第二話 ご病気の末姫(ルイス視点)
「いいわね、とにかくソフィアを無事に守り抜いてちょうだい。あの子が心身ともに健康なら、それ以外は求めないわ」
眼光鋭く、頭一つ分高い俺にぴったりと目を合わせ、低い声で命じたのは、国一番の美姫と名高い第一王女殿下だった。
「守りやすい環境は用意する。影もつける。あなたに面倒がいかないよう、わたくしが万事整えるわ」
(一番の面倒が、第二王女の護衛なのだが……)
口に出さない不満を、第一王女は瞬き一つで跳ねのけた。まなざしに凄味が増している。
「あなたにしか頼めないの。あの子を守ってちょうだい」
「それが殿下の命であれば」
これが成人したばかりの娘かと、まるで歴戦の軍人のような覇気をまとった主に傅き、俺はこの日、新たな任務を帯びた。
「とうとうエリートコースを外れるか?」
休憩のために足を運んだ詰所でさっそく絡んできたのは耳の早い同僚だった。第一王女付きの護衛騎士は五人しかいない。そのうちの一人が任務を離れるのだから、伝達が早いのも当然かもしれなかった。
「しかし殿下も思い切ったことをなさる。お前が護衛から外れたことはすぐに内外に知られる。その後の所属先が不明となれば、なにかやらかして左遷されたと思われる」
表面はニヤニヤとからかう風でいて、その声には多分に俺を案じる音があった。
俺たち騎士の主は誰にいうまでもなく、国王陛下である。命に代えて剣を捧げると、騎士になる際に誓いも立てている。それでも人の心は縛れるものではない。俺も、肩を組んで声を潜めるこいつも、第一王女を己の主としていた。誰よりも美しくありながら豪胆で、聡明で、そして愛情深い第一王女を、俺たちは敬愛している。
そんな主から与えられた任務。主のもとを離れるばかりか、国王の末姫を城外でたった一人で護衛しろというのだから、正直荷が重い。しかし、俺にしか頼めないとまでいわれては、命に代えても任務を遂行する以外に俺に選択肢はなかった。
「お前、事なかれ主義なのにな」
経験も浅く、歳も若い俺が第一王女付きの護衛騎士に抜擢された際、一番絡んできたのは十以上も年上のこいつだったというのに、俺の性格を理解するまでになった月日の流れに思いを馳せる。貴族の三男坊が騎士団に入団して数年で第一王女の護衛騎士。エリート様だと揶揄されながらも、昨今は第一王女付きだと認知されるまでになっていたが仕方ない。
「姫様に傷一つでも入ってみろ。お前の首は胴体と離れるぞ。気を抜くな」
「ああ」
一介の騎士にはあまりにも重い任務だった。
(反抗期の姫様に家出ごっこをさせるとは、殿下のお考えは俺なんかじゃ到底測れないな)
殿下の妹君である第二王女は、お心の病を抱えている。
お小さいころから大人しく、口数も少なく、そのせいで存在感すら薄いほどだった第二王女は、いつも大きな目だけを動かして周りの様子を窺っていた。なまじお顔が整っているばかりに、黙ってそこに座っていると人形のようで不気味なくらいだったが、姉である殿下はそんな妹姫のことをいつも気にかけていた。
特殊な環境を生き抜くには、第二王女殿下はそのお生まれに適応できなかったのだろう。
ある日を境に急に陽気になってしまわれた。明るくなったのならいいと思うだろうが、そうではない。ポーンとなにかが弾け飛んだような、第二王女殿下の精神を絞めていたネジが一本どこかに飛んで行ってしまったかのような、そんな急激な変化だったのだ。
急にコロコロと表情を変え、口数は増えておしゃべりになり、物怖じをしなくなった。そしてとんでもないことに、過去のあらゆる記憶を失ってしまわれた。あれだけひっそりなさっていたというのに、どたばたと廊下を走り、カトラリーを皿にぶつけ、膨らんだドレスで椅子に座ることができず転げ落ちた。
お心を病んだ末姫は、王城内で匿われた。対外的には持病とだけ公表され、外国からの客人たちにも合わせることなく、国内の貴族の目にも触れさせず、侍女や護衛は最小限に絞り、実質の軟禁生活を送られた。
当時成人を迎えてご公務が増えた殿下は、可能な限りの時間を妹姫にお使いになった。それまでいなかった精神科医を城に常駐させ、妹姫のケアにあたらせた。
そして、ようやく最近、リハビリの一環として、王城で行われるパーティに第二王女が参加するようになった。
殿下は妹姫のお目付け役だ。基本的に妹姫に受け答えをさせず、微笑んで頷く、それだけを反復させた。姉である第一王女殿下の横で微笑む、少し幼い顔をしたかわいらしい姫君。目の前のものを大きな瞳を好奇心いっぱいに映して視線で追うさまは、お体が弱くあまり外に出られないという情報と併せて、好意的に受け取られていた。そうなるよう、その分殿下は完璧に振る舞い、妹姫を守っていた。
このところは、症状が安定していると誰もが油断していた。
――お兄様! それって浮気ですの!?
会場に響いた高い少女の声。ご病気は治っていなかった。
殿下から与えられた任務は非常に重い。
まず、城外であること。影がいるとはいえ、そばに控えるのは自分一人であること。護衛対象に持病があり突飛な行動が予想されること。その持病が精神的なものであること。なにより護衛対象は王族。もとより命がけの護衛であるのに、護衛する上での障害が多い。死ねと命じられているようなものだ。
殿下が用意した屋敷を仰ぎ見る。
ここは王家の直轄地のど真ん中だった。もとは、先代王妃が趣味の絵を描くために建てた作業用の屋敷だった。屋敷自体は小さい。二階建ての、せいぜい中流階級の平民が親子四人で暮らせる程度の狭さだ。代わりに庭が広かった。王領の真ん中にありながら、辺境の地かと錯覚するような広さの土地。庭らしくはない。花も少なく、牧草地が広がっているだけの土地。
(なるほど見通しが良い。これなら不審者を見つけやすい)
ただ、影はどこに隠れるつもりなのかと気になった。屋敷に侵入できるような足場もないのだ。
屋敷内を確認し、第二王女殿下の私室になる部屋は重点的に見る。実際に窓枠や床板、天井を触って、外から侵入される危険を排除する。
人の気配を感じたのはそのときだ。剣を抜くよりも振り向きざま、肘を打ち込む。相手は相当な手練れだ。肘は当たらない。振り上げるまでもなく判断し、軸足に体重を移動させた。
「影か」
「常時二人。常に姫のそばにつきます」
「外を見てきた。可能だろうか」
王家の影に対し侮辱かとも思うが、疑問はなくしておきたい。素人の憂いは顔の見えない影が切り捨てる。
「外に一人、中に一人。我々が姿を見せるのは、王族に命の危険がある場合のみ。それ以外に影を名乗るものが現れたら、偽物と判断してください」
「分かった」
俺の技量を測る意味もあったのだろう。全く反応できなかった。影が消えたあとの部屋で吐いた息は、緊張に上ずっていた。
(死んだことにも気づかなかっただろうな。首を切られて即死だ)
影と呼ばれる精鋭部隊の恐ろしさを目の当たりにして、肝が冷えた思いだ。姫を守る上で心強くもある。歴然とした力の差に悔しくもある。
(城を離れた今、騎士団の鍛錬に参加できないのは痛いな)
任務を終えて城に帰った際に、腕が鈍って殿下の護衛から外されたんじゃあ目も当てられない。
第二王女殿下が到着したのは、日暮れ前だった。荷馬車が止まる音に続いて、外から少女の高い声が聞こえる。俺は階下に下り、玄関扉の内側で膝をついて、護衛対象となる姫を待った。
――家に入れてしまえば、きっと大人しくするわ。初めての長旅で疲れているでしょうから、休める場所を与えればそこに落ち着くわ。
自分の妹を拾ってきたペットのように語る殿下は、町外れの宿に泊まるのだと願望を語っていた第二王女殿下を、見事にこの第二の隔離場所に連れてきた。
おっかなびっくりのぎこちない動作で鍵を回して、木製の扉を開いた影は小さく細い。沈みゆく陽を背に、第二王女殿下のお姿は逆光の中にあった。日の中で、こちらに向かって一礼する伯爵家の子息を背景に、扉は静かに閉まった。頭を深く下げる。
(このかたが、これから自分が守るおかた)
「ええっ!? なにしているの!?」
響いた声は、高く澄んでいる。
「殿下の命により、わたしが姫様をおまもりいたします」
大きな瞳を目いっぱい開いて驚く王家の末姫様は、やはりご年齢よりも幼く見える。市井に下りて平民になるのだと城を飛び出し、その実、場所が変わっただけで、ご療養を兼ねた軟禁生活が続くのだと、ご本人ばかりが知らない。
第二王女殿下のご病気については伏せられている。国民には、近く、第二王女殿下の遊学が公示される。
ルイスの存在に戸惑いながらも、新しい生活への期待を隠しきれない幼い末姫を見て、俺は王城にいる主をおもった。




