦」が始まろうとしていた。




