表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/38

第14話:蒼珠妃の異香

 青白い陽光が、御簾の向こうに揺れていた。

 夏の終わりの光は、どこか冷たい。

 その部屋の空気もまた、ひどく冷ややかだった。


 


 「──お前が、“あの香”を調えたと聞いた」


 


 声の主は、蒼珠そうじゅ妃。


 若くして妃位に登りつめたとされるが、その顔には薄化粧が濃く、

 まなざしには微笑すら宿していない。


 


 芙蓉は静かに頭を下げた。


 


 「はい。南医寮の調香補佐として、宴の香を再調合した者でございます」


 


 「……あの香は、よかった」


 


 ふいに、蒼珠妃は目を細めた。

 まるで心のどこかが遠くへ飛んでいるようだった。


 


 「一瞬だけ、すべてが霞んで、楽になれた。

 香とは、そういうものよね……痛みや不安、嫉妬も、忘れさせてくれる」


 


 芙蓉は返答を保留した。


 


 確かに、香にはそうした作用もある。

 だが、香に逃げ込むのは、危うい。


 


 「妃さま、どのような香をお求めでしょうか?」


 


 芙蓉は話題を切り替えるように訊いた。

 蒼珠妃は、侍女の手から小瓶を受け取る。


 


 「これは……かつて、父が使っていた香。今は失われた調合なの。

 この香を、再び再現してほしいの」


 


 芙蓉は瓶を開け、鼻先にかすかに寄せた。

 次の瞬間、わずかに眉をひそめた。


 


 ──妙な香り。


 上品な白檀に似てはいる。だが、奥に潜むのは“華の香”ではない。

 薬草にも似た、冷たい金属のような刺激。


 


 (……毒性成分? いや、それとも……)


 


 「いかがかしら?」


 


 「……香材が非常に古いため、成分が変質している可能性がございます。

 精密に再現するには、少々お時間をいただければ」


 


 「構わないわ。私は、待つのは得意」


 


 蒼珠妃は微笑んだ。

 それは美しい笑みだった。

 だが、芙蓉にはどこか、獣が牙を隠す瞬間のように見えた。




 「──蒼珠妃が、香を?」


 


 蓮生は驚きと警戒の混じった顔を見せた。


 


 「しかも、奇妙な調合を望んでいるの。古い成分の一部は、鎮静ではなく“抑制”系だった。

 つまり……意識を鈍らせる、ある種の“服従香”」


 


 「誰かに使うつもりか? それとも、自分に?」


 


 「そこが分からない。でも、父の香だと彼女は言っていた……

 つまり“記憶の香”でもある。記憶と服従、矛盾しているようで、どちらも逃避の香気」


 


 芙蓉は帳面に、その成分を書き出しながら言った。


 


 「……この香が完成したとき、何が起きるのか。

 私は、その前に真相に辿りつかないといけない気がするの」


 


 蒼珠妃の香──

 それは、過去を呼び戻す香であり、未来を縛る香でもあるのかもしれなかった。


 


 その夜。

 香庫の奥で、芙蓉は瓶を手に取った。


 


 蒼珠妃の香と、薫煌が用いた香。

 配合は異なるが、共通する成分がひとつ──「青藤花」。


 


 (やっぱり……同じ系譜の香。蒼珠妃と、宴の混乱。繋がってる……)


 


 そして、ふと。

 芙蓉は香庫の棚の奥に、ひとつだけ“異質な香木”が混じっていることに気づいた。


 


 それは、誰も使っていないはずの香──

 禁制指定に近い、“神経混濁香”。


 


 「誰がこんなものを……」


 


 香の調達記録にも、記載はなかった。

 つまり、“帳簿外の香”。


 


 ──香が嘘をつかないなら、

 帳簿が嘘をついている。


 


 芙蓉は、今度こそ確信した。

 この香の先に、事件の“本当の始まり”があると。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ