前編
俺の名前は黒宮 誠。蓬丘高校に通う高校2年生だ。
勉強よりも運動が好きで、自分で言うのもなんだが割と不真面目な人間だと思う。
学校の授業をサボることも珍しくはないし、放課後はどこの部活にも所属せずに友達と校則違反である寄り道をしている。
しかし、いくら不真面目とはいえ、酒やたばこ、軽犯罪などには一切せず、誰にも迷惑をかけずに遊んでいるくらいの高校生らしい可愛い不真面目だ。
しかし、俺は最近友達と遊ぶことがなくなっていた。
ハブられたというわけではないし、今でも友達とは友好的だ。
それではなぜ俺が友達と遊ばなくなったのかというと、それは俺が一目惚れをしてしまったからだ。
高校の授業が終わった放課後、俺は机の中に閉まっている教科書の類を乱雑に学校指定の肩掛けカバンに入れていく。
今日は珍しくちゃんと授業を受けていたため、教科書は複数個あり、カバンの中がずっしり重たくなったのを感じた。
俺はカバンを右肩にかけてゆっくり立ち上がる。
すると、教室の後ろの方から友人の声が聞えてくる。
「誠~! 今日ゲーセン行くんだけど、一緒に来る?」
俺が振り返ると、そこには髪を金色に染め、緑色のメッシュを入れた友人の壮馬が楽しそうに声をかけてきた。彼は校則違反ギリギリのパーカーを羽織っており、ズボンにいたっては制服ではなく、派手な赤色の物を着ていた。
教室の後ろには壮馬以外の俺の友人がいて、どこか期待しているようなそれでいて諦めているような瞳で俺を見つめていた。
そんな彼らにも伝わるように、俺は首を横に振った。
「行かない。今日も図書室で勉強するから」
俺がそう告げると、教室の後ろにいた友人たちの半分は嬉しそうに声を上げて、残りの半分は落胆して肩を落とした。
すると、落胆した側の友人は嬉しそうにしていた友人に金銭を手渡しだした。
どうやら、俺が遊びに誘いに乗るか乗らないかを賭け事の対象にしていたらしい。
「……俺を賭け事の対象にしてた?」
「え? うん」
俺は呆れながら壮馬にそう問いかけるが、壮馬は何が悪いのか理解していないような表情をして肯定する。
「それで? 壮馬はどっちに賭けたんだ?」
「行かないに賭けた。とはいってもオッズは1.01倍だから利益は少ないけどな」
「オッズ少なすぎるだろ。まぁ、自業自得だけど」
賭け事はよくないことだが、壮馬や他の友人たちも楽しそうにしているし、互いに理解してやっているため、これ以上言及するのは野暮なことだろう。
ただ、オッズが低いことは少しだけ不服だった。
「というか、ここのところ数か月間ずっと放課後図書室に行っているけど、なにかあった?」
「それは……」
壮馬は純粋な瞳で俺の方を見て問いかけてくる。
俺は生まれてこの方勉強がずっと嫌いで、成績も下位の方を更新し続けていた。そんな俺は当然のことだが、図書室とは縁がなかった。
そんな俺が友達の遊びの誘いを断ってまで、ここの数か月間毎日のように図書室に篭り続けている。
中学校の頃から友人である壮馬は当然のごとくそれに違和感を持っていたようだった。
「……な、なんでもないよ」
「嘘だろ。だってお前中学生の時、本なんて何が面白いのか分からない~ってよく言ってたじゃないか」
「え? そんなこと言ってた?」
「言ってたよ。お前、中学2年生の時、図書委員押し付けられて、本を何回か読む必要があったじゃん。その度にお前言ってたよ」
「……あぁ~。確かに言ってたような気がするわ」
壮馬に言われて俺はようやく思い出してきた。
俺がいた中学校は生徒たちにどこかしらの委員会に所属することがルールになっていた。
そして、じゃんけんに負け続けていた俺は、興味のない図書委員会に所属することになった。その仕事関係で毎月本を紹介するポップを作る必要があり、そのために本を読まないといけなかったのだ。
「そんなお前が毎日のように図書室に行くっておかしいだろ?」
「……そんなことないだろ。もう俺たちも高校2年生だろ? 受験勉強もしないといけないし」
「あれ? お前って大学進学希望してたっけ?」
「……いや、専門だけど」
「そのために毎日のように図書室に通うか?」
壮馬は訝しんで俺に問いかけ続ける。
そんな彼の視線から逃れるように、俺は視線を逸らした。
「……まぁ、どうでもいいけど」
「え?」
反論ができず黙ってしまった俺に対し、壮馬は唐突に俺を問い詰めるのを諦めた。
そんな壮馬の諦めの早さに、俺は思わず声を上げて彼を見つめた。
「どうせお前のことだから図書室にあるマンガを読んでるとかだろ? 読み終わったらまた遊ぼうぜ」
「……あ、あぁありがとう」
壮馬は俺に手を振りながら友人たちの方に向かっていく。
そして、壮馬は友人たちに何かを話した後、再度友人たちと一緒に手を振ってから教室の外に出て行った。
教室に一人取り残された俺は、右肩にかけているカバンをかけなおし、壮馬に感謝の気持ちを向ける。
普通だったら何か月も遊びの誘いを断るやつを今でも誘う必要はないだろう。しかし、壮馬が上手い事やってくれているようで、俺は今でも交友関係を維持することができている。
そんな壮馬に感謝しつつ、俺も教室の外に出ていき、図書室に向かっていった。
図書室は静かだった。
図書室の中には貸出カウンターに図書委員会の生徒が1人と、利用している生徒が数人いる程度だった。
その中で俺は、図書室の中央に置かれている巨大な机に向かっていき、ここのところ毎日座っている端の席に座った。
そして、カバンの中から一冊のノートと教科書、そして筆箱を机の上に置き、すぐにノートを開いた。
しかし、俺の前にあるノートは空白が多く、勉強した痕跡が全く見られない。
これを壮馬に見られたら揶揄われるか問い詰められるなと思いつつ、俺は壮馬に勉強した証拠として提出を求められた時のために、ペンを動かして教科書の内容を書き写していく。
数分後、重たい図書室の扉がゆっくりと開かれて、1人の女子生徒が中に入ってきた。
入ってきた生徒を見て、俺の心臓は大きく1回跳ねあがった。
彼女は艶のある黒い長い髪をなびかせて、高校3年生とは思えないほど大人びた妖艶な雰囲気をまとっていた。
彼女の名前は七瀬 美香。蓬丘高校の高校3年生であり、噂によると成績優秀者の特別進学クラスに所属しているらしい。
そして、俺が一目惚れをしてしまった相手でもある。
七瀬先輩との出会いは数か月前に遡る。
ある日の放課後、俺は授業の調べごとをするために図書室に来ていた。苦手意識のある図書室だったため、俺はすぐに調べたという痕跡を残した後、図書室から出ていくつもりだった。
しかし、その時に七瀬先輩と出会ってしまったのだ。
彼女は図書室の席に座りながら、小難しそうな文学小説を読んでいた。
真っすぐな姿勢と視線で小説の世界にのめりこむ彼女はとても美しくて、その時に俺は初恋と一目惚れをしてしまった。
だけど、図書室の中でナンパをするわけにもいかないし、なおかつそんな度胸もなかった俺は彼女に声をかけることができなかった。
しかし、この一目惚れを忘れることができなかった俺は翌日も図書室に向かっていった。
翌日も彼女は同じ席で違う本を読んでいた。
そして、翌日も俺は声をかけることができなかった。
その翌日も彼女は図書室にいて、また声をかけることができなかった。
そんな生活が何か月も続いていき、俺は未だに彼女に声をかけることができていない。
その間もこの一目惚れはずっと続いていて、気持ちはなくなるどころか増して行く一方だった。
七瀬先輩に声をかけることができない不甲斐なさに嫌気が差しながらも、声をかける勇気は俺にはなかった。
そして、今日もいつものように俺は彼女の視線で追う。彼女は本棚から一冊の本を抜き取ると、いつものように机の方に向かっていく。
しかし、今日はいつもの席ではなく、俺が座っている席の方へ歩いてきた。
「ねぇ、隣に座ってもいい?」
「え?」
そして、彼女は唐突に俺に声をかけてきた。
彼女の黒くて丸い瞳には、間抜けな顔をして驚いている俺が映っており、その言葉の対象が俺であることは明らかだった。
「? 座ってもいい?」
「あっ!? ど、どうぞ!?」
俺は声を素っ頓狂に裏返して、大きな声を出しながら隣の椅子を引っ張った。
先ほどまで静かだった図書室に俺の声が響き渡り、周囲の視線が鋭く俺に突き刺さる。
しかし、彼女はそんな彼らとは違った優しい眼差しを俺に向けていた。
「ありがとう」
彼女は艶やかな声で感謝を告げ、俺が引いた椅子に静かに座った。
そして、彼女は手に持っていた少し大きなサイズの本のページをめくり始めて、本を読み始める。
俺はそんな彼女の隣で教科書の内容をノートに書き写していく。
しかし、俺の心臓はバクバクといってうるさくて、あまりにも跳ね上がっているものだからあばら骨あたりが痛みを訴えかけていた。
ふと、俺は教科書から隣に座っている彼女に視線を向ける。
彼女は細くて長い指でページをめくり、感慨深そうな顔で本を鋭い瞳で文字を追っていく。
その姿はとても美しくて、俺はいつものように見惚れてしまう。
「ねぇ」
「あ、は、はい! すみません!」
見過ぎたか?
そう思った俺は唐突に彼女に謝罪してしまう。
「? なんで謝るの?」
しかし、彼女は不思議そうな顔で俺の顔を見つめた。
彼女に顔を見られた俺は恥ずかしさから顔が熱くなるのを感じた。
「い、いや。なんでもないですぅ……」
俺が彼女を見ていたことに対する不満を言われると思っていた俺は、そのことが勘違いだったということに気づいた。
そして、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「ねぇ、その勉強方法効率が悪いよ?」
「え?」
そう告げる彼女の視線の先には教科書の内容が書かれ始めている俺のノートがあった。
「え、効率が悪いって」
「いや、数学の勉強なら教科書を書き写すよりも問題を解きまくった方が効率がいいんだよ」
「そ、そうなんですか?」
べつに俺は勉強がしたくて図書室にいるわけではなかったので、効率が悪かろうがなんだろうがどうでもよかったが、彼女と会話することができて純粋に嬉しかった。
そして、彼女は本を閉じて机の上に置くと、俺の教科書を奪い取り、パラパラとページをめくる。
「ねぇ、ちょっとペンとノートを貸してもらってもいい?」
教科書を読み始めてからしばらくして、彼女はそう言った。
「あ、はい。大丈夫です」
どう使うか分からなかったが、彼女に見惚れていた俺は何も考えずに了承する。
そして、俺は目の前に置いてあったノートをペンを彼女の前へとずらした。
「ありがと」
彼女は短く感謝の言葉を口にして、細長い指でペンを握りしめる。そして、すらすらと俺のノートに何かを書き込んでいく。
俺はそんな七瀬先輩の横顔を見続ける。
真剣な眼差しでノートを書いている彼女はまるで芸術作品のように緻密に計算された美しさを持っていた。
「ねぇ」
「えっ、あ、はい!」
しばらく彼女の顔を見続けていると、彼女は不満げに俺の方を睨みつけてきた。
「そんなに見られると恥ずかしいんだけど」
「えっ、あ! すみません!」
彼女はそう言いながら、頬をほんのりと赤らめる。
七瀬先輩に文句を言われて俺は謝罪の言葉を口にするが、より一層彼女をじっと見つめてしまう。
彼女は呆れたようにため息を吐きながら、再びノートに何かを書いていく。
そして、しばらくしてから彼女はペン先をしまい、背筋を正した。
「できた。はいこれ」
七瀬先輩は柔らかい笑みを浮かべながら、俺にペンとノートに教科書ら一式を俺に返した。
俺は彼女が先ほど何を書いていたのかが気になり、ノートのページをペラペラとめくる。
そして、彼女が何かを書き込んでいたページをすぐに見つけることができた。
「これは……問題?」
「うん。基礎的なものから応用なものまで揃えられているから、これを解くだけでいい練習になると思うよ」
ノートにはいくつかの数学の問題が書かれていた。それは頭の悪い俺にはどれが基礎的なものでどれが応用的なものなのかは分からなかったが、彼女が俺のために問題を作ってくれたという事実だけで感動してしまった。
「ありがとうございます! でも、なんで……」
七瀬先輩が問題を作ってくれたということは嬉しかったが、どうして彼女が俺のために問題を作ってくれたのかが分からなかった。
そのため、彼女に疑問を投げかけると、彼女は少し考えたような表情をする。
そして、彼女は戸惑いながらもゆっくり口を開いた。
「……だって、君いつも勉強頑張ってたでしょ? だから気になっちゃって」
七瀬先輩は少しだけぶっきらぼうな言い方をしながらそう告げる。
その姿に俺は今までとは別の意味でドキッと、心臓を大きく脈打たせた。
「それは……その」
しかし、それは違った。
俺がずっと図書館にいたのは七瀬先輩を見たかったからであり、勉強なんてただの言い訳だった。
実際に今日は珍しく教科書の内容を書いていただけで、これまでの俺は図書館で教科書とノートを開いてはいたが、勉強をしていたわけではない。
だからこそ、意図してはいなかったとはいえ、好きな人を騙してしまったことに罪悪感でいっぱいになってしまうのだった。




