11.今日はヤギより牛のチーズがいいわ
領地に入って、一家は馬車を下りた。ずっと重い馬車を引いた馬を休ませるためだ。後ろの馬車に乗る侍従や侍女らは、ここで一度お別れとなる。後ろの荷馬車の到着を待って、一緒に屋敷へ向かう予定となった。
「あとでね」
手を振るガブリエルに、侍女達が目いっぱい手を振り返す。国内側なので砦はなく、代わりに小さな集落があった。村と呼ぶ大きさの集落は、騎士や世話係を含めた者達が暮らす。農民や放牧民はおらず、規律がきっちりしていた。
ここで馬を乗り換えるのだ。元気に牧草地を走った馬に挨拶し、ガブリエルは背に乗った。従兄弟のケヴィンとカールが乗ってきた馬も、ここで交代となる。後でゆっくり届けてもらうのだ。ケヴィンの前に乗ったガブリエルは、久しぶりの乗馬に浮かれていた。
「やっぱり、馬車より馬のほうが好き!」
「それは良かった。お姫様、しっかり手綱をどうぞ」
鞍に付いた相乗り用の革を握り、揺られながら領地内を進む。他領との境に近い部分では、放牧と畑が両方見られる。この先、標高の高い屋敷へ向かい、徐々に畑が減っていくのだ。父と母が寄り添う姿を後ろから見つめ、ガブリエルの頬が緩んだ。
「ねえ、お父様達……素敵よね」
憧れると匂わせたガブリエルに、ケヴィンは鼻の奥がツンと痛んだ。泣きそうになり空を見上げ、雲がやや多い青空に気持ちを落ち着ける。
「そうだな。とてもお似合いだ」
騎士としてではなく、従兄の口調で答えた。振り返ったガブリエルが笑う顔に、対応を間違えなかったと胸を撫で下ろす。馬車の通る街道は石を敷き詰めているため、馬の蹄に優しくない。馬車を引く馬は専用の蹄鉄を使うが、彼らは脇にある土の上を歩かせた。
縦に一列になって進む馬は、常歩程度でゆっくり進む。たまにすれ違う領民は、笑顔で手を振ってくれる。いつもと同じ穏やかな領地の風景だった。
「お姉様!」
手を振って叫ぶラファエルへ、ガブリエルも「ラエル」と名を呼んで身を乗り出す。咄嗟にケヴィンが支えたが、心臓が飛び出すかと思うほど焦った。
「こら、落ちるぞ」
「ごめんなさぁい、ケヴィン兄様」
ラファエルもカールに叱られて、謝っているようだ。屋敷が見えるまで、この速度では一日かかる。面積は広いが、ほとんどが山岳地帯のロイスナー公爵領は移動が大変だった。途中で野営するには、荷物を置いてきてしまった。街道沿いの宿へ泊まることになるだろう。
「どこまで行けるかしら?」
「日が暮れる前に宿を取るなら、ラディーユ辺りかな」
ケヴィンの予想に、そうなればいいなとガブリエルは頷いた。その先の町はヤギのチーズが出る。ラディーユなら牛のチーズなのだ。ヤギも嫌いではないが、今日の気分は牛のチーズだった。たっぷりのチーズを掛けた鶏肉のスープが食べたい。
ガブリエルの呟きは、あっという間に広がり……まだ明るいうちに到着したラディーユで宿を取った。大喜びするガブリエルだが、久しぶりの乗馬で太ももと尻が痛い。ぎこちなく歩く姿を笑うラファエルも、同様に不格好な歩き方だった。
「ラエルだって、酷い格好よ」
「お姉様よりマシさ」
言い合う姉弟の姿に、周囲は自然と笑顔になった。三つの宿に分かれて宿泊し、翌朝も昼前の出発とする。伝令が出され、屋敷へ到着予定時刻の連絡も行った。
「さあ、リルが大好きな鶏肉のスープを頂くか」
「待って、いま行くから」
父ヨーゼフに飛びつく。母ミヒャエラが伸ばした手を掴み、ガブリエルは始終笑顔を絶やさなかった。ラファエルは吹っ切れたのか、姉への必要以上の気遣いをやめる。王家に嫁ぐことが決まる以前のように、家族の幸せが満ち溢れていた。




