教育方針
マリーの言葉に、私は困惑する。
いきなり全て忘れろと言われて、はい分かりました、と即座に実行出来るわけがない。
彼女は、もしかして冗談でも言っているのか。
そう思ったが、相変わらず無表情のままなのでよく分からなかった。
私が困り顔でいると、マリーは不思議そうに首を傾げる。
「どうかされましたか、レイン坊ちゃん?」
いや、どうかされましたかって……。
たった今無茶振りを要求されて困っているところなのだけれど……。
しばらくしてマリーは、私の今の気持ちを察してくれたらしく「ああ、そういうことでしたか」とひとりでに頷いた。
「失礼いたしました。てっきり、記憶の取捨選択に関する技能は習得しているものだと。まずはそこからお教えするべきですね」
そう勝手に納得する。
いや、おかしい。いや、確かにそんなトンデモ技能は習得していないのだが、流石におかしい。
何それ? どういうこと?
その言い方だと、もしかして、うちの弟は自由に記憶を消したり思い出したり出来るってこと?
さすがに、人間離れしすぎじゃない……?
いや、そんなまさか……えっ、出来るの???
私が疑問の目を向けると、マリーは至極当然のような表情で答えた。
「記憶の瞬間記憶及び任意忘却及び任意修復は悪役令嬢となるための必須技能ですので、カティアお嬢様は習得済みですね」
えぇ……。凄すぎる……。
私は絶句する。
そういえば、昔弟がそのような感じのレッスンをいきなり受けさせられたと言っていたような気がする。
その時は「出来るわけないじゃん……有り得ないでしょ、流石に。これ出来たら、人間じゃないって……」と愚痴っていたが、あの後結局出来るようになったらしい。
やばい。
うちの弟が凄すぎて怖い。いつの間にかすでに人間を辞めていたようだ。
「予定として、サイラスとのレッスンで培った技能は今は一旦忘れて頂いて、『夜会』後にまた思い出して頂く、という予定だったのですが……そうですね、少しばかり彼との情報共有が不足していました。申し訳ありません、レイン坊ちゃん。これは私たちの失態です……」
そう言って、深々と頭を下げて謝罪してくる。
それに対して私はすぐ頭を上げるように言った。
別にマリーたちが悪いわけではないと思う。
いやだって、「うちの主は記憶を消したり思い出したり出来るけど、あなたの主は出来る?」とか普通聞かないだろうし。
まあ、マリーと弟二人がそんな人間離れしたことを当たり前のように出来るようになっているとしたら、私の方もそういったことが出来るようになっていると思い込んでしまっても不思議ではない。
もちろん、私はそんなことこれっぽっちも出来ないのだが。
とりあえず今は話題を変えよう。
私は何故サイラスの教えを一旦忘れないといけないのか聞くことにした。
「それは、方向性の違いですね。あるいは性質の違いです。レッスンでの私とサイラスの考え方は全く異なります。真逆と言ってもいいでしょう」
マリーは「たとえば」と言葉を続ける。
「今のレイン坊ちゃんを貴族の御令息として見た場合、点数でたとえるなら高得点だと思います。しかし、御令嬢として採点するなら零点です。見た目や身のこなしと言ったとにかく様々な要因から、落第点を付けざるを得ません」
私は頷いた。
確かにそうだろう。
今の私の格好は、完全に男性のものだし。
まあ、中身は歴とした女子なのだけど……。
「その点数を徐々に上げていくとなると、今までのサイラスの指導が障害になってくるのです」
マリーは言った。
「サイラスは無駄を省くことに力を入れていました。おそらく、体を動かして直接教わるレッスンが多かったことでしょう」
その言葉に私は頷く。
確かに多かった。稽古のような形で行う実践型のレッスンが頻繁にあったと思う。
「彼は無駄を徹底的に削ぎ落とした最適化こそが究極の美だという考え方でした。それもまた一つの答えです。殿方ならばその考え方が正解なのかもしれません。ですが、淑女の場合は異なります。私たちは剣ではなく花として振る舞わなければならない。そのため淑女は着飾ること――つまり、無駄を積み重ねることこそが、美しさに繋がると考えています」
マリーの話を聞いていると、私は椅子に座るよう促される。
「――さあ、レイン坊ちゃん。それではレッスンを始めましょう。どうかよくお聞き下さい――」
そしてマリーの講義が始まったのだった。




