5.話はかわって
俺たちはそのまま暫く黙り込んだ。
「あ、あの! お姉様、そう、そう言えばそろそろガランサスよね!」
急にミモザは重い雰囲気を振り払うように明るくて大きな声を上げた。
「ええ、そういえばですね」
「ね、そうでしょう! 昨年は王妃様がお亡くなりになったから質素にと言っていたのをレグルス様の一言で今までより華やかにしようと決めたそうなの」
「今までよりも華やかに?」
「そう。王妃様が好きだった花を国内外からたくさん取り寄せているみたい。王妃様は静かに厳かにされるより、華やかで楽しいものが好きだからって。ね、だから、一緒に行きましょう!」
ミモザはギュッと俺の手を握って笑いかけてくる。まるで大輪の向日葵のような笑顔だ。
俺も先ほどの緊張した表情筋が僅かに緩むのを感じた。
ミモザは俺の顔を見て、さらに手に力を込める。
小さいけど、柔らかくて暖かい手。
その体温にゆるゆると心は解きほぐられていくようだった。
ミモザは俺の恐れを見抜いたのだとすぐに理解した。
原因を聞きたいだろうに聞かないのは彼女なりの優しさに違いない。
ミモザは変わった。
去年なんて我儘を言ってリゲルを困らせていたというのに、こんなにもミモザは優しく強く聡明になった。
きっとミモザはいい女性になるだろう。
何だか、妹が急に大きくなってしまったような気分だ。
嬉しいような、寂しいような、それでいて誇らしいような、酷く感傷的な気分で俺は頷いた。
「ええ……ええ、是非とも皆で」
俺の言葉にミモザは少しだけ眉を顰めた。
「皆? また、皆と?」
「ええ、嫌ですか?」
「うーん……皆と言うのは、王子やあのムッツリしたアルファルドとかいう子も一緒だと言うことでしょう? 百歩譲って、お兄様かミラとならいいけど……」
ミモザはそう言って下を向く。
「二人がお嫌いですか?」
そんなことないだろうと思いつつ、俺はミモザに聞いた。
「そういうわけじゃないの。でもね、嫌なのよ。それに、そんな大所帯で行ったらお姉様が皆にとられちゃうじゃない!」
ミモザの言葉からは「奪われたくない。もっと甘やかされたい。独占したい」という心が透けて見えた。
兄や姉を持つ下の子特有の嫉妬の類だろう。
成長したと思った途端、コロッと手のひらを返したように子どもに戻るミモザ。
俺には素直に甘えることが出来るミモザがとても可愛らしく思えた。
「じゃあ、どこか一日はミモザと一緒に回ることにしましょう」
「二人きりで?」
ミモザはキラキラとした目で俺を見つめた。
「あの……二人きりというのはおそらく無理でしょうね」
俺の言葉にミモザはそれはもう気の毒なくらいに落胆して見せる。
あんなにキラキラと星が瞬くような瞳をしていたのに、今では死んだ魚のような濁った瞳で遠くを見つめている。
「二人きりは嫌なの、お姉様?」
「いえ、そういうわけではありません。ミモザは去年誘拐されているでしょう? 心配なんです。やはり護衛が必要だと思うのです」
「そう、そうよね。そういうことならいいわ! そんなの実質二人きりみたいなものだもの」
ミモザはぱっと輝く顔で微笑んだ。
「それは俺も行ってもいいのかな?」
おずおずとリゲルが俺たちの会話に割って入る。
「……お兄様が護衛をしてくださるということ?」
「そのつもりだけど、何か不都合かな?」
リゲルはミモザの顔を窺うように見つめる。
「不都合はないけど、前のお祭りもお兄様がごねたからおまけがついてきてしまったのよ。お兄様も一緒だと言うことはまた同じ状況になりかねないと思って……」
ミモザは目を細め、少し険のある目付きをする。
リゲルはしゅんと下を向いて、それから「確かにな」と呟いた。
「あの、それならリゲルとはまた別の日に行きましょう。アルファルドやレグルス様も一緒に……」
「いや……!」
リゲルは急に大きな声を上げた。
「いや?」
「あ、嗚呼、ごめん、間違えた。皆で行くのも楽しいよね。俺はそれでいい」
リゲルははっとしたような顔をして慌てて首を振った。
そして、いつものように俺たちに向かって笑顔を作った。
何かごまかされているような気がした。
「あの……やっぱり、アルファルドと仲が悪いからですか? アルファルドと一緒はお嫌?」
「あ、そういうわけじゃないんだ。アルファルドとは反りが合わないことも多いけど、嫌な奴じゃないことは知ってるよ。レグルスはアルファルドと一緒だと安心するみたいだし、あそこはもうセットで考えているから今更気になんてしてないよ」
アルファルドのことが気になるわけではない。
つまり、他に何か気になることがあるというだろう。
リゲルの気になることなんて俺には一つしか思いつかなかった。
「ははあ! さては、ミモザのことが心配でついてきたかったんですね! 大丈夫です! わたくしの従者もそれなりに強いことはご存じでしょう? それにわたくしだって動けるようになったんです。一年前のようなことがあってもミモザの身はわたくしが絶対守ります」
「そう。そこまで言うならアルキオーネを信頼して妹をお願いするよ」
リゲルは少しだけ曇った顔をしながら無理矢理笑顔を作る。
全く、本当に心配性なんだから。
「ええ、お任せください!」
俺はそう言って胸を叩いて見せた。
「じゃあ、いつにする? あ、お兄様たちの方はお兄様たちでスケジュール調整して頂戴ね。私が先に言い出したんだから、私とお姉様二人で出かける日を先に決めるのよ」
ミモザは偉そうに腰に手を当ててリゲルをけん制した。
「それでいいよ。今年も中盤の人が少なそうな日に行くことになるんだろうし。どうせ、ミモザは初日辺りに行きたいんだろう?」
リゲルは諦めたようにため息を吐きながら答える。
全く妹に甘い。
「あら、よく分かったわね。勿論、本命は初日、一番派手で一番催しが多い日だもの!」
「初日ですか。初日なら予定もないですし、いいですよ」
「じゃあ、初日で決まりね!」
ミモザは嬉しそうに手を叩いた。
「俺たちはそうしたらレグルスのところに行ったときに決めようかな。どうせアルファルドもレグルスのところにいるだろうから」
「え、アルファルドがレグルス様のところに?」
初耳だった。ユークレース家のパーティのときもそんなこと言ってなかったのに。
なんだか仲間外れにされたような気持ちになる。
「嗚呼、デネボラ様が亡くなってから結構な頻度でレグルスのところに来ているみたいだ。アルファルドは気に食わない奴だけど、レグルスの力になってくれる。そういうところは俺も認めてるんだ」
「知りませんでした」
「まあ、そうだろうね。レグルスは自分の弱みを見せることを恥だと思っているみたいだからアルファルドに励まされてることを大っぴらに言うことはないだろうし、アルファルドだってそこは心得ているだろうね」
リゲルの言葉に俺は素直に頷いた。
確かにレグルスは格好付けたがりだし、アルファルドは嫌がることをするような奴じゃない。
「でも、リゲルはレグルス様のことを暴露しちゃうんですね」
「うん。だって、レグルスは時々素直じゃないからね。自分で溜め込んで自家中毒になって爆発寸前までいって……ってなりそうでしょ。婚約者にはせめてそういうところを理解してあげて欲しいんだ。だから、時々こうやってアルキオーネに告げ口してやるんだ」
そう言ってリゲルは悪戯っぽく笑う。
確かに、ゲームの中のレグルスは自分の中にある負の感情を蓄積していって誰も頼ることが出来なくなり暴君化した節がある。
暴君化を回避したつもりだったが、根っこは変わらないのだから、いつそう転んでもおかしくないのかもしれない。
「なるほど。そういうことでしたらどんどん告げ口してくださいね」
「そのつもりだよ、安心して」
リゲルは大きく頷いた。