母
学園から帰ってくると、ちょうど来客を見送ったばかりなのかロビーに父の姿があった。
「ああ、二人ともおかえり」
「はい、ただいま帰りました、父上。もしかして来客でも?」
「ああ、そうなんだが、二人ともタイミングが悪かったな……」
父は、残念そうな表情で応える。
「実はな、先程までナタリーが帰ってきていた」
父の言葉に私たちは、思わず驚きの声を上げる。
「母上が戻られていたのですか!?」
「本当なのですか、お父様っ!?」
「ああ、そうなんだが少し話をしたら、すぐに出発してしまったよ。相変わらず仕事が忙しいらしい。少しくらい休んで欲しいものだが……」
父は、少しは自分の体を労って欲しいと、溜息を吐くのだった。
説明し忘れていたが、私たちには、仕事が忙しくて偶にしか会えない母がいる。
母の名前は、ナタリー・メアリクス。
国から外交官を任されているため、国内外をひっきりなしに忙しなく飛び回っていた。
正直、母と直接言葉を交わしたことは物心ついた頃からの記憶を全て掘り起こしても、ほとんど見当たらない。
弟も同様だろう。
母はいつも忙しかった。
スケジュールの合間をぬって帰ってきても、父とほんの少し話すだけで、母の休むことの出来る時間が過ぎてしまい、私たちにまで順番が回ってくることはなかった。
母と直接話したことはほとんど無い。どんな声なのか、あまり覚えていないという位である。
けれど、手紙ならば何度もある。むしろ手紙でのやり取りがメインであった。
母は、今日のように屋敷に帰ってきた際は、いつも決まって手紙を置いていってくれた。
私たちはそれを読んで、時に笑ったり時に喜んだりしながら、返事をしたためるのである。
子供の頃から年に六回ほど手紙でのやり取りを続けている。
なので、母に会えなくて寂しいという気持ちはあまり感じていなかった。
「ああ、そうだ。お前たちに、いつものように手紙がある」
父がそう言って、おもむろに手紙を渡してくる。
私は、封を切って中身を確認する。
手紙は簡単に要約すると、以下のようなことが書かれていた。
『愛しい私の子供たちへ。
お元気ですか? きちんとご飯は食べていますか?
母は死にそうです。仕事が、一向に減りません。むしろ増えました。
最近だと、どこかの馬鹿がうちの国の第一王子をさらったりといった阿呆なことをしたせいで、こちらは常にてんてこ舞いの状態です。
念入りに釘を刺しておいたので、もう大丈夫だと思いますが、もし何かあれば連絡を下さい。潰します。
それと、ハノアゼス帝国には今回のことについて話をしました。
その結果、あちらの皇帝は「じゃあ、友好関係を強化するために皇子を留学させるわ」と言っていたので、多分来年から第三皇子辺りが王都の学園に留学してくると思います。その時は仲良くしてあげてね。
手紙に書ける最近の話だと以上です。
あとは、道端に寝ていた猫がとってもキュートだったことくらいです。
――ああ、早く可愛いあなたたちに会いたい。
愛しています。母より』
母は、相変わらずいつも通りの様子だった。
結構、過激なことも書かれてあるけれど、まあ仕方が無い。
母の心労を思うと、心が荒まない方が無理だと思う。
母はかなり有能な外交官であるらしく、そのためよく貧乏籤を引いてしまうらしかった。
たまにはきちんと休んで欲しいなと思いながら、父に言う。
「分かりました、父上。母上からの手紙、しかと受け取りました。後で返事をしたためておこうと思います」
「ああ、頼む。ナタリーもお前たちの返事を楽しみにしていたからな」
私の言葉に、父は頷く。
後で、弟にもこの手紙を見せて、いつものように一緒に返事の内容を考えてもらうことする。
――『ナニカ カイテ アッタ?』。
弟が、そう瞬きをして訊いてきたのだが、やはり自分で読んでみた方が早いと思う。
とりあえず私は印象に残ったことを伝える。
――『ネコ カワイイ』。
私の返事に弟は「えっ?」と少し怪訝な表情をしたが、すぐに「――確かに猫はかわいいな、間違いない」と納得の表情へと変わるのだった。




