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お姫様やめました  作者: 月之影
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第一話 お姫様やめました

短編に反応をいただけてうれしかったので、家出中のソフィア姫をのんびり描いていきます。

ソフィア本人だけが知らない、転生者ソフィアは周りからどう映っていたかも覗けます☆

お楽しみいただけますように。

「姫様、そろそろ起きませんか?」

「んー……」


 扉の向こうから柔らかな男性の声が聞こえる。

 ――コンコン


「姫様?」

(んー……いつも起こしに来るのは侍女たちなのに、変なの。でも声音からするに、緊急ではなさそうね)


 ――コンコン

「姫様、おはようございます。姫様?」


 しつこいわりに、ノック音も呼びかけもとても穏やか。こんなので、本気でわたしを起こすつもりがあるのかしら。だって、侍女のミリーなら、三度目のおはようございますと同時に、容赦なくわたしの掛布を剥ぎ取るのだもの。ものすごく乱暴だけれど、お姉様の指示だから、不敬ではないらしい。


(甘いわね。成長期の睡眠欲を舐めないでちょうだい)


 そんなだから、まだ眠り足りないわたしは、鼻先まで引っ張っていた掛布をさらに頭まで被って、二度寝をすることにした。



「姫様、いくらなんでも昼過ぎまでは眠りすぎかと」

「んー」


 のどが渇いてキッチンに下りたわたしに、背の高い男性がカップを差し出す。あくびをしながら一階に下りるって、なんだか昔に戻ったみたいで懐かしい。湯気の上がる乳白色のそれはホットミルクで、朝から飲みたいものではなかったし、猫舌のわたしには熱すぎて、カイロ代わりに手のひらを温める。


(朝は温めの白湯が飲みたい……平民になったんだし、自分でするんだけどなあ)


 ホットミルクに口をつけないわたしを椅子に座らせて、そっとシュガーポットを寄せてくれる彼は優しい。優しいのだけれど、うん、ごめん、甘くしたいわけじゃないんだ。おまけに蓋まで開けてくれるのだから、多分本人は親切のつもりなのだろう。


 昨日、わたしは家出をした。驚くなかれ、普通の家からじゃない。なんと王城からの家出だ。王様の住むお城ね。王城!


(前代未聞だってお姉様、いってたなあ)


 前代未聞、王国初の王族の家出。

 褒められたことじゃないのは分かっているけれど、前代未聞なんていわれちゃうと、なんとなく照れてしまう。すごくない? って。


 実際、すごいことだと思う。なんてったって、昨日までのわたしは、この国のお姫様だったのだから。


 二年前、わたしは突然わたしになった。

 正直、そのあたりの記憶は曖昧だ。分かるのは、わたしは二年前のあの日まで、今とは全く違う世界で暮らしていたということだけ。お姫様なんかじゃなかった。それどころか、わたしのいた国は王政じゃなかったし、お城といえば今は使われていない過去のものだったし、城壁だけになった遺跡もあったし、なによりわたしはソフィアじゃなかった。普通の日本人(わたしがいた国は日本っていう島国だった)で、黒髪黒目、黄みがかった肌で、今はもう思い出せない名前もこんな響きじゃなかった。


 それが突然、第二王女のソフィアだ。瞬きをしたらわたしはわたしじゃなくなっていて、わたしはわたしになっていたの。


 当たり前に取り乱すわたしを支えてくれたのは、第一王女であるお姉様と、のちの王太子であるお兄様の婚約者カタリーナ様だった。二人とも、わたしの話を信じたわけではないと思う。特にお姉様は、あしらいかたがボケたじいちゃんに接するお母さんと同じだったもの。それでも、一瞬前までの記憶も知識も失ったソフィアを大切にしてくれた。鬼みたいに厳しいけれど、溢れんばかりの愛情で包んでくれたお姉様を、わたしは世界一尊敬しているし、愛している。


 カタリーナ様は、ちょっと変わったかたで、身近にいたはずの侍女たちまでもがわたしを遠巻きにする中、びっくりするくらい普通に接してくれた唯一の人だ。気にしなさすぎじゃ? ってこっちが思うくらい、突如として人格が変わったわたしと一から関係を築きなおしてくれた稀有なかた。


(そんなカタリーナ様に人前で恥をかかすなんて、お兄様、許すまじ)


 数日前の婚約破棄騒動を思い出して、思わず眉間にしわが寄る。


「ところで姫様、なぜお召し物がしわだらけなのしょう?」

「んー」


 ようやく適温になったホットミルクは、寝起きの舌にはまったりと重かった。鼻先で香る乳臭さが、きつい。やっぱり白湯が欲しいなと視線を動かすわたしに、今度はビスケットが差し出される。ジャムもついてきた。うん、違うんだな。


 あと、服がしわだらけなのは、この格好で寝ていたから。昨夜湯をいただいたあとに着替えたのだから、汚れていない。動きやすいし、このワンピースは部屋着にちょうどいい。


(それにしても、本当にわたし、お姫様やめられたのね。ソフィアお姫様やめたってよ、なーんて)



 昨日、城の裏口でひっそりとお姉様に見送られたわたしは、麦の搬入を終えて帰る業者の荷馬車に乗り込んで市井に下りた。あれはテンションが上がった。馬車の荷台に隠れて城を出るだなんて、ファンタジーの定番!


 門番の交代時間を狙って城門をくノ一のように駆け抜ける計画はなしになったけれど、脚に自信はないし、荷台に潜んでいるほうがそれっぽくていい。


「いいわね。道中は静かにしているのよ。騒いでは駄目。そして、途中で降りたりしないこと。彼があなたをきちんと送り届けてくれるわ」

「え?」

「アカデミー時代の友人なの」


 お姉様の紹介で馬車を降りた男性は、立派な風采をしていて、とても御者には見えなかった。あからさまに貴公子なのに、荷馬車を操っていたらおかしいと思う。


「失礼ですが、このかたはあまりに目立つのでは?」

「あらソフィア。あなたは知らないだけよ。王城に品を卸しに来るのだもの。彼のようなかたはたくさんいるわ」


 そんなものかなあと首を傾げるわたしを見て、お姉様と友人の男性が意味深な視線を交わして微笑みあっている。


 知らぬ間に業者と話をつけて城からの脱出ルートを確保していたお姉様にも驚いたけれど、

腰もお尻も痛くて悲鳴を上げていた数時間後、荷馬車で寄り道もせずに送り届けられた場所には、もっと驚かされた。


「え?」

「姫様のお家でございます」

「ええっ!? なんで!?」

「さて。わたくしは、殿下より姫様をここに送り届けるよう密命をいただいただけでして。さあ、姫様、中へ。きちんと家に入るまでを見届けるように、厳命されております」


 いたずらに微笑むお姉様の友人は気障で、癖のある笑みから、やっぱりこの人は御者なんかじゃなく貴族男性だったと確信させられた。お姉様のご学友なんだから、そりゃあ貴族か。柔らかそうに見えて、押しが強い。


(お姉様に嵌められたっ! 今日はちょっと廃れた、いい感じの宿を探すって話したときにはなんにもいってなかったのにっ!)


 背に添えられた手に誘導されるまま、渡された鍵で木製の扉を開ける。紳士だから、直接レディの体に触れることはしない。触れないまま背中を押すのだから、貴族の圧ってすごい。


 扉を開けた先、そこに、膝をついて頭を垂れていたのが、彼だった。


「ええっ!? なにしているの!?」


 大きな体で、置物みたいに膝をつく男性に、わたしは裏返った声を上げた。騎士の制服に身を包んだ男性の旋毛がまっすぐにこちらを向いている。


「殿下の命により、ただいまよりわたしが姫様をおまもりいたします」


(えっ!? お姉様、まさかのおもりつけた!?)


 肩についた勲章は、お姉様の色。制服と勲章から、この男性がお姉様の護衛騎士だと分かる。つまり、彼のいう殿下とは第一王女であるお姉様のことだ。


 そもそも普段からお姉様は殿下、わたしは姫様と呼び分けられることが多い。これは威厳だとか風格の差なんだろうなあ。


 それにしても、脱出ルートといい、家といい、護衛といい、ぜーんぶお姉様の手が入っているの。


(え? これ、家出だよね? 家出ってお膳立てされるもの? それとも家を出るまでは姫ですってこと? 家に帰るまでが遠足ですの逆バージョンてきな?)


 果たしてこれは家出なのか、ちょっと自信がなくなってくる。


「わたし、家出したのよ?」

「存じております」

「お姫様じゃなくなったの」

「はい」

「だから侍女もついてきていないし、わたしの護衛もいないでしょう。あなたもお姉様のもとにお帰りください。平民に護衛は不要です」

「殿下の命ですので」


 そこから先は押し問答。最後は、玄関先でいつまでも頭を下げて傅く年上の男性の圧に耐えられなくなったわたしが折れた。さっきのお姉様のご学友と一緒。優しいのに、端からわたしの意見を聞く気がないの。


(子ども扱いなのよね)


 あの場は折れたけれど、それは護衛がつくことに対してであって、同居については寝耳に水。


「わたしの部屋は姫様の向かいでございます。御用がございましたら、なんなりとお申し付けください」


 それではおやすみなさい、って、就寝時に部屋を案内されたわたしの心境たるや。


「思春期の妹を男性に預けるって、お姉様ったらめちゃくちゃよ」


 玄関先で顔を上げて立ち上がった第一王女付きの護衛騎士は、大変に整った容姿をしていた。

 護衛騎士という名に恥じぬ鍛えた体つきは、上背もあり、制服の上からもしなやかな筋肉を持つことがうかがえる。先日反抗期を迎えたお兄様と同い年の二十五歳のエリート騎士は、若さと落ち着きを併せ持った大人の色気があった。


(そういえば、お姉様の護衛騎士の中に、ひときわ女性に人気のあるかたがいたわね)


 目もとの彫りが深く、垂れた目にかかる厚めのまつ毛と、薄い唇、笑みを浮かべる際に、右の口角だけを引き上げるのが特徴的だ。お姉様のそばにいるには美男美女でいいだろうけれど、わたしみたいなちんちくりんのおもりをさせられるには、この美貌は無駄遣いだと思う。


 彼は、ルイスと名乗った。家名を聞いたが、「すでに家を出た身なれば」と濁される。


(はは~ん。家出仲間ってわけね)


 わたしに彼が付いた理由が分かった。大人っぽく見えるけれど、なかなかやんちゃもしているわけだ。


 そんな不良の先輩が朝からホットミルクっていうのも、チグハグだ。


「ルイス」

「はい」


 返事とともにかかとを揃えるルイスは、さすがの騎士様だ。背の伸ばしかたが凛々しい。かかとと同時にカチャリと鳴る腰の剣が物騒だけれど、常に帯剣するつもりかしら。


「わたし、姫様じゃないの。平民のソフィアなの。――あら? ねえ、平民って苗字ある?」

「みょうじ、ですか?」

「あ、えーと。家名よ。ほら、わたし、もう家を出たでしょう? だから王家を名乗るわけにはいかないわ。あら、そういえば、そういった手続きってどうするのかしら。市役所? 市役所ってここある? あ、でも戸籍に関することって市役所でいいのかな? 印鑑とかいる? その前に、こういうのって未成年じゃだめかな。保護者がいる?」


 ぶつぶつ独り言を漏らすわたしのそばで、ルイスは黙って控えている。さすが、お姉様の護衛騎士。微動だにしない。わたしの護衛たちなら、顔を見合わせて困ったなって風に視線を交わす。あれ、あんまり気持ちの良いものではなかったな。


「ねえ、ルイスは知ってる? 住民票とかってどうするのかしら」


 考えても分からないことは、家出仲間の先輩に聞くに限る。わたしは素直に年長者に質問することにした。


「じゅうみんひょうとやらは、わたしは不勉強で存じませんが、家名でしたら、国民はみなございます」

「そうなんだね。今までは人から名前を聞かれることってなかったけれど、これからは自己紹介する場面も出てくるわよね。すてきな家名を考えないと。そうよね。それがいいわ。平民一日目のミッションは名前決めにしましょう!」


 これからずっとお世話になる名前だ。おのずと気合が入る。


「ねえ、ルイス。わたし図書館に行きたいわ。どんな名前があるのか調べなくちゃ」

「姫様、本でしたら……」

「だめよ、ルイス。わたしは姫様じゃないの。ソフィアって呼んでちょうだい」

「しかし、姫……」

「家出したとはいえ、現王の実子であることに変わりはないの。もしわたしの出自がバレて、身代金目的の誘拐でもされようものなら、お父様たちに申し訳が立たないわ。わたしが元お姫様ってことは秘密にしなきゃ」


 もっともらしくルイスを諭しながら、わたしは途中から笑い出しそうになるのを必死に耐えていた。


(だって、出自を隠して市井で暮らす姫って、めっちゃヒロインっぽい!)


「誘拐など起こさないために、わたしがいるのですが……」


 内心興奮状態のわたしの耳に、護衛騎士の真面目な反論は届かなかった。

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