EP 12
ルナハン騎士団の兵舎、その一角にあるクルーガの私室。
机の上には、戦地から持ち帰った報告書や地図、そして過去数年分の地域の事件記録が乱雑に、しかしある法則性を持って広げられていた。
「……おかしい」
クルーガは眉間に深い皺を刻み、湯気の立つ紅茶を啜った。
「ルナミス帝国の圧倒的勝利……。だが、その勝因が不可解だ。敵の指揮官が忽然と消え、兵站がピンポイントで焼き払われ、獣人兵達が集団腹痛で逃走?」
あまりにも出来すぎている。
まるで、神の視点を持つ何者かが、盤面をひっくり返したかのような鮮やかさだ。
「そして……リアン君。君が『誘拐』されて失踪している期間と、この奇跡が起きた期間が完全に一致する」
クルーガは震える指で、別の資料を手に取った。
「それだけじゃない。近隣の森で起きたオーガやオークの不審死。……これらが始まったのは、ここ5年の間に起きた事。そう、リアン君が生まれてから起きた事だ」
全ての点は、一つの線で繋がろうとしている。
だが、その線が指し示す「答え」は、あまりにも常軌を逸していた。
「状況証拠は限りなく、リアン君を『黒』だと言っている。……しかし」
クルーガは天井を仰いだ。
「5歳の子供が、たった一人で戦争を終わらせ、魔物を狩り続けているなどと報告書に書けば……私は即座に『凶人』扱いだ。精神病院送りになっても文句は言えん」
直感は「彼だ」と叫んでいる。
理性が「ありえない」と否定している。
クルーガは、その矛盾の狭間で、終わりのない思考の迷路を彷徨っていた。
一方その頃。
飛ぶ鳥を落とす勢いの『ゴルド商会ルナハン支店』。
その奥にある、豪奢な応接室。
「……そうかぁ。あの『クルーガ』ちゅう鋭い獣が、リアン坊っちゃんを苦しめてるんやなぁ」
支店長のニャングルは、高級な葉巻をくゆらせながら、目を細めた。
対面に座るリアンは、最高級のソファに深く沈み込み、不機嫌そうに腕を組んでいた。
「あぁ。あいつは勘が良すぎる。今はまだ『まさか』で済んでいるが、いずれ確信に変わる時が来る。俺の平穏な生活にとって、最大の障害だ」
「坊っちゃん、任せてくんなまし」
ニャングルはニヤリと、商人の、いや「悪党」の笑みを浮かべた。
「どうする気だ? 消す(殺す)のはナシだぞ。騎士団が本気で動き出す」
リアンが釘を刺すと、ニャングルは手を振って否定した。
「滅相もない! 血を流すなんて野蛮なことはしまへん。……『大人の解決法』を見せてやりまっせ」
「大人の解決法?」
「へぇ。騎士様ちゅうのは、名誉と評判が命ですわ。……そこを突くんです」
ニャングルは身を乗り出し、声を潜めた。
「例えば……貴族の連中や、騎士団の上層部に、あることないこと噂を流しますんや。『奴は酒癖が悪くて、乱暴者だ』とな」
「それぐらいじゃ、解雇まではいかないだろう」
「えぇ。トドメはこれです。『女癖も悪い』。……うちの若い女店員に、泣き真似をさせます。『クルーガ様に付きまとわれて、難儀してますんや』と。ある時は店で、ある時は路地裏で待ち伏せされたと、涙ながらに訴えさせれば……」
ニャングルは指で首を切るジェスチャーをした。
「『ストーカー疑惑』に『セクハラ疑惑』。……エリート街道を歩く堅物の近衛騎士クルーガはんは、一発で解雇。あるいは地方への左遷ですわ」
「……」
リアンは唖然とした。
なんて汚い。なんて卑劣な。
魔法も武力も使わない、社会的な抹殺。
「……ニャングルさん、あんた最高に性格が悪いな」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。……リアン坊っちゃんを守るためなら、ワテは泥でも被りますし、毒でも吐きますで」
ニャングルは忠誠心たっぷりにウィンクしてみせた。
「どうします? 号令一つで、明日からルナハンの街中に『クルーガの悪評』をばら撒きますけど」
リアンは少し考え込み、そして冷徹に答えた。
「……準備だけしておいてくれ。奴が決定的な証拠を掴みそうになったら、そのカードを切る」
「御意に」
真面目で優秀な探偵役クルーガの知らぬ間に、彼の社会的生命を脅かす「ハニートラップ」の包囲網が、着々と敷かれつつあった。




