エピローグ―—旅は終わらない―—
ビージャニアという個体名を持つアークデーモンを封印した紫貝の封具は、賢者の学院の中でも最も厳重に管理されている倉庫の中に入れられた。そこは、禁忌の間とも呼ばれる、危険な魔道具などの保管庫だ。
ここで、何人も触れる事を禁じられた上で、保管される事になったのである。
しかし、ビージャニアは全く悲観してはいない。
そもそも、異界の住人であり、しかも魂のみの存在となっているビージャニアは、時間の捉え方がこの世界の者達と根本的に異なる。
古代魔法帝国時代から千数百年に及んで封印されていた期間すら、さほどの痛痒を感じてはいなかった。
そして、今回の封印は、それほど時間もかからずに解かれると確信したからでもある。
ビージャニアは、今回己を捕らえた者達の言動を踏まえて考える。
(何が、「賢者の学院に厳重に管理させれば最も安全」だ。奴らは人の悪意と愚かさというものを全く理解していない。ここに、俺という『力』があるのを分かっていながら、永遠に放置していくなどという事があるものか。
誰かが必ず、力を求めてこの封印具を手に取る。そして、俺の声に耳を傾け、容易く騙されて俺の駒になる。
多分100年と掛からないうちにそんな事が起こる。ちょっとした微睡のような時間が過ぎるうちには、な。その間、少しだけじっとしていればいい)
だが、このビージャニアの考えはある意味で外れた。
この禁忌の間に置かれた翌日、早くも紫貝の封具を手にする者があったのだ。
(はっ、早速か。愚かも極まれりだ)
ビージャニアはそう考えて、まずは、周りの状況や封具を手にした者の心を読もうとする。
封印されつつも、外部との接触が可能な設定となっているため、ビージャニアにはその様な事が出来るのだ。
だが、直後にビージャニアは驚愕した。心を読もうとした相手の方から、ビージャニアに思念を以て語り掛けて来たからだ。
(どうした、デーモン。私を誑かそうとはしないのか?)
そんな意思を発した者、即ち紫貝の封具を手に取ったのは“伝道師”だった。
ビージャニアもその事を察する。
(こいつ、あの時の女か。とすれば、俺の事を知っているな……)
ビージャニアはそう悟った。だがそれでも、一縷の望みを込めて虚言を弄する事にした。
⦅汝は誤っている。我は異界の住人などにあらず。暗黒神アーリファの言葉を預かりし者、預言者である。預言者の消え得ぬ意思である⦆
暗黒神アーリファであるとの主張を捨て、アーリファの預言者だと騙ったのだ。それも、預言者の意思、即ち魂が現世に残ったもの、それが自分であるという設定である。
そのように設定を変えたのは、自身に実体がない事は既にばれているし、流石に神そのものがこの程度の封具に封印されるのは不自然だと考えたから。そしてまた、この女はビージャニアという本当の名を知っているのだから、今更アーリファと名乗るのは無意味だと判断したからであった。
預言者というのは、信者に対して擬似的な神託を下す事ができる最上位の神聖術師の事である。その存在は、神意の地上代行者と見なされる。頻繁に現れる者ではなく、数百年に1人現れるかどうかというほど稀な存在だ。
ビージャニアはその預言者を、それも暗黒神の預言者を名乗ったのである。
ちなみに、暗黒神アーリファの預言者が現れたという記録は、少なくとも信頼に足るものは、有史以来一つも存在しない。
(はは、よりにもよって、この私に向かってアーリファの預言者と名乗るとは。怒りを通り越してもはや滑稽だ。
そこから、何をどう理屈を捏ねて私を誑かそうとするのか、その猿芝居をもう少し見てみたい気もするが、私もこの場に忍び込んだ身。長居をして誰ぞに見つかっても面倒だ。だから、さっさと終わらせよう)
⦅何を言うか、真実、我は――⦆
(世にあるべからざる者へ討滅の裁きを)
ビージャニアの思念を遮って“伝道師”がそう念ずる。
⦅ガァ!!⦆
ビージャニアが絶叫した。その魂そのものに、凄まじい衝撃を受けていた。
それは神聖術による攻撃だ。無論、“伝道師”が行使したものである。
“伝道師”は神聖術を扱うことが出来た。しかし、それを隠していた。彼女が人前で神聖術を使う事は稀だ。しかし、他に誰もいないこの場所ならば、遠慮なく行使できる。“伝道師”は攻撃を続けた。
(討滅の裁きを)
⦅グワァ!! ま、待ってくれ、俺が悪かった! 確かに俺はデーモンだ。あんたに従う。何でも言う事を聞く。だから、許してくれ!!⦆
この攻撃は自分を滅ぼし得る。そう悟ったビージャニアは必死に叫ぶ。
しかし、“伝道師”は、一切頓着しなかった。
(討滅の裁きを)
⦅ゴハァ!! た、助けてくれ、嫌だ、滅びたくない、助け、助け――⦆
(討滅の裁きを)
⦅ガッ……⦆
“伝道師”の攻撃は容赦なく続き、ついに、ビージャニアの魂は完全に破壊され、その存在は根本から消滅した。
ビージャニアの消滅を確実に確認した“伝道師”は、黙考する。
(汚らわしい異世界の異物が消え、これで世の中は少しは綺麗になった。
さて、次はどうするかな。女童の養育に力を注ぐのも良いし、精霊剣士にもう少し関わっても良い。トゥーゲルからこちらに転ぶ可能性もないではないからな。それに、強さを求めていた戦士に、もっと効率よく強くなれる方法を教えてやっても良い。
それとも、そろそろこの国を離れるか。
どうするにしろ、まだまだこの世の中には、すべきこともしたいことも沢山ある。全くこの世の中は面白い)
そして、その思いをあえて意図的に言葉にして呟いた。
「この世の中は、本当に面白いぞ」
そんな、誰かに語り掛けるかのような言葉をあえて口にしたのである。
その後、“伝道師”は、特殊な魔道具の効果で姿と気配を完全に消し、密やかに禁忌の間を後にした。今後すべきこと、したいこと、そして己が行くべき道について考えながら。
彼女の旅は、まだ終わらないのである。
――— 完 ―――




