夜遊び 1
廊下は完全な暗闇ではなく、移動するのに支障がない程度の最低限の光源が保たれていた。
壁に等間隔に設置された燭台の小さな明かりを頼りに、私はその薄闇の中を進む。
けれど、廊下の角を曲がったところで、突如真正面から声がかかった。
「――こんな夜更に一体どこへ行こうとしているのですか、レイン坊ちゃん」
薄闇の中からすうっと現れたのは、私の従者であるサイラスだった。
……やはり、こうなるか。だが、これはすでに予想していたことだ。
まるで立ち塞がるように現れたサイラスに対して私は、素知らぬ表情で答える。
「ただトイレに行くだけだ。貴様こそ何故起きている?」
「おかしいですね。こちらからだとお手洗いは遠回りですし、わざわざ帯剣する必要も無いと思いますが?」
私の質問に答えず、サイラスはさらに質問を重ねてくる。
どうやら主導権を握らせるつもりは更々ないらしい。
最初から分かり切ったことだが、サイラスは完全に私を疑ってかかっていた。
なので、私は彼に対して軽口を叩く。
「少し夜遊びをするだけだ。偶にはいいだろう? 見逃してくれても」
「非行ですか、それはいけませんね。レイン坊ちゃん、あなたは次期当主としての自覚を持たねばなりません」
「そうだな。だが『悪役』でもある。そうは思わないか?」
私のその言葉をサイラスは相変わらず無表情のまま「いいえ」ときっぱりと否定するのだった。
そして、声に若干の怒りを込めながら私に対して諭すように告げる。
「レッスンその12。悪役たる者、低俗さとは無縁たれ――。夜遊びなど三流の畜生風情がやることです。そうあなたにお教えしたはずです。忘れたとは言わせませんよ?」
そうだ、もちろん分かっている。
だから、あえて口走ってみせたのだ。
サイラスの冷静さを少しでも崩すために。
「そうだったか? まるで記憶にないな」
「……どうやら自分のレッスンが手温かったようですね。あなたの従者として、教育係として恥ずべき失態です。次からはこのようなことがないように徹底的に脳裏に刻んであげましょう」
ひえっ。やばい、怒らせすぎた。
これは後が怖すぎる。
仮に今回の作戦が成功したとしても、地獄なのでは……?
い、いやいや、今はそんなことを考えている暇はない。
とにかく、目の前の相手に集中しないと。
私は言葉を交わしながら、彼の様子を観察する。
どうやら両手には何も持っていないようだった。
私と同じように体の線が見えない程度のやや厚手の男性用寝巻きを身につけているが、ただそれだけである。
見た感じ暗器を隠し持ってもいないようだった。
つまり、丸腰。
――いける。
そう確信した。
「とにかく、今回は見逃してあげましょう。レイン坊ちゃんたちがベッドから抜け出したのは、実に十年振りのことですしね。だから、早くお部屋に戻り下さい。それに早く寝ないとお肌に良くありませんよ?」
「女々しいことをほざくな。白々しい。とっくに分かっているんだろう?」
「……ええ、そうですね。残念です。本当に残念で仕方がありません、こうなることは。自分としては甚だ不本意ではありますが、まあ仕方がありませんよね」
サイラスは、さも残念そうに首を横に振ったのだった。
私は二本の直剣を鞘から抜き、構えをとった。
たとえ丸腰であろうと、あのサイラスが相手である。
少しも油断など出来なかった。
「こちらは丸腰なのに随分な扱いですね」
「丸腰だからどうした。それだけで貴様を軽視する理由にはならん」
「それは光栄です。それと成長しましたね。嬉しい限りです」
怒りから一転、どこか嬉しそうな声音でサイラスは言う。
「――それでは、そのご期待にお応えしましょう」
そう言ったサイラスは、次にすぐ近くの壁際に置かれていた、人の腰くらいの高さがあるかなり大きめの花瓶にいきなり手を突っ込み――
え、手を突っ込むの? 何で???
そう思っていると、次の瞬間サイラスはかなり大きめの花瓶から、一振りのサーベルを取り出したのだった。
えっ、どういうこと……?
待って、状況を説明して欲しい。
何で、花瓶からするっとサーベルが出てくるの? マジック?
通常時なら称賛の拍手を送るべきだろうが、今は非常時。
激しく混乱してしまう。
確かにその花瓶はサーベルがしまえる程度の大きさはあるけれど、だからといって武器を花瓶に隠すだろうか。いや、普通は隠さない。絶対に。
しかも、私たちが行動を起こすと予想して前もって仕掛けていたということになる。
もしかして、廊下に置いてある花瓶全部にあるの? 中に武器が?
「ああ、もちろん花瓶だけではありませんよ。こんなこともあろうかと屋敷中至るところに仕掛けてあります」
私の疑問を予想したのか、サイラスは先回りして回答する。
……いや、もちろんって何だ。こんなこともあろうかとって何だ。
前々から優秀だと思っていたが、さすがにこれほどまでとは思わなかった。
優秀すぎて本当に怖い。泣きそうだ。
「さて、レイン坊ちゃん。念のためもう一度お願いさせて頂きます。――今すぐ、お部屋にお戻り下さい。どうかお願いします」
サイラスは真摯な声音で、そう伝えてくる。
けれど、私の心は決まっていた。それを覆すことなど誰にも出来るわけがないし、させるつもりもない。
私は、不敵な笑みを浮かべる。
そして、突き放すようにサイラスへと告げた。
「断る。この俺を止めたければ、力尽くで止めてみるがいい――」
その瞬間が分水嶺だった。
私の言葉により、サイラスの雰囲気が激変する。
彼の体から、纏わり付くような濃密な殺気が私に向かって放たれたのだった。
「――そうですか。ならば、今から特別レッスンを始めることとしましょう。どうかお覚悟を」
そしてサイラスは凄まじく剣呑な気配を放ちながら、おもむろに自身の腰に刺したサーベルの柄に手をかけるのだった。




