22 とまと たべん
「ほぎゃっ……!!」
正午の保育室にまるで暗殺者に背後を取られたかのような徹の悲鳴が響いた。
原因はプレートの端で鮮やかな朱色を放つ一粒のプチトマトだ。
徹は椅子をガタッと引いて距離を取ると、
愛用のクマのぬいぐるみを盾のように構え鋭い眼光でトマトを睨みつけた。
身体の奥底にしみついた察知能力が、赤い丸い物体を危険指定しているらしい。
「大丈夫だって、徹くん。甘くて美味しいトマトなんだよ? ほら、あーん」
俺がスプーンでトマトを運ぶと、
徹はかつて神速と呼ばれた首の振りで即座に回避した。
残像が見えるほどの首振りと、頑なに口を真一文字に結ぶ鉄壁の防衛陣形。
「ほげー(俺が食う)」
見かねた龍が助け船を出すように手を挙げた。
龍は豪快に自分のプレートからトマトを掴むと口へポンと放り込み、
美味しそうに「ほげ♪ ほげ♪」と口を鳴らす。
「ほら、美味しいよ」という親心あふれるお手本……になるかと思ったが、
龍はそのまま自分の分のトマトをすべてペロリと平らげ、
満足げにお腹を叩いて一人でご機嫌になってしまった。
徹へのアピールとしては不発である。
「ほげぇい!」
次に動いたのは悟だった。
おしゃぶりを強烈に吸引しながら立ち上がると徹の背後に回り込み、
そのぶっとい腕で徹の体をガチッとホールドした。
そして、もう片方の手で徹の顎を力任せにこじ開けようとする。
「ちょっと悟くん駄目! 物理で口を開けさせないで!
喉に詰まったら大変だから!」
「ほげっ!? ほぎゃぁぁぁ!」
拘束された徹が必死で抵抗し190センチの悟と身をよじる徹による、
超重量級の関節技の応酬が始まってしまった。
床がみしみしと悲鳴を上げている。
「はいタイム! 2人とも離れて!」
俺は間一髪で悟を引き剥がし、ゼァゼァと息を切らしながら汗を拭った。
力技では絶対に解決しない。
相手は心だけで言えば一歳半。
もっと精神的なアプローチが必要だ。
俺は一度給食室へ走り、ある「作戦」を仕込んで戻ってきた。
「徹くん、見てごらん。クマさんが何か言ってるよ?」
俺は徹が握りしめているクマのぬいぐるみをそっと借り、
その手に小さな星型のピックに刺したトマトを持たせた。
そして、ぬいぐるみの声を意識して裏声を作る。
『徹くん。トマトさん、とっても甘くて美味しいんだって。
ボクも一口食べてみようかな? パクッ……うわぁ、おいしい!』
ぬいぐるみの口元にトマトを当て、食べている風に見せる。
すると、徹の目が丸くなった。
クマのぬいぐるみを食い入るように見つめ、
次にピックに刺さったトマトを見つめる。
「ほ……げ……?」
『徹くんも、ボクと一緒にお口に入れてみる?』
俺がそっとピックを差し出すと、徹はゴクリと唾を飲み込んだ。
眉間に深いシワを寄せ、おそるおそる口を開ける。
それはあたかも時限爆弾の配線を切る時のような緊張感だ。
パクン。
トマトが口の中に入った。
静寂が室内を包み込む。
龍と悟も固唾をのんで(悟はおしゃぶりをピタリと止めて)
徹の口元を凝視している。
数秒の沈黙の後、徹の頬がもぐもぐと動き——
「……ほげ♪」
カッと見開かれていた目がふにゃりと柔らかく細くなった。
口いっぱいに広がるジューシーさに徹の警戒心は一瞬で霧散したらしい。
「ほーげー! ほげほげ!」
美味しかったらしく、徹はもっとくれと言わんばかりに
大きな手でテーブルを叩いておねだりしてきた。
「やったな徹くん! 食べられたじゃん!」
俺が頭を撫で回すと、徹は照れくさそうにクマのぬいぐるみで顔を隠した。
すると、横から龍と悟が「ほげぇぇぇい!」と叫びながら乱入してきて、
克服を祝うように徹の背中をバシバシと叩き(かなり重い音がした)、
3人で顔を見合わせて「ほげほげ」と大笑いし始めた。
ーーー
【園長からの連絡帳メモ】
守先生。徹くんのトマト克服大作戦、お疲れ様でした。
壁越しに聞こえた「ほげぇぇ(技の掛け合いの時の)」という唸り声で
一瞬また抗争かと思いましたが、無事に完食できて良かったです。
ちなみに、守先生のクマさんの裏声が妙にノリノリで可愛らしかったので、
こっそり録音して公開したらSNSでも大好評でしたよ(^-^)
ーーー
「よし、トマトも食べられたことだし、お昼寝の準備しようか!」
俺が声をかけると3人は満足そうに自分の布団へとゴロゴロと転がっていった。
苦労は絶えないし、毎度命がけの工夫を強いられる。
けれど、こんな風に彼らの「できた!」の瞬間に立ち会えるなら、
俺の苦労も悪くないというものだ。
続く




